(大阪府大阪市中央区にある大阪城。現在の天守閣は3代目で1931年[昭和6年]に完成した鉄筋コンクリート造りの復興天守だが、2025年[令和7年]現在、築94年で、これは歴代大阪城天守閣の中で最も長い。初代は1585年竣工し1615年大坂夏の陣で焼失[築30年]。2代目は1626年竣工し1665年落雷で焼失[築39年])
第107代天皇 後陽成(ごようぜい)天皇⑬ 在位期間1586年~1611年 なお、「⑬」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系13代遡る」という意味です。
和仁(かずひと)親王。1598年に諱を周仁(かたひと)と改めた。正親町天皇⑮の第1皇子である誠仁親王⑭ ※1 の第1皇子。後水尾天皇⑫の父。
1571年生まれ。14歳(数え16歳)で即位。
治世の前半は豊臣秀吉 の時代で、秀吉とは良好な関係にあり、皇室経済も回復してきた。1588年聚楽第(じゅらくていorじゅらくだい。1587年完成。現、京都府京都市上京区)を行幸したエピソードや、1600年細川幽斎(藤孝)が討死してしまうと古今伝授が絶えてしまうため勅命を発して丹後田辺城の戦いをやめさせたエピソードが知られている。
しかし、治世の後半は徳川家康 の時代で、1609年の猪熊事件 ※2 などを契機に幕府の監視と干渉が強まったため、幕府と対立。39歳(数え41歳)で譲位に至った。
皇位継承者についても第1&第2皇子ではなく第3皇子(後水尾天皇⑫)と決まるまで紆余曲折があり、後水尾天皇と不仲だったという。
45歳(数え47歳)で崩御。
※1 誠仁親王 さねひとしんのう。正親町天皇の皇太子だったが1586年早世した。子の即位により太上天皇と追尊された。太上天皇としての院号は陽光院(ようこういん)。
※2 猪熊事件 いのくまじけん。美形の公家・猪熊教利(いのくまのりとし)らによる醜聞事件。猪熊ら2名が死罪となったが、後陽成天皇は関係者全員の死罪を望んでいたため幕府に不満を持ったという。
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1587年秀吉が太政大臣に就任。同年秀吉の九州平定。同年バテレン追放令。同年総無事令。
1588年秀吉の刀狩令。
1588年スペイン無敵艦隊の敗北、イギリスの勝利。この海戦にはウィリアム・アダムス(William Adams 三浦按針)もイギリス海軍の船長としてフランシス・ドレーク(Francis Drake)指揮下で参加している。
1589年秀吉の太閤検地が本格化。荘園制度が完全になくなり石高制(こくだかせい)となる。
1589年フランスでアンリ4世が即位(~1610年)。ヴァロワ朝が断絶しブルボン朝が始まる。
1590年秀吉の小田原征伐。同年奥州仕置で秀吉が天下統一。
1591年豊臣秀長没。同年千利休没。同年秀吉の子・鶴松没。同年秀吉が関白を秀次に譲り太閤となる。
1592年秀吉の朝鮮出兵=文禄の役(~1593年)。 同年大政所没。
1593年豊臣秀頼誕生。
1595年豊臣秀次没。
1597年秀吉の朝鮮出兵= 慶長の役(~1598年)。最後の露梁(ろりょう)海戦で李舜臣(りしゅんしん 이순신 イ・スンシン )将軍没。
1598年9月18日(慶長3年8月18日)豊臣秀吉 が61歳(数え62歳)で没。
(京都府京都市伏見区桃山町にある、伏見城模擬天守。鉄筋コンクリート造りで1964年[昭和39年]築造。豊臣秀吉は伏見城で没した。江戸時代に廃城となったあと桃の木が植えられたことから「桃山」と呼ばれ、「安土桃山時代」のネーミング元となった。本丸跡地は1912年[大正元年]に明治天皇陵[伏見桃山陵]となった)
1599年前田利家が60歳(旧暦での数え62歳)で没。
1600年4月オランダ船リーフデ号が豊後(現、大分県)に漂着。イギリス人航海長ウィリアム・アダムス(William Adams 三浦按針)は徳川家康の外交顧問となった。現在の東京都中央区八重洲は、家康がオランダ人乗組員ヤン・ヨーステンに与えた屋敷の周辺で、「やんよーすてん→やようす→やよす→やえす=八重洲」が地名の由来。
