第105代天皇 後奈良(ごなら)天皇⑯ 在位期間1526年~1557年 なお、「⑯」は「今上天皇の直系のご先祖様で、直系16代遡る」という意味です。
知仁(ともひと)親王。後柏原天皇⑰の第2皇子。正親町天皇⑮の父。なお「後奈良」は第51代天皇・平城天皇の別称「奈良帝」にちなむ。
1497年1月(旧暦12月)生まれ。29歳(旧暦での数え31歳)で即位。
応仁の乱後の朝廷財政窮乏のため、即位の礼は即位11年目に北条氏、大内氏、今川氏など諸大名から寄付金を集めて行われた。
在位のまま60歳(旧暦での数え62歳)で崩御。
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1526年ティムールの子孫バーブルがデリーとアグラを中心にムガル帝国を建国(~1858年)。
1529年陽明学※1の祖・王陽明(おうようめい ワン・ヤン・ミン)没。
※1 陽明学 ようめいがく ヤン・ミン・シュエ。儒教の一派で、知と行を切り離して考えるべきでないという知行合一を主張し、読書のみならず仕事や日常生活の中での実践を通して心に理を求める実践的な学問。
陽明学の信奉者とされる日本人=大塩平八郎、吉田松陰、高杉晋作、佐久間象山、西郷隆盛、河合継之助、岩崎弥太郎、渋沢栄一、東郷平八郎、幸徳秋水、三島由紀夫など。
1534年6月23日(天文3年5月12日)織田信長誕生。
(愛知県清須市の清洲公園にある、織田信長像)
1537年3月17日(天文6年2月6日)豊臣秀吉誕生。
(愛知県名古屋市中村区の中村公園にある、豊臣秀吉の子供時代の像)
1543年1月31日(天文11年12月26日)徳川家康誕生。
(愛知県岡崎市の岡崎公園にある、徳川家康の子供時代の像)
1543年ポーランド出身の天文学者コペルニクスが『天体の回転について』で地動説を唱える。
1543年種子島に鉄砲伝来。
1546年12代将軍義晴が失脚、義晴の子・足利義輝(あしかがよしてる)が室町幕府第13代将軍に就任。
1547年ロシアでイワン4世(雷帝)が最初のツァーリ(皇帝)になる。
1549年フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。
(長崎県平戸市にある、平戸ザビエル記念教会)
1552年織田信秀が没し信長が継ぐ。
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1553年第1次川中島の戦い。
★武田信玄が武田軍旗に記した字句
疾如風徐如林侵 ジー・ルー・フォン、シュー・ルー・リン、チン・
掠如火不動如山 ルュエ・ルー・フオ、ブー・ドン・ルー・シャン
疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。
★孫武※2の兵法書『孫子(そんし スン・ズ)』軍争篇(ぐんそうへん ジュン・チョン・ピエン)第七(だいなな ディー・チー)
故其疾如風、 グー・チー・ジー・ルー・フォン
其徐如林、 チー・シュー・ルー・リン
侵掠如火、 チン・リュエ・ルー・フオ
難知如陰、 ナン・ヂー・ルー・イン
不動如山、 ブー・ドン・ルー・シャン
動如雷霆、 ドン・ルー・レイ・ティン
故に其の疾きこと風の如く、
其の徐かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、
知りがたきこと陰の如く、
動かざること山の如く、
動くこと雷霆(らいてい)の如し。
(口語訳)(戦争というものは敵をだますことであり、有利になるように動き、分散・集合して変化していくものである。)
だから、軍隊が移動するときは風のように速く、
陣容は林のように静かに敵方の近くでも見破られにくく、
攻撃するのは火のように勢いに乗じて、
どのような動きに出るか判らない雰囲気は陰のように、
敵方の奇策・陽動戦術に惑わされず陣形を崩さないのは山のように、
