日本史メモ 第22回 055 文徳天皇、056 清和天皇 | 嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders.

嗅覚障害者の団体を作りたい。 I want to create an organization for people with smell disorders.

リトル・ミックスのペリー・エドワーズも同じ嗅覚障害らしいですね。"Perrie Edwards from Little Mix also seems to have the same smell disorder as me, doesn't she?"

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

 

第55代天皇 文徳(もんとく)天皇 在位期間850年~858年 なお、「㊸」とは、「今上天皇の直系のご先祖様で、直系43代遡る」という意味です。

道康(みちやす)親王。仁明天皇㊸の第1皇子。光孝天皇㊷&人康(さねやす)親王の異母兄。清和天皇の父。

827年生まれ。嵯峨上皇㊹は仁明天皇の次は淳和天皇の子・恒貞(つねさだ)親王が継ぐと決めていたが、840年淳和上皇没・842年嵯峨上皇が没した直後に承和の変(じょうわのへん)が起こり、道康親王が皇太子となった。

数え24歳で即位。承和の変によって伯父の太政大臣・藤原良房(ふじわらのよしふさ。冬嗣の子)が権力を掌握し、また天皇自身が病弱だったため、実権はなかった。

在位のまま数え32歳で崩御。

このころ小野小町(生没年不詳)が活躍していたという。

小野小町の百人一首の第9(古今集)

花の色は移りにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに

はなのいろはうつりにけりないたづらに、わがみよにふるながめせしまに。

(口語訳)いつの間にか、花の色もすっかり色あせてしまいました。降る長雨をぼんやりと眺めているうちに(わたしの美しさも、その花の色のように、こんなにも褪せてしまいました)。

 

 

第56代天皇 清和(せいわ)天皇 在位期間858年~876年

惟仁(これひと)親王。文徳天皇の第4皇子。陽成天皇の父。諱(いみな)の「惟仁」は、天皇の諱が「~仁」という2文字のパターンとなる初例。

850年生まれ。外戚の藤原良房の力で異母兄たちをおさえ皇太子となる。

父の崩御により8歳(数え9歳)で即位。

866年応天門の変が起こると、藤原良房は伴氏ら権力闘争のライバルを失脚させ、臣下として初の摂政となった。

26歳(数え27歳)で譲位して出家し、30歳(旧暦での数え31歳)で崩御。

孫の経基王が臣籍降下して清和源氏となる。

 

清和天皇

第6皇子・貞純親王(さだずみしんのう)

経基王(つねもとおう) 臣籍降下して、源経基(みなもとのつねもと) 

平将門の乱で将門を誣告。

長男・満仲(みつなか)

『御伽草子』『酒呑童子(しゅてんどうじ)』で有名な源頼光(みなもとのらいこう)は長男。金太郎こと坂田金時(さかたのきんとき)は頼光の家臣。

明智光秀を輩出した明智氏は頼光の子孫。

3男・頼信(よりのぶ) 

頼光の異母弟。藤原道長に仕えて勢力を拡大。平忠常の乱を平定。

長男・頼義(よりよし) 

前九年の役を平定。3男・新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)の子孫が甲斐源氏宗家の武田氏で、第19代当主が武田信玄。

長男・義家(よしいえ) 

別名:八幡太郎。後三年の役を平定。昇殿を許される。

足利氏・新田氏(→徳川氏)の先祖

次男・義親(よしちか)

乱行が多く平正盛に討伐される。

4男・為義(ためよし)

保元の乱で敗死。

長男・義朝(よしとも)

保元の乱で勝利するも平治の乱で敗死。

3男・頼朝(よりとも)

1147年生~1199年51歳(数え53歳)で没。鎌倉幕府初代征夷大将軍

 