1600年10月21日(慶長5年9月15日)関ヶ原の戦い 。
(岐阜県不破郡関ケ原町[ふわぐんせきがはらちょう]にある、関ヶ原古戦場。なお、通常「関ヶ原の戦い」の「ヶ」は小さい「ヶ」だが、自治体としての「関ケ原町」は大きい「ケ」の字を使用)
1602年世界初の株式会社と言われるオランダ東インド会社設立。
1603年徳川家康 が征夷大将軍に就任し、江戸幕府が成立(~1868年)。
(静岡県静岡市葵区のJR静岡駅・北口駅前広場にある、徳川家康像)
1603年イギリス女王のエリザベス1世(Elizabeth Ⅰ)が69歳で没。テューダー朝(Tudor dynasty)が断絶し、スチュアート朝(Stuart dynasty)のジェームズ1世(James Ⅰ)が即位。
1604年黒田官兵衛が57歳(数え59歳)で没。
1605年家康の3男・徳川秀忠が江戸幕府第2代将軍に就任。同年慶長地震(南海トラフ巨大地震?)が発生。
1605年ムガル帝国第3代皇帝アクバル没。
1608年フランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランがケベック植民地を築く。
第108代天皇 後水尾(ごみずのお)天皇⑫ 在位期間1611年~1629年
政仁(ことひと)親王。後陽成天皇⑬の第3皇子。中宮は徳川秀忠の娘・和子 ※1 。明正天皇&後光明天皇&後西天皇&霊元天皇⑪の父。なお、「後水尾」は第56代天皇・清和天皇の別称「水尾」にちなむ。
1596年生まれ。14歳(数え16歳)で即位。父・後陽成上皇とは不仲だったという。
1615年禁中並公家諸法度、1619年およつ御寮人事件 ※2 、1627年紫衣事件 ※3 、1629年無位の春日局拝謁など、朝廷の権威の失墜に不満を募らせ、33歳(数え34歳)で突如譲位した。
子供のうち4人が天皇となり、51年間院政を布いた。
1680年84歳(数え85歳)で崩御。
※1 和子 かずこ。母は秀忠の正室・江(ごう)。第3代将軍・家光の同母妹。入内の際に濁音発音を嫌う宮廷風習にならい「まさこ」と読みを変えた。明正天皇の母。
※2 およつ御寮人事件 およつごりょうにんじけん。和子の入内というデリケートな時期に、四辻与津子(よつつじよつこ。およつ御寮人)が天皇の子を2回妊娠出産し、関係者が処罰された事件。反発した天皇は退位しようとしたが、和子入内の幕府側の担当者・藤堂高虎 ※4 に阻止された。
※3 紫衣事件 しえじけん。朝廷が大徳寺などの高僧に紫色の法衣・袈裟(けさ)を授与することを、幕府が規制。2年後、幕府の措置に反対した大徳寺の僧・沢庵(たくあん。小説『宮本武蔵』 ※5 での活躍や、沢庵漬け=たくあんのネーミング元として有名)を出羽に一時流罪とした。幕府の決定が朝廷の勅許より優先することを示した歴史的な事件。
(愛媛県今治市[いまばりし]にある、今治[いまばり]城と藤堂高虎像。2007年[平成19年]に建設された模擬天守)
※4 藤堂高虎 とうどうたかとら。 1556年生~1630年74歳(数え75歳)で没。
近江国犬上郡藤堂村(おうみのくにいぬかみぐんとうどうむら。現、滋賀県犬上郡甲良町在士[いぬかみぐんこうらちょうざいじ])の没落土豪の次男として生まれ、6尺2寸の巨体で活躍した武将(約188cm。1尺=10寸=30.303cm。ちなみに斎藤義龍は6尺5寸=約197cm、加藤清正は6尺3寸=約191cm)。築城の才でも有名。出世して伊予(いよ。愛媛県)今治(いまばり)藩主となり、のちに加増移封され伊勢(いせ。三重県)津(つ)藩32万3950石の初代藩主となる。
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」 という、自己を高く評価してくれる主君を探して浪人することも肯定している家訓で有名。ホントに七度主君を変えた。
1 浅井長政 1573年没