攻撃の発端は敵の無策・想定外を突いて雷のように敵方を混乱させながら実行されるべきである。
※2 孫武 そんぶ スン・ウー。孫子(そんし スン・ズ)は尊称。生没年不詳。中国(ちゅうごく ヂョン・グオ)の春秋時代(しゅんじゅうじだい チュン・チィウ・シー・ダイ。紀元前770年~紀元前453年or紀元前403年)、斉(せい チー)の出身。「臥薪嘗胆」※3で有名な呉王(ごおう ウー・ワン)闔閭(こうりょ ハー・リー)&呉王・夫差(ふさ フー・チャエ)親子に仕え、呉を覇者※4とした。同僚に「死屍に鞭打つ」※5で有名な伍子胥(ごししょ ウー・ズ・シー)がいた。
孫武が残した兵法書『孫子』は、「戦争は政治の延長にしかすぎない」というテーゼで有名なクラウゼヴィッツの『戦争論』と並ぶ兵法の古典的名著と言われている。
「全面核戦争を絶対に避けなければならない現代においては、総力戦を提唱したクラウゼヴィッツの『戦争論』こそ時代遅れであり、『孫子』の『戦争の真の目的は平和であって勝利ではない』『直接的な戦闘よりも策略や謀略を用いた間接的戦略を重視する』『守勢を重んじ、敵が自滅するのを待つ』といった兵法こそ通用している」とも言われている。
★★『孫子』の名言
★兵は詭道なり
兵者詭道也 ビン・ヂャ、グイ・ダオ・イエ
(口語訳)戦争とは騙し合いである。
★算多きは勝ち、算少なきは勝たず
多算勝、少算不勝 ドゥオ・スゥアン・ション、シャオ・スゥアン・ブー・ション
(口語訳)勝利の条件が多い方は実戦でも勝利するし、勝利の条件が少ない方は実戦でも敗北する。
★百戦百勝は善の善なる者に非ず
百戦百勝、非善之善者 バイ・チャン・バイ・ション、フェイ・シャン・ヂー・シャン・ヂャ
(口語訳)百回戦って百回勝つのが最善ではない。戦わずして勝つのが最善である。
★彼を知り己を知れば百戦して殆(あや)うからず
知彼知己者、百戰不殆 ヂー・ビー・ヂー・ジー・ヂャ、バイ・チャン・ブー・ダイ
(口語訳)敵の実情を知り、己の実情を知っていれば、百回戦っても敗れることがない。
★善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり
善戦者、勝於易勝者也 シャン・チャン・ヂャ、ション・ユー・イー・ション・ヂャ・イエ
(口語訳)戦上手と呼ばれた人は、勝ちやすい状況で勝つべくして勝った人たちである。
★戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ
戦者、以正合、以奇勝 チャン・ヂャ、イー・チョン・フー、イー・チー・ション
(口語訳)戦いとは、正攻法を用いて敵と対峙し、奇策を巡らせて勝つものである。
★人を致して人に致されず
致人而不致於人 チー・レン・アール、ブー・チー・ユー・レン
(口語訳)戦巧者は自分が主導権を取り、相手のペースで動かされない。
★実を避けて虚を撃つ
避實而撃虚 ビー・シー・アール、ジー・シュー
(口語訳)敵が備えをする実の部分を避けて、備えが手薄な虚の部分を攻撃する。
★囲師(いし)には必ず闕(か)く
囲師必闕 ウェイ・シー、ビー・チュエ
(口語訳)包囲した敵軍には逃げ道を開けておき、窮地に追い込まれた敵軍を攻撃し続けてはならない。
★先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん
先奪其所愛、則聴矣 シエン・ドゥオ・チー・スオ・アイ、ツー・ティン・イー
(口語訳)まず敵が大切にしているものを奪取すれば、敵はこちらの思いどおりにできる。
※3 臥薪嘗胆 がしんしょうたん ウォー・シン・チャン・ダン。敵を討とうとして苦労し、努力すること。目的を達成するため苦労を重ねること。