859年ころ、仁明天皇の第4皇子・人康(さねやす)親王(文徳天皇の異母弟、光孝天皇㊷の同母弟)は視覚障碍になり、山科に隠遁して視覚障碍者を集め琵琶&管弦&詩歌を教え、872年親王が数え42歳で没したあと側近に検校(けんぎょう)と勾当(こうとう)の官位が与えられたという。日本には鎌倉時代から1968年(明治元年)まで男性視覚障碍者の団体・当道座があり、人康親王は「当道の祖」「座頭・琵琶法師などの祖」と言われている。

864年富士山の貞観大噴火。青木ヶ原樹海の原型や、富士五湖の原型が形成される。

869年貞観地震。

870年旧フランク王国がメルセン条約によって東フランク・西フランク・イタリアの三国に分かれる。

 

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(雑感)

 

2019年(平成31年)になりました。今年は5月1日(水)に新天皇即位、10月1日(火)に消費税8%→10%引き上げが予定されてます。昨年から続けてる「日本史メモ」は、新天皇即位の日にタイミングを合わせて第125代平成天皇・第126代新天皇を書き歴代天皇編が終わる予定です。そのあと、鎌倉幕府征夷大将軍&鎌倉幕府執権→室町幕府征夷大将軍→江戸幕府征夷大将軍と足早に書いて5月中に完結予定。そのあとは、2020年東京オリンピック&パラリンピックの話題か、ちょっと頑張って外国語の勉強の話題でも書こうと思ってます。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2019年の最初は、「小野小町の歌」と「鎧兜(よろいかぶと)」がお題です。

三大美女とまで言われる小野小町の有名な歌と、源氏の大将のシンボルである鎧兜

新年一発目ということで、「男女の違い」という、難しいお題に踏み込んでみました。うーん、でも難しく、チャレンジ失敗っぽいですね。

 

まずは「小野小町の歌」。

小野小町の歌に関して、私が一番印象的なのは、女性に聞くと「最高の歌、ナンバーワン」という評価だったことが何回もあることです。

うーん、やはりこれは、女性だからこそでしょうか?

老化による女性の美の衰え」の話題、女性にとっては大問題。自分自身の問題」?

一方、「男性にとっては、当たり前のこと、諦めてもらうしかないこと。他人事。『若くて綺麗な女性なんて半永久的に次から次へとどんどん現れる。どんどん乗り換えればいい』というのが本音」

(「若くて綺麗な女性なんて半永久的に次から次へと現れる。乗り換えればいい」?)

でも、最近は男性の意識も変わってきてるようですし、美男子も増えてるようです。もしかすると、容姿の老化を本気で嘆く男性が増えてるかもしれません。

そうだとすると、女性と男性との差はどんどん無くなり、小野小町の歌は「最高。ナンバーワン」という評価が増えてゆくかもしれませんね。

次は「鎧兜(よろいかぶと)」。

清和源氏と言えば、「征夷大将軍・源頼朝」「九郎判官義経」「八幡太郎はおそろしや」「武家の棟梁」「源平合戦」「きらびやかな鎧兜に身を包んだ、源氏の大将」というイメージが湧きます。

五月人形は、だいたい、源平合戦の頃の大鎧(おおよろい)ですよね。

 

伝統的には、五月人形鎧兜は、男の子が「かっこいい」「強い」と憧れる対象ですよね。そして、女の子はひな人形を欲しがる、というのが伝統。

でも、さっきも書いた通り、男女の意識も変わってきてます。戦国武将や刀剣が女性にも人気ですからね。

もしかすると、鎧兜五月人形を欲しがる女性が増える、そんな時代が来るかもしれません。逆に、ひな人形を欲しがる男性が増える時代が来るかもしれません。

 

もっとも、鎧兜はファッションの問題と考えると、さすがに別問題かも。ファッションは男女で違いがあって当然ですからね。

さっきの小野小町の歌の評価とは次元の違う問題かもしれません。

小野小町の歌の評価」と、「鎧兜」、男女の違いにも踏み込んで

うーん、やはり難しいお題でしたね。最初は無理やりまとめを書いてみたんですが、どうもしっくりこないので、止めておきます。

新年一発目ということで、難しいお題にチャレンジしてみたんですが、チャレンジ失敗みたいですね。