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2 浅井氏旧臣・阿閉貞征(あつじさだゆき) 長続きせず
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3 浅井氏旧臣・磯野員昌(いそのかずまさ) 長続きせず
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4 信長の甥・織田信澄(おだのぶずみ) 長続きせず
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5 秀吉の弟・豊臣秀長 1591年没
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6 秀長の甥で養子・豊臣秀保(とよとみひでやす) 1595年没
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7 豊臣秀吉 1598年没
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8 徳川家康 1616年没
(三重県津市の津城跡にある、藤堂高虎像)
※5 小説『宮本武蔵』 宮本武蔵 を主人公にした吉川英治 の長編小説。1935年(昭和10年)~1939年(昭和14年)朝日新聞に連載。
美作国(みまさかのくに。現、岡山県)吉野郷宮本村の郷士・新免無二斎(しんめんむにさい)の子・ 武蔵(たけぞう) は、17歳のとき功名心に燃え幼友達の本位田又八(ほんいでんまたはち)と関ヶ原の戦いに参加して敗北。沢庵和尚のもとで修業後、剣の求道者を志して旅に出る。お通との純愛、吉岡清十郎や佐々木小次郎との対決、柳生石舟斎や本阿弥光悦との出会いなどの他、従来の剣豪としての武蔵像を改め剣禅一如の境地を求めてやまない青年武蔵の人間形成への精進に光を当てた。 日中戦争から太平洋戦争へと向かう戦時下で新聞小説史上屈指の人気を得た大衆小説の代表作。
宮本武蔵 (1584年?生~1645年数え62歳?で没)は江戸時代初期の剣豪。二天一流剣法の祖。兵法書 『五輪書(ごりんのしょ)』 の著者。生涯60回あまりの勝負に一度も負けたことがないという。晩年は肥後熊本藩主・細川忠利に客分として招かれる。芸術の才もあり、代表作は 『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』 。
(山口県下関市の巌流島こと船島[ふなしま]にある、宮本武蔵と佐々木小次郎の像。巌流島は関門海峡に浮かぶ無人島でタヌキが住んでいるという)
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1611年慶長三陸地震が発生。
1614年大坂冬の陣。
1615年大坂夏の陣。徳川方が豊臣家を滅ぼす。
1616年女真族 ※ のヌルハチが後金(こうきん ホウ・ジン)を建国。
※ 女真族 じょしんぞく。元々の民族名の発音はジュシェンorジュルチンで、漢字の当て字が女真。のちに真の字の使用を避けるため女直(じょちょく ジュル・チャー)とも表記されるようになる。1635年に、女真&女直は蔑称という理由で、満州族と改称、満州語での発音はマン・ジュ・ズゥ、中国語での発音はマン・ヂョウ・ズゥ。
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1616年イギリスの劇作家 ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare) が52歳で没。
代表作は以下(年代順)。
★『じゃじゃ馬ならし(Taming of the Shrew)』 喜劇。