中国の春秋時代、紀元前496年呉王(ごおう ウー・ワン)闔閭(こうりょ ハー・リー)は即位したばかりの越王(えつおう ユエ・ワン)勾践(こうせん ゴウ・ジエン)と戦争を始めるが敗死し、後を継いだ子の夫差(ふさ フー・チャエ)は、父の仇を忘れないために薪の中に臥して身を苦しめ、紀元前494年ついに勾践を降伏させた。勾践は会稽山(かいけいざん グァイ・ジー・シャン)にこもって許しを請うた。夫差は伍子胥(ごししょ ウー・ズ・シー)の進言を退けて許し、しかも、のちに伍子胥を粛正した。しかし勾践はこの「会稽の恥(かいけいのはじ)」をすすぐと決意し、苦い胆(きも)を室にかけてそれを嘗(な)めては敗戦の恨みを思い出して、紀元前473年ついに夫差を破ってその恨みを晴らした。『十八史略(じゅうはっしりゃく シー・バー・シー・リュエ) 春秋戦国(しゅんじゅうせんごく チュン・チィウ・チャン・グオ) 呉(ご ウー)』のエピソード。
夫差は、「子胥に合わせる顔がない」と言い残し自害。勾践は諸侯を会盟し覇者となった。
日本では日清戦争後の三国干渉(1895年[明治28年])に反発するマスコミ&国民のスローガンとして流行した。
※4 覇者 はしゃ バー・ヂャ。中国の春秋時代の中期&後期に諸国の同盟の中心となり諸国を従えて周王(しゅうおう ヂョウ・ワン)からその地位を認められた諸侯をいう。斉(せい チー)の桓公(かんこう フアン・ゴン。太公望[たいこうぼう タイ・ゴン・ウォン]の子孫)が紀元前651年に諸侯との会盟でその地位を得たのに始まる。指定された期日と場所に参集した諸侯(or代理人)のうちで牛耳(ぎゅうじ)をとるよう決められた者が盟長=覇者となり、いけにえの牛の耳を切りその血を盟長から順次すすり盟誓の約文をつくる。桓公ののちも晋(しん ジン)の文公(ぶんこう ウェン・ゴン)、楚(そ チュー)の荘王(そうおう チョン・ワン)、呉王(ごおう ウー・ワン)の闔閭(こうりょ ハー・リー)、越王(えつおう ユエ・ワン)の勾践(こうせん ゴウ・ジエン)が覇者となり、これらを春秋五覇(しゅんじゅうごは チュン・チィウ・ウー・バー)という。呉・越のかわりに秦(しん チン)の穆公(ぼくこう ムー・ゴン)、宋(そう ソン)の襄公(じょうこう シャン・ゴン)を入れる説もある。
※5 死屍に鞭打つ ししにむちうつ。「死者に鞭打つ」ともいう。死んだ人の生前の言行を非難したり攻撃したりする。紀元前516年に没した楚(そ チュー)の平王(へいおう ピン・ワン)は伍子胥の父と兄のかたきであったところ、紀元前506年に伍子胥が平王の死体を掘り出して300回も鞭打ったという『史記(しき シー・ジー) 伍子胥伝(ごししょでん ウー・ズ・シー・ユン)』のエピソードに由来する故事成語。
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1554年武田信玄・北条氏康・今川義元の3者が三国同盟を結ぶ。
1555年毛利元就が厳島の戦いで陶晴賢を滅ぼす。
(広島県廿日市市にある、厳島の戦いの舞台となった宮島の、厳島神社。なお、「厳島」と「宮島」の使い分けは特にルールがなく、漢字の平易さから「宮島」を選ぶことも多いという程度のことらしい)
1556年斎藤道三が子の義龍に討たれる。
(岐阜県岐阜市にある、岐阜城。1567年に奪取した織田信長が稲葉山城から岐阜城へと名を改めた。現在そびえてるのは1956年[昭和31年]に完成した鉄筋コンクリート造りの復興天守)
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(雑感)
日本史メモも44回目、時代は戦国時代まっただ中です。「やっとよく知ってる人がたくさん出てきた」という気がしますよね。戦国時代が舞台の大河ドラマは、だいたい、この時代から第1話がスタートしますもんね。
これ以降の時代のことなら、よく知ってらっしゃる方が大勢いらっしゃるでしょう。うかつにコメントできません。お題としては「戦国時代について」「陽明学について」「孫武の兵法書『孫子』について」といったところですが、「私よりよく知ってらっしゃる方が多いでしょう。コメントは差し控えることにします」とします。



























