今からちょうど、40年前の今日、
1972年(昭和47年)あさま山荘が陥落しました。
あさま山荘事件は「連合赤軍」の幹部ら5人が19日から立てこもった事件です。
別荘管理人の妻YMさんが人質になっていました。
この日、誰もがテレビに釘付けになり、交通事故が今までの中で一番少なかったということです。
後日談で聞いた話しですが、機動隊の人たちのお弁当がマイス20℃の中で凍ってしまい、それで前年に発売された日清のカップヌードルが大活躍したそうです。
それはともかく、人質になっていたYMさんが、無事に救出してほしいと、心から願っていました。
1トンの鉄球で建物を壊したり、放水したり、警察部隊が攻撃、連合赤軍の犯人は容赦なく銃を撃ってくる
。
日本という国で行われているということが信じられませんでした。
しかし、犯人を全員逮捕し、人質になっていたYMさんが無事に救出されました。
40年前の今日は月曜日でした。
中学生だった私は、学校から急いで帰って来て、テレビの生放送を見ていた記憶があります。
しかし、本当に驚いたのはこの後の総括と称して、リンチで仲間を12人、次々と殺害していたことです。
震天動地って、こういう時につかえるのかな。
本当に震天動地の大事件だったと思います。
どうしても、解らないのは、大学生の人たちがなぜ、こんな幼稚なことをしたのかということです。
連合赤軍のほとんどの人たちが、東京大学生や京都大学生、要するにエリート大学生なのです。
日本に革命を起こすという名目で、
山岳ベースで軍事訓練を行っていた訳ですが、いくら、この事件に関連した書物を読んでも、私の頭では理解不可能なのです。
幹部の森恒夫や永田洋子に至っては
、正気を失った人としか思えません
。
実際、正気を失っていたのでしょう
。
森恒夫は翌年の元旦に自殺をしました。
その時、永田洋子は「森さん、ずるい!」と、叫んだそうですが、本当に何のための革命だったのか、解りません。
永田洋子も昨年2月6日、65歳で脳腫瘍で亡くなっています。
永田洋子の元夫でナンバー2だった死刑囚坂口弘は刑が執行されていません。
クアラルンプール事件で国外に逃亡し、国際指名手配になっている板東國男が逮捕されないと、事件が終わったことにならないので、執行されないそうです。
加藤3兄弟の長兄がリンチ事件で殺され、弟の2人(それぞれ19歳と16歳)はあさま山荘事件の5人の中の2人に入っていました。
親はどんな気持ちでしょう。
親の気持ちを思うといたたまれません。
この年、1972年(昭和47年)は、2月3日から札幌オリンピックが開催されていました。
日の丸飛行隊と呼ばれた笠谷選手らが、金、銀、銅のメダルを独占しました。
あの時、可愛いらしいジャネット・リンもフィギュアスケートで、癒やしてくれました。
失敗してしりもちをついても、ニコッと笑う彼女から、当時の私は勇気をもらったように思います。
そんな、華やかな祭りの後に、こんな凶悪な事件が起きるとは、子どもの私は混乱しました。
連合赤軍の奴らには、日本で行われている冬季オリンピックなんて、どうでも良かったんだろうな。
いくら、勉強が出来ても心豊かに成長していなければ、人間としてあまりにも寂しい。
日本を良い国にしようと考えたとしても、銃やお金を盗んでまでやるのは、やっぱり異常でしょう。
正気を失い、革命依存症になってしまったと考えれば、奴らのしたことは少し解るのかな。
やっぱり、解りません。
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