酔いどれ介護録 爺婆糞戦記 -13ページ目
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発熱

 今回も「気鬱の病」をお休みして、近況報告の続き。
 美代ちゃん、ふだんでも体温を計りたがる。計っては首を傾げる。


「どうしたの」


 と、たまに訊いてやると、


「おかしい。平熱だ。この体温計壊れてるのかしらん」


 平熱はだいたい36度前後なのだが、36度5分を超えると、もうそれだけで、


「具合が悪い~」


 となって、ベッドにもぐり込んでしまう。
 ショートステイから帰ってきた5月5日もそうで、帰って早々体温計腋の下に挟み込み、その結果に喜悦の声(そうとしか私には聞こえない)を上げ、


体温計


「寝る」


「夕飯は~?」


 という問いかけにも、


「食べられるわけないでしょ、熱があるんだから」


 こっちは慣れたもんだから、


「あっそ」


 と無視して、さっさと支度して食べてしまう。
 食べ終わって、さあ片付けようかなあ、というところへノコノコ起きてくる。


「あれ?具合が悪くて食べられないんじゃないの?」


「だけど、食べて力つけなくちゃ、具合良くならないものねえ」


 いつものタイヘン都合の良いお言葉~。
 
 翌6日。こっちが起きたときは、ちゃんとテーブルの前に座っていた。


「熱は?」


「計ってないよ」


 ん?実はこういうときのほうが危ない。
 いつもの1.5倍ほどかかって朝食を終える。食パン1枚と、ホットミルク1杯と、ベーコンエッグ1皿と、トマト1切れで1時間だ。


 その後薬が1錠、目薬2種類というのが順番。
 薬を前に置くとき、なんだか顔が赤いので額に手をあてる。少し暖かい。


「ちょっと熱あるんじゃないか?」


「ないよ。あっても6度5分」


 おいおい。いつもはそれで大騒ぎするくせに。
 腋の下に挟んだ体温計のデジタル数字が、あららという勢いで上がって行って、ピッピッピッと鳴ったところが37度5分


「ないだろやっぱり」


「そうだね。6度5分だ」


 本当のことを言ったら、その場で卒倒しそうだから、1度サバを読む


36.5


「そうだろう。そうだろうと思った。でも、寝とこうかねえ」


「うんうん。それがいい、それがいい」


 立たせると、足元が完全に覚束ない。一人では歩けない状態なのだ。ベッドまで抱えるようにして運んでいった。
 奥方も息子も出かけている。その日一日、私は美代ちゃんにかかりきり、というほどではないが、美代ちゃん中心の生活となった。


 なにせ水分だけは十分にとらせなければならないから、無理やり飲ませる。その必然として、オシッコが2時間足らずに1回と相成って、そのたびにトイレに連れて行かなければならなかったのだ。


 それでは堪らないので、2年半前まで敏ちゃんが使っていたポータブルトイレを物置から出してきて、埃を払い、汚れを拭いて設置したのが夕方。熱を計ると、36度5分まで下がっていた。


「上がってるだろ熱?」


「いや、下がってるよ、6度5分だもの」


 一瞬、しまったと思う私。
 キョロキョロと落ち着き無く左右に動く、美代ちゃんの猜疑心に満ちた目。


「ああ、だめ。具合が悪くなってきた。寝る」


 寝るって、もう寝てるじゃないか。


「もっと寝るの。夕飯いらないからね。食べられないからね」


「夕飯、寿司だよ」


 ギュッと瞑った美代ちゃんの目蓋がピクッと動く。寿司は美代ちゃんの大好物なのだ。


「いらない、いらない。生ものなんか食べたら、おなか壊しちゃう」


 強情っぱりめ!
 食い損なった美代ちゃんが、真夜中、テーブルの上に残されたカラッポの寿司桶に、ハラハラと悔し涙を落としたかどうかは知らない。
 ただ、その周りをウロウロした形跡だけは残っている。


