退職しました。 | 風の音がきこえる

風の音がきこえる

中途難聴者のブログです。高度難聴で、聴覚障害4級です。
2015年7月末に突発性難聴を発症。その後、進行性の内耳自己免疫病と診断され、進行を抑えるとされる免疫抑制剤を定期的に服用しています。実家で超高齢の父母と3人暮らしです。

 約6年半勤めた介護施設を退職しました。退職願いは3月頭に出してあるので、日を改めて私物回収に行きました。職員の皆様へお礼のメッセージとお菓子を持って。

 

 お菓子は何にしようか? 結構迷いました。

 普通は、お菓子がたくさん入った箱を置いて、自由に取って貰う形が多いです。でもそれだと、久しぶりに出勤してみたら「あっ、無い、空っぽだ~」ってことがよくあるでしょ?

 以前、個別に手書きのメッセージカード付のお菓子を貰ったことがあって、それは嬉しかったなあ~。でも私は字がヘタなので、手書きのメッセージは苦手。

 何の前ぶれもなく、突然消えてしまった職員もいました。あれはショックだった。親しくして貰ってたのに、何で? お別れの挨拶くらいしたかったのにって、モヤモヤが残っています。

 だから私は、最後はキチンとしたいと思っていました。立つ鳥跡を濁さずって言うでしょ? 

 

 

 伊勢丹地下のお菓子売り場へ探しに行って、きれいな個別包装になっているモロゾフのお菓子に決めました。

 全員にちゃんと渡るように職員人数分買って、Wordで書いたメッセージの他に、受け取りチェック用紙まで作っちゃった。

 職員は今22人だけど、念の為予備に2袋と、私の味見用に1袋で、全部で25袋買いました。

 これで約一日分の給料の金額になるね。でも有給休暇が12日分も残っていたので、退職前の給料に全部付けて貰えることになったからいい。

 

 

 お菓子は全部で8種類あります。クッキー4種類とチョコ4種類。ピンク色の袋は桜をイメージした春バージョンらしい。

 

 

 そして私が選んだのはこれ、ラウンドプレーン(セミスイートチョコレート)。

 

 

 ロッカーの中も空にして、鍵を返しました。

 ずっと使っていた、ふなっしーのキーホルダーを外して…。

 

 

 この赤いメガホンも、貰って帰ることにしました。

 これは、私がここに入ったばかりの頃に、Yさんという男性職員が試しにダイソーで買ってきてくれた物なのです。

 当時、難聴の職員を雇うのは初めてだったそうで、職員の皆は私をどう扱って良いかわかりませんでした。

 それは私も同じで、補聴器を着けて働くのは初めてで、お互いに試行錯誤状態でした。

 その中でもYさんは、私の難聴を理解しようと親身になってくれていました。だからメガホンを買ってきてくれた時も、その気持ちがとても嬉しかったのです。

 

 

 このメガホンの使い方は、普通とは逆向きにします。つまり、小さい口の方を自分の聞こえる耳にピッタリ当てて、相手には広く開いた所から喋って貰うのです。するとダイレクトに声が耳に入ってくるので、良く聞こえます。

 これは、補聴器よりも良く聞こえます! 補聴器だと、周囲の環境音がジャマするので、静かな所でしか有効ではありません。でもこのメガホンだったら周囲の音は入らないから、聞こえやすいのでしょうね?

 例えばスーパーのレジとかでも、これを使ったら店員の声が聞こえるだろうと思ったけど、外でこんなもの使ったらビックリされるよね? ふざけるな!って。頭がおかしい人だと思われる。

 職場でも、往診の先生の小さい声が、これを使ったら良く聞こえるのになあと思ったけど、思っただけ。

 結局、職場では全然使うことはありませんでした。

 それに今ならメガホンに代わるワイヤレスマイクがあるし。

 

 ところが我が家では、そのメガホンが今でも実に役に立っているのです!

