(筑波山)
第57代天皇 陽成(ようぜい)天皇 在位期間876年~884年
貞明(さだあきら)親王。清和天皇の第1皇子。
869年1月(旧暦12月)生まれ。7歳(旧暦での数え9歳)のとき父からの譲位を受けた。
伯父の摂政・藤原基経(ふじわらのもとつね。良房の甥&養子)が実権を握っていた。
天皇が成人した時点で基経は史上初の関白になったという評価もある。「関白」という文字が出現するのは宇多天皇㊶の時代。
まもなく基経と対立し15歳(数え17歳)で退位に追い込まれた。理由について、陽成天皇が宮中で殺人事件を起こしたのか、以前から奇行があったのか、対立勢力の創作話なのか、説が分かれる。
そののちは80歳(旧暦での数え82歳)まで長命を保った。上皇歴65年は歴代最長であり、光孝天皇㊷→宇多天皇㊶→醍醐天皇㊵→朱雀天皇→村上天皇㊴の時代まで生きた。
『今昔物語』の中に滝口道範(たきぐちみちのり)から妖術を学んだという話がある。
★「陽成院」名義の陽成天皇の百人一首の第13(後撰集)
筑波嶺のみねより落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる
つくばねのみねよりおつるみなのがわ、こいぞつもりてふちとなりぬる。
(口語訳)筑波山の峯から流れてくる男女川(みなのがわ)も、(最初は小さなせせらぎほどだが)やがては深い淵をつくるように、私の恋もしだいに積もり、今では淵のように深いものとなってしまった。
(筑波山の女体山から見た男体山)
★参考として、万葉集にある筑波山の歌垣の歌
鷲のすむ筑波の山の裳羽服津のその津の上に
率ひて未通女壮士の行き集ひかがふかがひに
他妻に我も交はらむ。
我が妻に人も言問へ。
この山をうしはく神の昔より禁めぬわざぞ。
今日のみはめぐしもな見そ。
ことも咎むな。
わしのすむつくばのやまのもはきつのそのつのうえに
あどもいておとめおとこのゆきつどいかがうかがいに
ひとづまにわれもまじわらん。
わがつまにひともこととえ。
このやまをうしわくかみのむかしよりいさめぬわざぞ。
きょうのみはめぐしもなみそ。
こともとがむな。
(口語訳)鷲の棲む筑波山の裳羽服津(もはきつ)の渡し場の上に
連れ立って女と男が集まり歌を掛け合う歌垣(うたがき)で
人妻に私も交わろう。
私の妻に人も言い寄れ。
この山を治める神が昔から禁じていない行事なのだ。
今日ばかりは非難の眼差しで見るな。
咎める言葉も言うな。
(解説)歌垣(うたがき)とは、古代、春と秋に男女が山などに集まって歌い合ったり踊ったり求婚したり性を開放したりした行事。東国では「かがひ(かがい)」と言った。
(筑波山)
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(雑感)
今日のお題は「たくましさ」です。
万葉集にある筑波山の歌垣の歌、「古代のご先祖様たち、たくましいなぁ」って感じますよね。
(筑波山)
古代の世の中って、現代から見れば、とてつもなく不便な世の中だったはず。
電気も水道もないどころか、まともな医者はいないし、ろくな道もないし、貨幣なんて流通してなくて物々交換だけ。
私なんか、「コンタクトレンズも眼鏡もないんじゃ、生きていけない」「金歯がなくて虫歯が治療できなかったら生きていけない」「コンタクトも眼鏡も金歯もないんじゃ、あっという間に死んでしまう」って本気で思ってますからね。
それに比べて、古代のご先祖様たちは、不便な世の中でも、「歌垣」なんかやっちゃって、たくましく生きてたんですね。
本来だったら、この流れで「私も古代のご先祖様たちを見習って、もうちょっとたくましく生きてみようかなぁと思います」なんて書くべきなんでしょうが、いかんせん、「コンタクトも眼鏡も金歯もないんじゃ、さすがに無理」って本気で思ってます。
もちろん現代人は現代人で優れてるところがありますが、古代の人たちの「たくましさ」、これはもう、失われてしまった優れた能力と言って良いんじゃないでしょうか。