あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
第55代天皇 文徳(もんとく)天皇 在位期間850年~858年 なお、「㊸」とは、「今上天皇の直系のご先祖様で、直系43代遡る」という意味です。
道康(みちやす)親王。仁明天皇㊸の第1皇子。光孝天皇㊷&人康(さねやす)親王の異母兄。清和天皇の父。
827年生まれ。嵯峨上皇㊹は仁明天皇の次は淳和天皇の子・恒貞(つねさだ)親王が継ぐと決めていたが、840年淳和上皇没・842年嵯峨上皇が没した直後に承和の変(じょうわのへん)が起こり、道康親王が皇太子となった。
数え24歳で即位。承和の変によって伯父の太政大臣・藤原良房(ふじわらのよしふさ。冬嗣の子)が権力を掌握し、また天皇自身が病弱だったため、実権はなかった。
在位のまま数え32歳で崩御。
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このころ小野小町(生没年不詳)が活躍していたという。
★小野小町の百人一首の第9(古今集)
花の色は移りにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに
はなのいろはうつりにけりないたづらに、わがみよにふるながめせしまに。
(口語訳)いつの間にか、花の色もすっかり色あせてしまいました。降る長雨をぼんやりと眺めているうちに(わたしの美しさも、その花の色のように、こんなにも褪せてしまいました)。
第56代天皇 清和(せいわ)天皇 在位期間858年~876年
惟仁(これひと)親王。文徳天皇の第4皇子。陽成天皇の父。諱(いみな)の「惟仁」は、天皇の諱が「~仁」という2文字のパターンとなる初例。
850年生まれ。外戚の藤原良房の力で異母兄たちをおさえ皇太子となる。
父の崩御により8歳(数え9歳)で即位。
866年応天門の変が起こると、藤原良房は伴氏ら権力闘争のライバルを失脚させ、臣下として初の摂政となった。
26歳(数え27歳)で譲位して出家し、30歳(旧暦での数え31歳)で崩御。
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孫の経基王が臣籍降下して清和源氏となる。
清和天皇
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第6皇子・貞純親王(さだずみしんのう)
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経基王(つねもとおう) 臣籍降下して、源経基(みなもとのつねもと)
平将門の乱で将門を誣告。
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長男・満仲(みつなか)
『御伽草子』の『酒呑童子(しゅてんどうじ)』で有名な源頼光(みなもとのらいこう)は長男。金太郎こと坂田金時(さかたのきんとき)は頼光の家臣。
明智光秀を輩出した明智氏は頼光の子孫。
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3男・頼信(よりのぶ)
頼光の異母弟。藤原道長に仕えて勢力を拡大。平忠常の乱を平定。
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長男・頼義(よりよし)
前九年の役を平定。3男・新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)の子孫が甲斐源氏宗家の武田氏で、第19代当主が武田信玄。
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長男・義家(よしいえ)
別名:八幡太郎。後三年の役を平定。昇殿を許される。
足利氏・新田氏(→徳川氏)の先祖。
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次男・義親(よしちか)
乱行が多く平正盛に討伐される。
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4男・為義(ためよし)
保元の乱で敗死。
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長男・義朝(よしとも)
保元の乱で勝利するも平治の乱で敗死。
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3男・頼朝(よりとも)
1147年生~1199年51歳(数え53歳)で没。鎌倉幕府初代征夷大将軍。
859年ころ、仁明天皇の第4皇子・人康(さねやす)親王(文徳天皇の異母弟、光孝天皇㊷の同母弟)は視覚障碍になり、山科に隠遁して視覚障碍者を集め琵琶&管弦&詩歌を教え、872年親王が数え42歳で没したあと側近に検校(けんぎょう)と勾当(こうとう)の官位が与えられたという。日本には鎌倉時代から1968年(明治元年)まで男性視覚障碍者の団体・当道座があり、人康親王は「当道の祖」「座頭・琵琶法師などの祖」と言われている。
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864年富士山の貞観大噴火。青木ヶ原樹海の原型や、富士五湖の原型が形成される。
869年貞観地震。
870年旧フランク王国がメルセン条約によって東フランク・西フランク・イタリアの三国に分かれる。
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(雑感)
2019年(平成31年)になりました。今年は5月1日(水)に新天皇即位、10月1日(火)に消費税8%→10%引き上げが予定されてます。昨年から続けてる「日本史メモ」は、新天皇即位の日にタイミングを合わせて第125代平成天皇・第126代新天皇を書き歴代天皇編が終わる予定です。そのあと、鎌倉幕府征夷大将軍&鎌倉幕府執権→室町幕府征夷大将軍→江戸幕府征夷大将軍と足早に書いて5月中に完結予定。そのあとは、2020年東京オリンピック&パラリンピックの話題か、ちょっと頑張って外国語の勉強の話題でも書こうと思ってます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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2019年の最初は、「小野小町の歌」と「鎧兜(よろいかぶと)」がお題です。
三大美女とまで言われる小野小町の有名な歌と、源氏の大将のシンボルである鎧兜。
新年一発目ということで、「男女の違い」という、難しいお題に踏み込んでみました。うーん、でも難しく、チャレンジ失敗っぽいですね。
まずは「小野小町の歌」。
小野小町の歌に関して、私が一番印象的なのは、女性に聞くと「最高の歌、ナンバーワン」という評価だったことが何回もあることです。
うーん、やはりこれは、女性だからこそでしょうか?
「老化による女性の美の衰え」の話題、「女性にとっては大問題。自分自身の問題」?
一方、「男性にとっては、当たり前のこと、諦めてもらうしかないこと。他人事。『若くて綺麗な女性なんて半永久的に次から次へとどんどん現れる。どんどん乗り換えればいい』というのが本音」?
(「若くて綺麗な女性なんて半永久的に次から次へと現れる。乗り換えればいい」?)
でも、最近は男性の意識も変わってきてるようですし、美男子も増えてるようです。もしかすると、容姿の老化を本気で嘆く男性が増えてるかもしれません。
そうだとすると、女性と男性との差はどんどん無くなり、小野小町の歌は「最高。ナンバーワン」という評価が増えてゆくかもしれませんね。
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次は「鎧兜(よろいかぶと)」。
清和源氏と言えば、「征夷大将軍・源頼朝」「九郎判官義経」「八幡太郎はおそろしや」「武家の棟梁」「源平合戦」「きらびやかな鎧兜に身を包んだ、源氏の大将」というイメージが湧きます。
五月人形は、だいたい、源平合戦の頃の大鎧(おおよろい)ですよね。
伝統的には、五月人形や鎧兜は、男の子が「かっこいい」「強い」と憧れる対象ですよね。そして、女の子はひな人形を欲しがる、というのが伝統。
でも、さっきも書いた通り、男女の意識も変わってきてます。戦国武将や刀剣が女性にも人気ですからね。
もしかすると、鎧兜や五月人形を欲しがる女性が増える、そんな時代が来るかもしれません。逆に、ひな人形を欲しがる男性が増える時代が来るかもしれません。
もっとも、鎧兜はファッションの問題と考えると、さすがに別問題かも。ファッションは男女で違いがあって当然ですからね。
さっきの小野小町の歌の評価とは次元の違う問題かもしれません。
「小野小町の歌の評価」と、「鎧兜」、男女の違いにも踏み込んで。
うーん、やはり難しいお題でしたね。最初は無理やりまとめを書いてみたんですが、どうもしっくりこないので、止めておきます。
新年一発目ということで、難しいお題にチャレンジしてみたんですが、チャレンジ失敗みたいですね。