母が退院しました | 風の音がきこえる

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中途難聴者のブログです。高度難聴で、聴覚障害4級です。
2015年7月末に突発性難聴を発症。その後、進行性の内耳自己免疫病と診断され、進行を抑えるとされる免疫抑制剤を定期的に服用しています。実家で超高齢の父母と3人暮らしです。

 

 一昨日、93歳の母が無事に退院して自宅に帰って来ました。

 ゴールデンウイーク中に家の中で転んで骨盤3ヶ所骨折して救急搬送の後、リハビリ病院に転院して、トータル約2ヶ月間で寛解に至りました。

 2ヵ月前は、もう今度こそダメだろう、一生歩けなくて寝たきりになるだろう、と思ったのに、またまた復活するとは、すごい生命力!

 

 95歳の父もそうで、お正月明けに胸椎圧迫骨折で動けなくなった時には、いよいよもうダメかと覚悟したのに、復活してきています。

 とは言っても、二人とも確実に弱っていて介助が必要なので、私は仕事をやめて家にいるのです。

 

 父には体が衰えている自覚があるから問題ないけど、母は若い頃と同じように一人で何でもできると思っているから、対応が難しくて困ります。

 だから、退院して帰って来た途端に喧嘩になってしまって…。

 

 あー、母が入院中は父と二人暮らしで、平和だったなあ~。

 この2ヶ月間は、私の聴力が良くなっている実感があった。

 なんでだろう? あ、そうか、母に対するストレスがないからだ!

 補聴器を着けていても聞こえ難い母との会話は苦痛で、聞こえない声を聞こう聞こうとするとストレスがかかって聴力が悪化してしまう。

 実際、母と話していると耳鳴りが大きくなっていって、最初は聞こえていたのがだんだん聞こえなくなっていくのです。

 

 母は、入院中はしおらしくてかわいらしいおばあちゃんだったのに、家に帰って来た途端にマウントを取ってエバって、憎ったらしいったら!

 

 リハビリ病院では、夜間はポータブルトイレを自力で使用して、日中はナースコールを押してU字型の鉄パイプの歩行器でトイレに連れて行って貰っていました。

 PTからも、転倒リスクが高いので見守りが必要だと言われています。しかし家の中で歩行器は使い難いので、伝い歩きが良いとのアドバイスを受け、退院前にベットからトイレまでの導線に手摺りや縦棒を複数設置しておいたのです。

 それが功を奏して、母は家に帰って来たら手摺りに掴まりながら歩いてトイレに行かれるようになっています。

 

 

 

 手摺りと言っても、このように置くだけなので、工事不要で簡単で便利。レンタルなので不要になったらいつでも引き取ってくれるし。

 

 それでも転倒する恐れがあるので心配だから、退院直後はずっと付きっきりでいました。

 しかし母は、「余計なお世話よ!」と怒るのです。

「命令しないでよ!」

 私には命令しているつもりはなく、母が自分ではできないと思ってあれこれ世話を焼いているだけなのに、何をどうしても怒るので、

「ああそう、じゃあ、好きにしてください!」

 売り言葉に買い言葉、喧嘩になってしまいました。

 私は介護福祉士だから、こんな時の対応の仕方は心得ているはずなのに、仕事だったらできるのに、実の母だとつい感情的になってしまう。

 

 もう2階の自分の部屋に籠って、頭を冷やして来よう。

 でも階下から父に「おーい」と呼ばれても、難聴の私には聞こえないので、センサーを準備してあります。

 

 

 ボタンを母のベットに置き、トイレに行きたい時や私に用がある時はこのボタンを押してね、そうしたら2階にあるこのセンサーが光るので、すぐに階下に行くから。

 

 

 

 …よく考えてみたら、確かに命令してたわ。

 

 口腔ケアを自分でするのを見守ってたら、部分義歯を外さずに歯磨きしているので、外してから磨いてと私が言うことを聞かず、「外したら失くすから着けたままでいいのよ」と言って頑として外さないので、私はきつい口調で説教してやっと外させたのです。

(これって7年前と同じこと。母は入院したら7年前に戻ってしまったのね? 7年前に私が同居を始めた時、母の口腔内は酷かったのです。義歯を着けっ放しで虫歯と歯周病と口内炎で、痛くて食事がまともに摂れない状態だった。それを私が歯科医に連れて行って、義歯を外してポリデントに浸ける習慣を付けさせた成果で、母は食事がちゃんと摂れるようになって、ADLも向上していったのです)

 

 それから、今日私が都知事選の投票に行っている間に、母は便失禁をしていました。それで母は汚れたズボン下を洗面台で洗って洗濯物入れに入れていたので、私は洗面台で洗わないでと注意したのです。しかも洗ったんじゃなくてただ濡らしただけで、便が付着したままでビショビショ状態だったのよ。

 私は失禁したことを怒ったのではなく、洗面台が汚染されたことを怒ってたんだけど、言い方がきつかったよね? 

 

 母は入院してて何が辛かったかって、次はこれ、次はこれ、と一日中指図されているのが嫌だったと言います。

 だから早く退院して、好きな時に寝たり起きたり食べたりできる自由な生活に戻りたかった。

 それなのに、退院して来たら今度は娘が口うるさくあれしろこれしろと、自由にさせて貰えなくて、母は怒ったのでしょう。

 

 私は考えを改めることにしました。

 とにかく母の転倒リスクを回避することばかり考えていて、母の行動制限を強いていたこと、それでは母にとって入院中と同じことなんだと気付いたのです。

 

 もう転んだら転んだで自己責任よ!

 と割り切って、母のやりたいように自由に行動させることにします。

 

 トイレも一人で行かれるって言うんなら、一人で行っていいよ。

 夜間帯は危ないからポータブルトイレを使って欲しいけど、ウォシュレットを使いたいから夜間もトイレに行きたいと言うので、もうそれでも構わないよ。

 本来、自分でできることは、できるだけやらせたほうが良いのだから、トイレも一人で行かれる自信があるのならそれで良しとしよう。

 

 そうしてみると、ADLは入院前とそんなに変わらないことになるね?

 私も、心配し過ぎていたのかもしれません。

 もっと気を楽にした方が良いのかもね?

(でも、いくら自由にって言っても、便付きの衣類を洗面台で洗うのはやめてよね。義歯もやっぱり外して洗って欲しいし、そこは譲れないよ!)

 

 

 ちなみに、この室温計はとても役立っています。兄が先月、父の95歳の誕生日にプレゼントしてくれた物。

 父は老化のせいか暑さを感じ難くなっていて、暑い部屋にいても平気なので熱中症になる恐れがある。私が暑いと言っても信じないので、この室温計で判断してエアコン調整をして貰っています。