 体温を計ってちょっとでもあると寝てしまうのは、昔、国立療養所から帰って以降のことで、これが重症化すると「気鬱の病」になるのだが、それはまた次回以降に~。

ショートステイ帰り

 「気鬱の病」はお休みいたしまして、またまた近況報告を。
 美代ちゃんショートステイから帰ってくると、どうもオカシクなる。


 火傷は、ショートステイから帰ってきた晩だ。
 失神したときは、ショートステイから二日後だが、帰ってきたその日に熱を出した。翌日下がったが、本調子ではなかったのは確かだ。
 目薬を点したあとに擦るのか、目の周りが真っ赤になっていたり、妙に塞ぎこんで、鬱状態になってたり、なんてのはしょっちゅう。


 自分のことは棚に上げて、


「頭のおかしいのばっかりいるから、こっちもおかしくなる」


 と、きいてる私たちの頭がおかしくなるようなことを言うし、


「どんどんどんどん人数増やしちゃうから、寝るベッドもない」


 とか、


「オカズに肉なんぞあった例がない」


 とか、家では肉なんか固いと言って、噛んでも飲み込まずに、吐き出してしまうくせに、文句ばかり言う。
 帰ってくるたびに、イヤだイヤだもう行かない、を繰り返す。イヤだイヤだは、退院後激しくなり、それまでほとんど拒否したことのなかったデイサービスまで、イヤだというときがある。


 今回のショートステイは、5月2日から5日までだった。
 オバアチャンがいると、せっかくの連休なのに休んだ気がしない、という奥方のたっての希望からだ。
 これがタイヘンだった。


 一回目に送迎の車が来たときは、もうすっかり行かないつもりでいるので、パジャマのまま朝飯中。パンを齧りながら、


「あたしは行かないよ。具合が悪いんだから」


 を連発する。それだけ食欲があって、なにが具合が悪いだ!
 仕方がないので、いったんお引取り願って、それから延々30分もかかって食事を終わらせ、着替えをやっとこさ済ませて連絡。


「すみません、もう一度来てください」


「ハイハイ、もうダイジョウブですか」


「気が変わらないうちに来てください」


「ハイハイ(笑)」


 気が変わらないうちに来たら、先ほどと変わらず行く気になっていないのだからタイヘンなのだが、行く気になったと誤解させる、話術の高等テクニック。と私は自画自賛していたのだが、先方は百も承知のようだった。


 テーブルにしがみついて、


「行かないよ」
「足が痛くて歩けないんだから」
「トイレにだって歩いていけないんだから、洩らしちゃうじゃないか」
「行ったら、もっと具合悪くなって死んじゃうよ。誰も面倒みてくれないんだから」


 などなど、さんざっぱら御託並べるのを、辛抱強くまあまあと頷いて、宥めたりすかしたり、とうとう二人がかりで美代ちゃん、車に押し込んでしまった。
 さっすがプロだ。


「よろしくお願いしま~す」


 という私の晴れやかな声。


「行ったらすぐに帰ってきちゃうからね」


 という美代ちゃんの恨みがましい声。


「いつでも帰っておいで~」


 という私の涼しい声。
 バタンと閉まるドア。手を振る私。フンと横を向く美代ちゃん。


牢獄
 
 結局、無事美代ちゃん、3泊4日の刑期、じゃなかったステイを勤め上げて戻ってまいりましたが、翌日熱を出しました~


 やっぱりねえ~。

気鬱の病(8)

 太平洋戦争が終わったとき、美代ちゃんは26歳。当時の常識から言うと、立派に適齢期を越えていた。
 戦争で年の合う男が払底していたのだから、それもやむを得ないだろう。だが、親としては気が揉める。あちこち声を掛けていた。


 そこへ目をつけたのが小崎の伯父だった。
 小崎はこれからまだ伸びていこうという、飛ぶ鳥を落とす勢いの新興材木商。美代ちゃんの実家は、資産はあるものの、勢いを失いつつある材木商。


 あわよくば吸収合併してやろう、とまでは思ったかどうかしらないが、近づいておいて損はない。身近にちょうどいい年頃の甥がいる。
 難点は敏ちゃんには金も地位も身分もない、頼れる実家もない、ってところ。実家は、けっこう繁盛していた魚屋で、敏ちゃんの長兄が後を継いでやっていたのだが、3月10日の東京大空襲で焼失し、長兄も死んだ。


空襲


 だが、そんなことは自分が後ろ盾になることで解消される。あの戦後のドサクサにのし上がってきた小崎の伯父だから、口もうまいし、ハッタリもきく。二代目のボンボンの、美代ちゃんの親父どのを丸めこむのも容易だったろう。