強情で男勝りな姉のカタリーナと、おとなしく清純な妹のビアンカという、姉妹がいた。姉が結婚しない限り妹の結婚は認めないと父親から宣言され、ビアンカを愛する求婚者のホーテンショーは、友人のペトルーチオにカタリーナを紹介し結婚させた。ペトルーチオはカタリーナの性格を改善し彼女を良妻に育て上げていった。その後ビアンカは別の青年と結婚、ホーテンショーも妻を持つ。ある日、夫たちは妻を呼んだとき誰が一番早く来るかと賭けをするが、やって来たのはカタリーナだけで彼女の従順ぶりに男たちは感嘆するのだった。
★『ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)』 悲劇。
イタリア・ヴェローナの名門モンタギュー家とキャピュレット家は久しく反目が続いているが、前者の息子ロミオと後者の娘ジュリエットは一目で愛し合い、修行僧ロレンスの計らいで秘かに結婚式を挙げる。その帰途ロミオはジュリエットの従兄ティボルトを売られた喧嘩がもとで刺殺して追放宣告を受け、一夜をジュリエットの部屋で明かしたのち旅立つ。一方、ジュリエットは父から名門貴族との結婚を命じられる。ジュリエットに助けを求められたロレンスは、ジュリエットを仮死状態にして死んだと欺きロミオと駆け落ちさせる作戦を立てる。ところが連絡がうまくいかず仮死状態のジュリエットを前にしたロミオはジュリエットが死んだと誤解し毒を飲み自殺してしまう。目覚めたジュリエットもロミオの短剣で後追い自殺する。事の真相を知って悲嘆にくれた両家はついに和解する。
悲痛な結末にもかかわらず、若さに満ち溢れた華麗な劇となっている。
★『真夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream)』 喜劇。
貴族の娘ハーミアは、父が決めた結婚相手のディミトーリアスを嫌い、愛するライサンダーと駆け落ちして森で落ち合う。ハーミアのことを慕うディミトーリアスと彼のことが好きなヘレナは、それぞれ愛する人を追って森へ向かう。それを知った森の妖精は「目覚めて最初に見た人を好きになる」という恋の媚薬をライサンダーに塗り、4人の思いが複雑に絡み合う。そこで妖精の王が登場し、すべて夢の中の出来事だったと思わせて、それぞれ愛を確かめ合った2組の男女が結ばれる。
★『ヴェニスの商人(The Merchant of Venice)』 喜劇。
ヴェニスの商人バッサーニオはベルモントの富豪の娘ポーシアに求婚するため友人アントーニオに借金を申し込む。アントーニオはユダヤ人の高利貸しシャイロックから胸の肉1ポンドをかたに金を借りる。アントーニオ所有の船が難破したため、アントーニオは期日が来ても金を返せず殺されかけるが、ポーシアが裁判官に変装して肉は切り取っても血を流してはならぬという裁きを下し、シャイロックは財産を没収される。
本来はバッサーニオとポーシアの恋の喜劇だが、19世紀以降シャイロックを悲劇的人物とする近代的解釈がなされ上演されるようになった。
★『ジュリアス・シーザー(Julius Caesar)』 古代ローマ時代のプルタルコス(プルターク)の『対比列伝(英雄伝)』を元にしたローマ史劇・悲劇。
理想主義者・ブルータスやシニカルなリアリスト・キャシアスらは、シーザーを暗殺するが、アントニーらの前に敗れ去る。
「(ラテン語)Et tu,Brute? (口語訳)ブルータス、お前もか 」で有名な、レトリカルなセリフ回しによって、主要4人物の性格、政治的理想の挫折が巧みに表現されている。
★『ハムレット(Hamlet)』 四大悲劇で最初に書かれた。
デンマークの王子ハムレットが、父王を毒殺し王位に就き母ガートルードを后とした叔父クローディアス王に復讐する物語。ハムレットはその思索的な性格のため悩む。 「To be,or not to be:that is the question: 生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。 」が有名。ハムレットは恋人オフィーリアの父ポローニアスを過失で死なせ、オフィーリアは発狂して小川で溺死。クローディアス王はオフィーリアの兄レアティーズをそそのかしハムレットを始末させようとするが、毒塗りの剣の罠も毒杯の罠も裏目に出て、レアティーズとガートルードが死ぬ。ハムレットも致命傷を負うが、ついにクローディアス王を殺し復讐を遂げ、親友ホレイショーに看取られつつ絶命する。
