”『あなたの子どもを加害者にしないために』” | 日々是好日

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母になり育児に奮闘中。
モンテッソーリ教育的視点を持って、育児したい!


 

コメントをさせていただこうとして、纏まらずリプログでほかの方にも紹介したく記事にしました。

 

なんというか、「少年A」の事件は、かなり衝撃だったので、今でも記憶にあります。。

では、母親が違えば、そんな事件を起こさなかったのかそれはどうかは分からないなぁとも思いますが、

 

遺伝ではなく、環境が人を作るのだろうな、というのも思うので、

私自身の事も、顧みたりしながら、記事を拝見しました。

 

と同時に、自分自身もここに紹介されているような「お膳立て症候群」もあり、教育熱心でもあると思いますので、

それが悪い方向に行かないために心に留めておく必要があるよなぁと思いながら、、、。

 

今「明日の約束」というドラマをしているのを私はみたことがないのですが、

中高時代の友人との話で、「自分が毒親にならないか不安」という話をしていてこのドラマの話が出ました。

(参考までにhttps://dorama-netabare.com/archives/25196

 

 

友人はドラマの中で、母子が交換日記をしていて、そこまでの内容でないにしても「今日は出来んかったけど明日は出来るようにしような」っていう私は、何が違うんだろう。。と言っていた。

確かに、私も友人も長女で、どちらかというと褒めない親に育てられている気もするので、どうも褒めない育て方をしている自分たちへの自戒にもなりました。

 

そう考えると、今回ご紹介いただいた本の

理屈を言い聞かせる行為は、相手に自分の思いを伝えることではなく、相手を説得してコントロールすることに主眼があります

という点に私はすごく納得もしたし、気を付けなければと思った点でした。

 

私自身、長女として責任感も持っていたし、一時期は「親(特に母親)は、自分自身のことよりも世間体ばかりを気にしている!」と感じてしまっていた時期もあります。結婚相手に対する希望なども、母親がウンと言わない相手を考えることは無意識のうちになかったと思うのですが、

今さほど嫌悪感を抱いているわけではありません。

でもそれは、何事にも人数の数だけ正義があるし、人の数だけ思いがあって、だけど、一緒に暮らす中でお互いが影響を受け合うのは仕方のことないだし、考えれば考えるほど「親」というものの難しさと責任を感じて、育児しづらくなってしまうなぁと思ったりもします。

 

過干渉ではなく過保護で。って難しい。

 

そして、「命」の大切さを学ばせるって難しいけど、

一つには、宗教的な事も大切なのかなぁとも思ったりします。

 

私自身は無宗教者です。

ですが、中・高時代はカトリック系。大学時代は仏教系だったもので、

それなりに宗教を学んできて、そこらへんが心の強さやストレスを回避する事に少しはいい作用があった気がしているのです。

宗教は心の中で思うものであって、それをひけらかして何かを起こしたり広めて勢力を作るなんて事では本来はないのであって、

そういう宗教が世界紛争を起こしていることが残念でなりませんけど・・・。

 

哲学でもいいし、本からでもいい。(中学時代に私は「氷点」にかなり影響を受けましたw)

何かを感じ取れるものは、芸術や勉強以外の物であった気もしています。

 

仏教では、「私」なんてものは無い。「自我」なんてものはおこがましく、私は伸び続ける爪一つをとっても、伸びるのをやめさせることは出来ない。私らしきものが周りの人々によって形作られている。周りによって生かされている。

だからこそ、昔の日本人は、長男としてもプレッシャーも受け入れていたし、昔のお母さん方が息子がすべてであっても、それでもそれは良い事とされたのだろうと思う。それは、お母さん自身の評価ではなく、お母さんも息子さえも先祖からのおおきな流れの中で、次への世代へとつなぐ役割として存在しているのだという感覚に近かったのではないかなぁとも思ったりします。

より動物としての本能的な。種を存属させるための、子を自立させるためだけの育児。そのための親の犠牲。

 

だからといって、自由に母親も生きがいを持てる現代を否定するわけではないのですが、親が生きがいを持てば、いいというわけでもないし、

親が子を思う事は悪ではないはずなんです。ただそのさじ加減とバランスが難しいなぁと思いました。

 

まさに、今月発売の

こちらのはなまる学習会高濱先生とアグネスチャンとヤフーCSO安宅さんの【AI vs 人間】対談でも少し話に出てましたが

 

周りの子と比べてもいけないのは分かっているけど、社会は比較システムの上に成り立っている。

 

だからこそその中でも生きていける力をと思って過度に肩に力が入ってしまうのも本当なんだよなぁと。

 

ただ、やはり『観察』。モンテッソーリ教育を知っていたことは、本当に私にとっては救いである気がしています。

知らなければ、もっと知識だけに偏った教育ママになっていたかもしれない。。。

そう思うと、こういう本を紹介してくださるちゃこさん感謝です。

 

 

とはいえ、さほど知育的な事をしていない私ですが、(笑)

それ以上に理屈で息子のしつけをおこなおうとしている事の方が、型にはめようとしているのでは、、、と恐ろしくなりました。

とはいえ、汚い言葉よりきれいな言葉を使ってほしいし、綺麗な食べ方をしてほしい。。。

なかなか難しくまだまだ修行中ですが、いわゆる「毒親」にならないように気を付けなければと思っています。