 一方、美代ちゃんの側としても、まあ、そんなに悪いところでなければ、早いとこ嫁にやろうと思っていたろう。本人も、実の母ならともかく、継母が牛耳っている家になど、いつまでもいたくなかったにちがいない。


「俺に任せておけ」


 と小崎の伯父が敏ちゃんに胸を叩き、


「大舟に乗った気で…」


 と美代ちゃん側を安心させ、かくてどうにも不似合いな、身分違いの夫婦が誕生したのだった。


花嫁


「まるで、うちの亭主が全部悪いみたいじゃないか」


 と、小崎の伯母さんなら膨れ面をするだろうけど、もう彼女も黄泉の国の住人だから、文句も言ってこまい。


「あんた、それだけのことを考えつくんだから、やっぱり探偵小説家におなり」


 とでも言うかもしれない。
 思えば、私の、あるとは思えない「文才」を、最初に評価してくれたのは、小崎の伯母さんだった。もっとも小学校3年生のときに書いた、遠足の作文だったけど。


「うちの亭主のせいじゃないよ。戦争だよ、戦争。戦争のせいさ」


 と、また小崎の伯母さんの声が聞こえる。
 確かにそうだ。戦争がなければ敏ちゃんと美代ちゃん、出会うことすらなかったろう。
 美代ちゃんはしかるべき材木屋に嫁に行ったか、独立した番頭さんと夫婦になっていただろう。


 某一流時計メーカーの職人だった敏ちゃんは、同じ会社の可愛い女子工員や、近所の会社の女子事務員と結婚していたろう。あるいはどこかの魚屋の娘といい仲になっていたかもしれない。
 そして、私はこの世界に出現することもなく、今こうやって「爺婆糞戦記」なんてものを書かなくてもすんでいたのだ。
 
 美代ちゃんの誤算の第一は、仲をとりもった小崎の伯父さんの、早すぎる死と、思いもよらなかった倒産だった。
 第二は、一緒に住んだ、敏ちゃんの三つ年上の兄、宏だった。(気鬱の病(4)の3世帯10人の図をご参照ください


 inu この宏がとんでもないヤツだったのだが、それはまた次回~、か次々回~。

気鬱の病(7)

 紀伊国屋文左衛門は、上野寛永寺根本中堂の造営の際、用材の調達を一手に引き受けて、財をなしたという。
 将軍綱吉の治世。側用人柳沢吉保や勘定奉行荻原重秀なんてのが勢力を振るっていた。そう、悪徳商人や、賄賂役人が、退治しても退治しても次から次へと湧いてくる、あの水戸黄門の時代なのだ。


印篭


 今でも官製談合だの、談合入札など、役人と業者の間の汚いやり取りは盛んだが、この時代、監視システムなど皆無の状態だったから、もうやりたい放題だった。
 上野寛永寺根本中堂の造営も、いわゆる公共事業だから、入札で工事業者が決まる。一番安い工事費を見積もった業者に発注するというのが、入札制度の原則だが、これが今も昔も守られていない。


 談合して業者をたらいまわしにしたり、入札価格をある一定程度の価格以下にしない、なんてのは初歩的手口だが、今でも手をかえ品を変えて行われている。
 文左衛門の頃は、もっと露骨で、入札などあってないが如し。役人への賄賂の多い少ないで決定されていたのだ。


 公共事業である寺社の建立にかかる費用は、通常にかかる費用のおよそ10倍はかかったという。業者はぼろ儲け、役人は賄賂でホクホク。細るのは幕府の財政。
 事実、綱吉が死去したあとは、幕府財政ものの見事に破綻していた。


 そうやって儲けた大金を文左衛門、どうしたかというと、一つはさらなる金儲け、もう一つはパッと豪遊金のばら撒き
 金儲けのほうは木材の買占めだ。なにせ江戸は火事が多い。建築需要はいつでもある。買い占めて木材の価格を高値にしておけば、それだけ儲かるのだ。


談合


 金のばら撒きは、吉原での豪遊、豆のかわりに金を撒いた「小粒金の豆まき」なんてのが有名だが、まあホントだかどうだかわからない。
 平成の今の世も、バブルの後はデフレの長い停滞期となった。元禄の世も同じだった。
 綱吉が死ぬと、一気に緊縮財政になって、デフレとなる。公共事業、建設需要もさっぱりで、木材の価格も急落する。


