私のお気に入りの映画の一つに、『アラビアのロレンス』というのがあります。
第1次大戦中、オスマン・トルコからのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を率いた、イギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスという実在の人物の、アラブを民族独立に導き、砂漠の英雄となりながらも、歴史の激流に翻弄され苦悩していく姿を描いた、歴史(戦争)映画の名作です。
照り付ける太陽とサハラの大砂漠。その中をラクダに乗って進む人間の小さなこと・・
そこに音楽が流れてくるだけで、胸に迫ってくるものがあるの・・
好きだなあ、こういうスケールのでっかいの・・
この映画の途中、ロレンス氏の人柄を感じられる場面が随所にあるのですが、その中の一つにこんなシーンがあります。
ロレンスが、敵対国トルコの要衝アカバを目指して、アラブの勇者50人くらいで歩いていくのですが、アカバまであとわずか、というときに、ガシムという部下がラクダから落ちて砂漠に取り残されていることに気が付き、ベドウィンたち(アラブの勇者たち)が止めようとする中を、ただ1人、引き返すのです。ロレンスはガシムを救い、アラブの一員としてベドウィンたちの信頼を勝ち取り、その後アカバを占領し、ダマスカスへ向かいます。
最終的に、民族をオスマン帝国から開放させることに成功するのですが、
その、ガシムを救い出すときの会話が特に印象的でした。
ロレンスに見つけられたガシムは、自分の命を諦めるかのように、こう言っていました。
「これは(自分がここで死ぬのは)運命です。神の思し召しです」
すると、ガシムを抱きながら、ロレンスが強く返すんです。
「運命は切り開くものだ」
この時聞いたこのことばが、ず~~~~~っと脳裏に焼き付いて、離れませんでした。
こういうことばに触れるのを、まるで自分が待っていたかのような、
どうしてなのか分かりませんが、何か、琴線に触れたような感覚になったのでした。
そして、どうしてそのことばに惹かれたのか、それは社会人になって、それも今の仕事を通じて、いろんな方を知ってから、その意味を知ることとなり・・・
素晴らしいことももちろんん、いっぱいありましたけれど、辛いなあと思うこと、苦しいことも、いろいろ、体験もあって・・今があるんですが、
苦しいまっただ中にいる時には、さすがに、自分のカルマのような、運命の循環のようなものがあるんだなと、初めて考えるまでになっていたのですね。
一昨年のことばのちからで書いた話は、けっこう辛い状況だった時のことでありまして、ネームチャントやボイトレは、知人から奨められて、事態を打開しようと試してみたことの一つでした。
人間性よりもパワーを重視しているところに疑問を感じて、結局リタイアしちゃいましたが。
そしてちょうどこの頃、昨年の中庸の人で紹介した「忍辱」の解説者の、別の書物をたまたま見つけ、そこに「運命の開拓」というのを見つけ、そこに書かれていることを、
・・自分につなげて考えるという頭もなく、なんとなく読んでいて、目に留まった箇所がありました(借りて読んだもので今は手許にないので、話のニュアンスだけですが)。
まず、運命は決まったものがある、ということ。
・・ベドウィンたちの言うことと、合っているね。
その運命は変えることができるということ。
・・ロレンスも、確かに合っている。
運命を切り開く、最大の決め手は何か。
・・なんだろ・・
私は、先ほどのロレンスのように、自力で切り開く強い意志と実行力、これこそがもっとも大事だと思っていました。ところが、もっと違うことばが出てきたんです。
え・・と、少し正確に伝えるなら、
運命の開拓を妨げるものは何かとあって、その答えにこうあったのです。
「優越感」と「劣等感」である。
意外でした・・
私はてっきり、能力的な問題だと思っていましたから。
でも、そこには能力について触れるものはありませんでした。
この書いた人の話、私とても気に入っていて、座右の銘のようにしているところがあるんです。
用いることばが的確で、そこに書かれている歴史的解説などは、史実などと寸分の違いもなく、また先見の眼の鋭さ・・一つ一つの使われる意味にちゃんと裏付けがあるので、勉強になるんですね。
そういう書物に、能力のことを無視して(後回ししてと言うべきかな)優劣の意識だとあったので、・・今も理由がわからないまま、でもそれに照らして周りを眺めていると、確かにそうなのかもなあ・・と思えるものがあるのですね。そのいい例が、
結弦くん です
彼は、「絶対に勝ってやる!」と言って、努力を惜しまない人ですし、
着実に力をつけ、輝かしい成績と確固たる位置を与えられました。
そして美しい風貌と人間的な魅力から、世界中に、ファンもわんさか、います。
その彼は、自分の武器は?と聞かれ、率直に、全部ですと答える。
全部ノーミスでやったら、誰にも負けない、と言う。
見る人によっては、自信家だなとも思われる話です。
でも、それは選手としての自分を冷静に見る分析で、決して驕ってはいないのですよね。
優越感も劣等感も(結局は同じものですよね)、心の中のことだから、結弦くんの内面がどうだなんてわかるものでもないんですけど、でも、オン・オフのいろんな場面での彼を見ていると、
人と自分を比較して、驕りのようなものも、卑屈になるようなところもみたことがないし、想像がつかない。やっぱり、優越感や劣等感があるようには見えないんですね。
結弦くんは、これまでも、おおきな試練がいっぱいありました。
その大きな試練を、いくつも乗り越えてきました。
試練を乗り越え、自分を乗り越え、結弦くんにつながるあらゆるものを、切り開いてきました。
(追記)
そして今回、昨年の11月に、試練が起きた。これが彼の、運命と言えば運命。
そういうカルマなのかなあ・・必然的だったのかも、とも思えることでもあります。
けれど、そこでは、もう一つの見方もできるものがあります。
それは結弦くんだからこそ、与えられたものだというもの。大きな器を持つ人は、さらなる試練を与えられて、これに打ち勝つことで、さらに与えられるものもあるかなと。
もっと、もっと、大きなプレゼント。
まるで用意をしているかのように。
結弦くんは、そこに隠れていた神さまからのメッセージをはっきりつかむのではないかな。
見事に、試練を乗り越えて。重かったものを、
ひょいっ・・
と持ち上げるように、笑って、さ ね
いちばん笑顔のお写真・・・ (つ∀<。)
遅まきながら、最新?の笑顔なので・・私も貼っときます~
そうして、この試練のことを通じて、彼は自分の「運命を切り開く」何かの手応えを感じ、この先、何か更なる進化をしていく、ことになるかもしれません。
アラビアのロレンスのように運命を切り開く、彼のことばは、今は何だろう。
私たちがこれまで聞いてきたもののほかにも、何かあるかもしれません。
ただ強い意志や力があるからだけではなく、試練を乗り越えるのに必要な、
運命を切り開くのに必要な条件。それが結弦くんには、備わっていることだけは、確かでしょう。
風邪やインフルエンザが流行っているので、体調が崩れず、無事に練習できていますよう。
平昌の個人戦の舞台では、最高の羽生結弦になっていますよう・・願ってやみません。
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