★『オセロー(Othello)』 四大悲劇で2番目に書かれた。
黒い肌のムーア人であるヴェニスの名将オセローは、白人議員の娘デズデモーナとひそかに結婚。オセローに恨みを持つ部下のイアーゴは同僚を使って彼女の父に結婚を密告させ、しかもデズデモーナが他の男と浮気しているかのように思わせてオセローの心を乱す。イアーゴの巧みな策略にはまってオセローは妻を殺害。真相を知らされて自らも命を絶つ。
★『リア王(King Lear)』 四大悲劇で3番目に書かれた。
ブリテン王国のリア王は退位にあたり3人の娘たちに領土を分配する決心をする。長女ゴネリルと次女リーガンは口先だけの忠誠を述べるが、素直な心情を伝えた末娘コーディリアの態度に激怒したリア王は、彼女をフランス王妃に追いやる。その後、長女と次女に裏切られ発狂したリア王を救うべく兵を挙げたコーディリアは王とともに投獄され2人とも獄死する。
1985年(昭和60年)の黒澤明監督の映画『乱』は、舞台を日本の戦国時代に置き換えた作品。
★『マクベス(Macbeth)』 四大悲劇で最後に書かれた。
スコットランドの武将マクベスは3人の魔女と出会い「お前は王になる」と予言される。順調に昇格するマクベスは予言を信じ、妻の後押しもあってダンカン王を殺害。その罪を王の子供たちになすりつける。王となったマクベスは自分の地位を守るため「子孫が王となるだろう」と予言された同僚バンクォーを殺害するが、その亡霊におびえる。悪行を重ねたマクベスを討つべく貴族らが決起し、魔女は「女の股から生まれた者はマクベスを殺すことができない」と予言するが、帝王切開で生まれたマクダフによってマクベスは討死する。
11世紀のスコットランドの実話が元ネタ。発表当時のイギリス王ジェームズ1世(James Ⅰ)(元々はスコットランド王ジェームズ6世[James Ⅵ])はバンクォー(Banquo)の子孫。1957年(昭和32年)の黒澤明監督の映画『蜘蛛の巣城』は、舞台を日本の戦国時代に置き換えた作品。
★『テンペスト(あらし)(The Tempest)』 シェイクスピア最後の作品。
弟アントーニオにミラノ公国を奪われた元ミラノ大公 のプロスペローは、娘ミランダとともに孤島に住んでいるが、魔法の杖を手に入れ、島の妖精エアリエルを召使にしている。プロスペローは、アントーニオたちが乗った船をエアリエルの魔法によって難破させ、この島に漂着させる。乗っていたナポリ王子ファーディナンドは、ミランダと恋に陥り、プロスペローの課す厳しい試練に耐えて、ミランダとの結婚を許される。アントーニオも領地を返すことを条件に許される。プロスペローは魔法の杖を折ってエアリエルを開放し、一同とともに帰国することとなる。
和解をテーマにした作品。
SF映画『禁断の惑星(Forbidden Planet)』(1956年[昭和31年])の元ネタ。『禁断の惑星』モービアス博士はプロスペロー、博士の娘アルティラはミランダ、アルティラと恋に落ちる宇宙船の機長アダムスはファーディナンド、イドの怪物は妖精 エアリエル(および、プラトンのイデア論)が元ネタとなっている。
(ロンドン Londonのレスター・スクウェア Leicester Squareにあるシェイクスピア像。この広場にはニュートンやチャップリンの像もある)
1616年6月1日(元和2年4月17日)徳川家康 が73歳(旧暦での数え75歳)で没。
(静岡県静岡市葵区の駿府城公園にある、徳川家康像。家康はここ駿府城で没した)
1620年102人のピューリタン(Puritan)(ピルグリム・ファーザーズ Pilgrim Fathers=巡礼父祖)がイギリス・スチュアート朝(Stuart dynasty)の宗教的圧迫から逃れメイフラワー号(Mayflower)で北アメリカに移住しプリマス(Plymouth)に植民地を建設。
1620年1月(旧暦12月)直江兼続が旧暦での数え60歳で没。