 当然文左衛門も事業がうまく行かなくなって、零落する。バブル崩壊以降の一部ゼネコンのようなものだ。
 家屋敷すべてを失い、最後は深川八幡宮の一の鳥居前の小さな住居で息を引き取ったという。


 しかし、死んだ年がよくわからない。享保3年とも、享保19年ともいい、その差16年だ。いくらなんでも違いすぎる。逸話が多い割りに、カンジンなところが判然としない、不思議な人物なのだ。


ホリエモン


 長々と蜜柑だ文左衛門だと横道に逸れてきたが、要するに昔から材木屋というのは、大儲けするか、大損するか、浮沈の激しい商売だった、ということを言いたかったのだ。


 inu で、それがどうしたという疑問には次回以降でお答えいたします。

(ちゃんと答えられるかなあ? (○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・)


気鬱の病(6)

 先に、小崎の家が材木問屋だと書いた。
 実は、美代ちゃんの実家も材木問屋なのだ。東京は下町の、大横川沿いに、ずらっと軒を連ねていた材木屋のうちの一軒で、美代ちゃんの父親、つまり私の祖父で二代目だった。


 小崎は新興の材木屋。美代ちゃんちは、老舗とまではいかないが、まあ名の通った材木屋。
 昔から、安く仕入れて高く売る、これが商売の基本だ。不当に高く売れば暴利を収めたことになる。どこからが不当で、どこまでが正当か、紙一重のところがある。


 ライブドア事件がどう決着がつくかわからぬが、あれも紙一重を突き抜けた一例だろう。紙一重を突き抜けた先は、拘置所の塀の中だったが。


 江戸は元禄の頃の人物で、紀伊国屋文左衛門というのがいる。
 紀州から江戸に、風雨をついて船で、蜜柑を運び巨利を得たという、あまりにも有名な「蜜柑伝」の人だ。

蜜柑


 帰り船で塩鮭を大阪に運び、これまた大儲けをしたというオマケまでつく「伝説」だが、まあ眉唾といってよいだろう。
 なぜ大阪で塩鮭が飛ぶように売れたかと言うと、当時大阪が大洪水のため伝染病が流行っていて、あらかじめ「流行り病には塩鮭が効く」というデマを広めていたからだ。


 最近流行の「癌に効く」商法のようなものだが、そう簡単に騙されたかなあ、という思いと、いやいや昔も今も、騙されるときはコロッと騙されるものだ、という思いが半々だ。
 蜜柑で儲けたというが、一隻の船の蜜柑を売っただけで、そんなに儲かったものなのだろうか。


落語


 蜜柑といえば、上方落語に「千両蜜柑」というのがある。
 電気冷蔵庫も、その前の時代の氷の冷蔵庫もない、江戸時代の噺だ。
 頃は6月。6月と言っても旧暦だから、今では7月から8月の暑い盛り。大店の若旦那が、原因不明の気鬱の病でずっと臥せっている。なにも喉を通らないから、このままだと死んでしまう。


 番頭がわけを訊くと、恥ずかしながら、


「蜜柑がたべたくて」


 寝込んでいる、と言う。


「なんだ、蜜柑ぐらい。すぐに食べさせてさしあげます」


 と安請け合いする番頭。ところが大旦那、


「この暑い盛りに、蜜柑などあるわけがないではないか」


 真っ青になる番頭。


「どこかにあるはずだ、なんとしてでも探してこい」


 大旦那に命令された番頭、必死になって探し回るが、そのへんの八百屋で見つかるはずがない。
 最後に辿り着いたのが、蜜柑の大問屋
 蔵の中に積み上げられた蜜柑の籠。そのどれもが当然のごとく腐っていたが、なかでたった一つ、冬のきれいなままの蜜柑が残っていた。


