先日、またフラダンスと手話ダンスの発表会に出ました。
これで数えるところ5回目になります。
全てうまくいって、何の問題もなく、最高に楽しい一日でした!
発表会のことを語るには、そこに至るまでの経緯を説明しないことには始まりません。
今回は無理かもしれないと、ずっと心の片隅で思っていたから。
すごく楽しみにしてたら、ダメになった時にすごくガッカリするから、あまり楽しみにしないようにと肝に銘じていました。
私は超高齢の父母を抱えているので、いつ何が起こるかわかりません。だから急に発表会に出られなくなるかもしれないと、覚悟している必要があったのです。
幸い父母は二人とも落ち着いているので、このまま現状維持していてくれたら出られる。
どうか発表会が終わるまで何事も起こりませんように、と祈って、毎日が綱渡り状態でした。
ところで、前回の発表会はと言うと、去年の6月でした。
その時は、「最後かもしれない」と思って、子どもたちや孫たちにも見に来て貰ったので、これでもう思い残すことはない、燃え尽きた。
と思ったのに、また燃え盛ってしまうとはー!
振り返れば、前回の発表会の時は、母は骨折してリハビリ病院に入院中でした。発表会が終わった後に退院して来たのですが、間もなく胃痛で殆ど食べられなくなって、検査して胃がんだとわかったのでした。
それで私はフラダンスのレッスンにも行かれなくなって、暫く休会していました。
酷暑の夏の間、私はストレスで胃炎を起こし、私の方こそ先に死ぬんじゃないか? とまで思いつめて辛かった。
ところが母はすごい生命力で、生死を彷徨ったにもかかわらず見事に復活して、去年の10月末に退院して来ました。
でも、これから在宅介護をしていくのなら、自分も大事にしないといけないと考えを改め、私のダンスのレッスンや手話の勉強会がある曜日に、母にはデイサービスに行って貰うことにしたのです。
そういうわけで、去年の11月からまたダンスのレッスンにも戻ることができています。
今回の発表会の日にちが決まったのは、レッスンに復帰して間もない頃で、去年の12月のことでした。
でも1年も先の話なので、その頃超高齢の父母がどうなってるかわからないから、無理かもしれないなあ~? と思いつつも、一応出るつもりで、皆と一緒に新曲の振付を少しづつ教わっていったのですが。
母は手術で胃を8割も取って、十二指腸も塞いだのにもかかわらず、食べること食べること、呆れるほどの食欲!
それで、胃がん手術後だとは信じられないくらい、元気になっていました。
そうこうしているうちに、発表会に向けてレッスンは佳境に入っていきます。
衣装もオーダーメイドで誂えてしまったし、フォーメーションのレッスンに入ったら、私の立ち位置はなぜか前列になってるし。
娘に「私は前列なんだよ~、一番目立つところで踊るんだよ~」と自慢したら、娘は「じゃあまた見に行くよ」と言ってくれたのです。
いやいや、前回見にきてくれたからもういいのよ、無理しなくても、と私は言ったけど、娘は「無理じゃないよ」と言うので、そう? それなら見に来て貰おうかな?
というわけで、また娘と孫2人と息子2人の5人が見に来てくれることになったのでした。
しかし、前列ってことは、見る人がいないわけで、自分一人で踊らなければならないので、ちょっと焦りました。
今まで殆ど後列だったから、前列の人を見ながら踊れるので安心だったけど、今度はそうはいかない。
それで必要に迫られて、毎日家で自主練習するようになったのです。
という話を友人にしたら、「家の中に練習する広い場所があるの?」と聞かれたが、それがあるのよ~、防音対策もしてある8畳の空き部屋が。
そこはかつて兄が結婚する時に、2階に増築した部屋なのです。でも義姉は母の嫁いびりに耐えられず、数年で出て行ってしまったんだけどね。
それが今や、私のダンスレッスン室として活用することになるとは。もっとも、実際の音楽はかけずに、頭の中で音楽を鳴らして練習していました。
余談だが、母は「手をついて謝りに来たら許してやるつもりなのに、謝って来ない」と義姉に対して怒り続けていましたが、数年経ってついに、
「私はお義母さんの介護はしません! 一人で生きてください!」
と、決別宣言をされてしまったそうです。
そういうわけで、母は一生かわいい息子と住んで嫁に面倒みて貰うつもりだったのに、それがなんで、できの悪い娘の方なんだ、と不本意なのです。
もっとも母は、私の世話になっているという自覚は殆ど無い。
自主練習を積んで踊りこなしていくにつれ、発表会に出たい気持ちがどんどん膨らんでしまって、これではいけない、気持ちをセーブしなければ、と思いつつも、わくわく感が止まらない。
もうこうなったら絶対出たい! と思って、兄に家に来て父母のお世話をして欲しいと頼むことにしました。兄は快く引き受けてくれたので、これで安心。
父にも許可を得ると、「気分転換してくればいい」と言われました。
気分転換? そんなもんじゃないわよ、アイデンティティなのよ。
これは父に対する反抗的な気持ち。
この家で超高齢の父母と同居していると、私はいつまでも父母の子どものまま。外出するのも父の許可を得なければならないし、いつも気を使って、窮屈な生活をしている。
お金があるんだから文句ないだろう、と父は思っている。確かにお金には不自由ないが、精神的に不自由だって、なんて贅沢な悩みだろう、甘えてるんだよね、私は。
父は、私に24時間家にいて母の面倒をみて欲しいと希望している。それは知ってるけど、私はどうしても我慢できない。
そして発表会の日も迫った、5日前のこと。
母が家の中で転倒していた!
その時私は、母の身を案じるよりも先に、
「発表会に出られなくなった!?」と思った。
私は母よりも自分のことしか考えてないのね、真っ先に自分の心配をしたんだから。
幸い、母は転んだけど自力で立てなくなっていただけでした。介助で立たせてベットに座らせて、無事を確認できました。
転んだところは見ていないのです、私は外出していて、戻ってみたら母が床に転がっていたわけで。
こんなことがあるから、長時間家を空けていられないのよ。
だから兄に家に来て貰っていれば、私は安心して発表会に出かけられます。母のことを忘れていられる。
ところが、発表会前日のこと。午後、明日の荷造りをしている時でした。
突然、右眼に黒いものがパッと広がったのです。水の中に墨を落としたような感じ。
「眼底出血した、ヤバイ!」
眼底出血(網膜出血)は、過去に何度も繰り返しているので、すぐにそれだとわかって絶望的な気持ちになりました。
発表会直前に父母に何か起こることばかり案じていたけど、まさか自分自身に問題が起こるとは思わなかった。
でも幸い今回は軽症だったみたいで、出血は止まった様子で、翌朝には気にならないくらいまで血は散らばっていました。
これを書いている今もまだ右眼に違和感があって、根詰めてパソコンをやってはいけないと思うのに、こうしてパソコンでブログを書いてしまっています。
ここまでが前置き。
すごく長い前置きを書いてしまったー。
ここで一旦ブログを閉じて、次回のブログで楽しい発表会の話を書こうと思います。