 Yさんからダイソーに売っていたと聞いて、自宅用にすぐに買って来ました。色違いで黄色のを。これを使ったら母の小さくて滑舌の悪い声が実に良く聞こえたので、6年半経った今でも毎日使っています。母が私に話しかけてくる気配がすると、「ちょっと待って」と言ってメガホンを取ってきます。

 母の声は補聴器を着けていても全然聞き取れず、無理に聞こう聞こうとすると、耳鳴りがうなりを上げてゴウゴウと大騒音になってしまいます。

 母は聞こえない私の方が悪いと思っているから、大きな声で話そうともしないし、筆談も絶対にしません。

 今ではそんな母との付き合い方にも大分慣れたけど、7年前に同居したばかりの頃は苦痛で仕方なかった。目が合うと必ず聞こえない声で話しかけて来るので、目を合わせないように、話しかけないでオーラを出していました。話しかけられる度に身構えて、ストレスを感じてしまう。

 母はお喋りが好きなので、時々メガホンを使って根気よく聞いてあげるけど、「なんでこんなに苦労してどうでもいいことを聞かされなければいけないんだ」と思う私は、冷たい娘だよね。

「亡くなった後に、もっと話を聞いてあげれば良かったと後悔するから、生きてる今のうちにたくさん話を聞いて親孝行した方がいいわよ」

 と、友人から言われたことがあります。でも、私は健聴の頃に、母のお喋りを一生分聞いてあげたと思う。北海道にいた時でも、親孝行だと思って電話で愚痴をたくさん傾聴してあげてたから。電話代は向こう持ちだったけど、母は2時間以上喋り続けていることもよくあったのです。

 だからもう勘弁して欲しい。

 母はデイサービスに行くと一日中喋っているそうです。お喋りならそこで思いっきりしてくればいいでしょう? 

 メガホンの話から、つい、母に対する愚痴の方へ話が逸れてしまいました…。

 

 

 父から、「そろそろ同居してお母さんの面倒を見て欲しい」と言われたのは7年位前のことでした。今から考えると、その頃父は第11胸椎圧迫骨折していて、自分のことで精一杯なのに、毎日母の面倒を見ながら愚痴を聞かされていて限界状態だったのでしょう。この前レントゲンを撮った時にそれがわかりました。父が今回圧迫骨折したのは第12胸椎でしたが、過去に圧迫骨折して治った痕があると言われたのです。7年前の時は、別の整形外科に父は一人で通っていましたが、レントゲンは撮ってなくてただの腰痛だと思っていて、一年間もロキソニンを飲み続けて腰に湿布を貼っていたそうです。

 一方私はその頃、内耳自己免疫病と診断されて初めて免疫抑制剤を飲むことになったばかりでした。まだギリギリで障害者にはならず、聞こえるフリをして有料老人ホームで働いていました。

「仕事をやめて、24時間おかあさんの面倒を見てほしい。ここに来れば生活に必要な物は全部揃っているから、何も持たずに身一つで来ればいいんだ」

 と父は言ったのです。でも私は仕事をやめるのは嫌だったし、身一つで来いだなんて、それはあんまりよ!

 ところが実家に引っ越して3ヵ月後に、2度目の突発性難聴を発症して両耳とも全く何も聞こえなくなって、本当に仕事をやめてしまいました。引っ越しのストレスのせいだったと思います。

 ステロイドで聴力は少し取り戻せたものの、もう聞こえるフリができるレベルではなく、ハローワークに通いながら障害者手帳6級の申請をして、初めての補聴器を購入してから、新しい介護施設に就職したというわけです。

 ハローワークに通っていた無職の5ヵ月間は辛かったなあ。雇用保険料が入るから無収入ではないものの、ニートみたいな気持ちだった。

 私は父の年金で暮らせるのに、なぜ働きたいのか、父には理解できません。

 お金の為だけど、それだけじゃないのです。高度難聴でもちゃんと働ける自分に自信が持てるから。

 でも実家で暮らしていて私が仕事にでかけることは、父から見れば趣味のお稽古事に通っているのと同じこと。だから私は一度も疲れたとか仕事の愚痴は言いませんでした。

 父母のお世話で仕事との両立が困難になったら、仕事をやめる約束だったので、今が潮時なのでしょう。6年半も働けたから、もういいかな…?

 

 

 帰り道、コブシの花が満開になっていました。