 ついた値段が千両
 仰天する番頭。だが、大旦那の、


「せがれの命に代えられぬ」


 の一言で買ってくる。
 蜜柑を剥くと、10房あった。10房で千両。1房あたり100両だ。その7房まで食して、若旦那は急速に回復する。


「残った3房のうち、1房をお父さんに、もう1房をお母さんに、最後の1房を番頭、お前にやろう」


 と、3房を番頭に渡す。
 1房が100両。3房で300両。頭がクラクラする番頭。
 この先どんなに働いても、そんな金額を稼ぐことはできない。


「……ままよ!」


 番頭、その3房を懐に入れて、逐電する。
 
 蜜柑は、紀伊国屋文左衛門の時代には、病院のお見舞いによく使われる、マスクメロンのような存在だったのかもしれない。高級マスクメロンが船イッパイだったら、儲かったかもしれないなあ。
 
inu   そんな蜜柑の話はどうでもよくて、紀伊国屋文左衛門さん、実は材木商だったのだ、 と いうことが言いたかったのだが、その話は次回~。


気鬱の病(5)

 私の誕生日は12月15日だ。
 戸籍謄本では、敏ちゃんと美代ちゃんの婚姻届はその年の6月10日に提出されている。
 ということは、この二人は「できちゃった結婚」なのかね?


 幼いころの私は、祖母や小崎の伯母さんに、こんな話を耳にタコができるほど聞かされていた。


「あんたが生まれる前の年に生まれたお兄ちゃんは、とっても色白の器量よしだったんだよ」


「そうそう。あんまりキレイだったから、生まれて一日ももたないで死んじゃったんだよねえ」


「それに引換え、あんたは、色黒で不器量。栄養失調の猿みたいだったもの。ああ、この子はダイジョウブ、ちゃんと育つって思ったねえ、あたしゃ」

赤ちゃん


 まったく無神経な二人だよ。
 女の子なら、「私はもともと不細工なんだ」とずっと心に傷を持ったまま大人になったろう。洒落っ気のない男の子だって、多少は傷つくのだ。


 戸籍謄本のどこをひっくり返しても、この「器量良し」のお兄ちゃんは登場してこない。生まれるより後に婚姻届が出されていたのでは、彼の名が載っているはずがないのだ。
 ということは、美代ちゃん、私生児を生んだのか。未婚の母となったのか。


 未婚の母となった後、子供に死なれ、その翌年、できちゃった結婚をしたのか。なんと「今風」。とんでる女だ。やるねえ。


「なに言ってんのよ。お父さんも、お祖母ちゃんも、伯父さんも伯母さんも、この家の人たちがズボラだっただけの話よ」


 高校を卒業する頃、取り寄せた戸籍謄本を手に問いかけた私に、美代ちゃんは膨れ面でそうこたえた。
 このときはじめて、我が家にも相当複雑人間関係もつれがあったのだ、と気づいたのだから、私の薄ぼんやり度も相当なものだ。


 敏ちゃんは、面倒くさいことは全部人任せというタイプだから、婚姻届出生届もいっさいタッチしていなかったろう。
 美代ちゃんはお嬢様育ちだから、婚姻届のことには頭が回らず、出生届けは始めてのお産のあとで、心身ともに消耗していたろうから、これまた頭に浮かばなかったろう。


 まあ、そういうことの担当は、小崎の伯母さんと、まだ生きていた伯父さんぐらいだったと思われる。
 戦後のどさくさの、食って行くだけで精一杯の頃だから、自分のでもない婚姻届を忘れることはあっても、不思議ではない。


 しかし、「器量良し」のお兄ちゃんが生まれたときに、婚姻届を出さなかったのはどういうことだろう。出生届けを出したくても、戸籍上敏ちゃんは結婚していない。普通なら慌てて婚姻届を出すはずだ。
 ところが、翌年の6月になって、ようやく出している。
 これは、私の生まれる6ヶ月前。私を身ごもったことが判明した頃だ。

探偵


 そこまで延ばしたわけはなんだったのだろう。
 ただのズボラだったのだろうか。
 なにか隠された意図があるような気がしてならない。
 悪意すら感じる。


 彼らは、美代ちゃんを早く追い出したかったのではないだろうか。婚姻届が出されていなければ、離婚届も必要ない。出て行け~!の一言ですんでしまうのだ。
 なんてことを、二十歳そこそこの生意気盛りの頃の私が問い質すと、小崎の伯母さん、涼しい顔で、


「あんた探偵小説の読み過ぎだよ」
 
 inu なんかミステリーっぽくなってきたなあ。得意の分野だ。
 次回に続く~

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