(新潟県旧・三島郡与板町[さんとうぐんよいたまち]、編入されて長岡市の与板歴史民俗資料館にある、直江兼続像。兼続が直江家を継いでから1598年会津に移るまで直江家の居城は与板にあった。没した場所は米沢藩江戸屋敷、現在の警視庁付近)
1623年秀忠の次男・徳川家光が江戸幕府第3代将軍に就任。
1629年イランのシーア派国家サファビー朝の最盛期を築いたアッバース1世没。
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(雑感)
今回のお題は8つ。
「豊臣秀吉について」
「秀吉の朝鮮出兵について」
「徳川家康について」
「江戸幕府について」
「『武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ』という、藤堂高虎の自己を高く評価してくれる主君を探して浪人することも肯定している家訓について」
「宮本武蔵について」
「シェイクスピアについて」
「イギリス について」
このうち7つは「私よりも詳しい方が大勢いらっしゃるでしょう。コメントは控えます」パターン。「イギリス について」だけ、コメントします。
VIDEO
イギリス といえば、先天性嗅覚障害者のペリー・エドワーズ(Perrie Edwards) がいるリトル・ミックス(Little Mix)。上の動画は、リトル・ミックスの最新曲『Think About Us』です。最初に出てくる白人女性がペリー・エドワーズ 。あと1曲、下に貼っておきますね。去年の曲『Woman Like Me』です。
VIDEO
ペリー姫 、元気そうで何よりです。ただ、ペリー姫 、相変わらず「人生のテーマとして嗅覚障害に取り組むぞ!」と決心して行動を起こす気にはなってないみたいです。うーん、困ったペリー姫 。地道に気長に待ちます。
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イギリス といえば、クイーン(Queen)の伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』、大ヒットしましたね。公式予告動画を貼っておきます。10年くらい前だったら私もマイブームの時期ではしゃいでたことでしょう。この映画、1985年(昭和60年)のライブ・エイド LIVE AIDに重点を置く作戦が良かったですよね。なんてったって、クイーンの最高のパフォーマンスはあの6曲21分間ですもんね。私といえば、すっかりマイブームが過ぎていたため、結局、この映画を見ずじまいです。
嗅覚障害への取り組み、ペリー姫 がやる気出したら、ぜひイギリス に会いに行きたいですね。そのときは観光も少々したいです。
まずは、 ビッグベン(Big Ben)。ここは欠かせないですよね。夜景も綺麗です。2017年(平成29年)から2021年(令和3年)まで修理してるそうです。ネット記事を見ると、「その間、あの学校のチャイムと同じメロディーの鐘が鳴らない」「鳴らない期間が短くなるよう努める」みたいなんですが、実際どうなってるんでしょうね。
テムズ川(River Thames)とタワーブリッジ(Tower Bridge)。ちゃんと開くのが良いですよね。ぜひ開くシーンをのんびり眺めたいです。ちなみにマザーグース(Mother Goose)の『ロンドン橋落ちた(London Bridge is Broken Down)』で有名なロンドン橋(London Bridge)はこのタワーブリッジじゃなくて、少し離れたところにある地味な橋のことらしいです。
バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)の衛兵交代式(changing of the guards)。これも欠かせませんよね。のんびり眺めてみたいです。
EU離脱問題で大変そうなイギリス ですが、 私としては、とにかく、ペリー姫 が嗅覚障害に取り組む気になるかどうか、そこが重大事です。