(太平洋戦争末期の姫路空襲で奇跡的に無事だった、世界遺産の姫路城。日本で「国破れて山河在り、城春にして草木深し」といえばこの城でしょうか)
第48代天皇 称徳(しょうとく)天皇 在位期間764年~770年
孝謙天皇の重祚。
718年生まれ。760年に母・光明皇太后が数え60歳で崩御したあと、法相宗の僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を重用するようになる。道鏡についてのエピソードは権力闘争の勝利者側が後世に流布したものという説が有力で、コメントが難しい。
淳仁天皇&恵美押勝(藤原仲麻呂)やその支持派と対立、764年藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)に勝利して淳仁天皇を廃し、数え47歳で自ら重祚した。
その後も道鏡を重用し法皇の位を授けた。
769年宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)で和気清麻呂(わけのきよまろ)を左遷。
生涯独身であり、後継者が決まらないまま数え53歳で崩御。
770年唐(とう タン)の詩人・杜甫(とほ ドゥー・フー。712年生)が数え59歳で没。
★杜甫の代表作、五言律詩(ごごんりっし ウー・ヤン・リュー・シー)『春望(しゅんぼう チュン・ワン)』
国破山河在 グオ・ポウ・シャン・ハェ・ザイ
城春草木深 チョン・チュン・ツァオ・ムー・シェン
感時花濺涙 ガン・シイ・ホア・ジン・レイ
恨別鳥驚心 ヘン・ビエ・ニャオ・ジン・シン
烽火連三月 フォン・フオ・リエン・サン・ユエ
家書抵万金 ジィア・シュー・ディー・ワン・ジン
白頭掻更短 バイ・トウ・サオ・ガン・ドゥアン
渾欲不勝簪 フン・ユウ・ブー・ション・ザン
国破れて山河在り(くにやぶれてさんがあり)、
城春にして草木深し(しろはるにしてそうもくふかし)。
時に感じては花にも涙を濺ぎ(ときにかんじてははなにもなみだをそそぎ)、
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす(わかれをうらんではとりにもこころをおどろかす)。
烽火三月に連なり(ほうかさんげつにつらなり)、
家書万金に抵る(かしょばんきんにあたる)。
白頭掻けば更に短く(はくとうかけばさらにみじかく)、
渾て簪に勝えざらんと欲す(すべてしんにたえざらんとほっす)。
(口語訳)戦争によって首都が破壊されても山や川は昔のまま変わらずにあり、
荒廃した城内にも春がきて草や木が深々と生い茂っている。
この戦乱の時代を思うと美しい花を見ても涙が落ち、
家族との別れを悲しんでは心がはずむ鳥の鳴き声を聞いても心が痛む(orはっとする)。
戦火は何か月(or三か月)も続いており、
家族からの手紙は万金と同じくらい貴重だ。
白髪頭を掻くと髪はますます短くなって、
冠をとめるためのかんざしも挿せなさそうである。
※ なお、五言律詩には「2・4・6・8句の末尾で韻(いん ユイン)を踏む」というルールがあり(押韻[おういん ヤー・ユイン])、春望では「深 シェン」と「心 シン」と「金 ジン」と「簪 ザン」。
また、五言律詩には「3・4句が対句(ついく ドゥイ・ジュー)、5・6句が対句」というルールがあり、さらに春望では1・2句も対句になっている。
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(雑感)
今日のお題は、「李白(りはく リー・バイ)、杜甫(とほ ドゥー・フー)、白居易(はくきょい バイ・チュー・イー。白楽天[はくらくてん バイ・ラェ・ティエン])」という風に中国史上最高の詩人の一人と言われている杜甫、その詩風の「リアルで技巧が素晴らしい」です。
(杜甫の詩はリアルで、)
(技巧が素晴らしい)
「杜甫の詩って、すごいリアルってゆーか、写実的で悲惨」
代表作の『春望』だけ読んでも、充分、そう感じますよね。
李白とは対照的です。李白は同じ安史の乱のときに『早発白帝城(つとにはくていじょうをはっす ツァオ・ファー・バイ・ディ・チョン)』みたいな自由で豪快な詩を書いてるのに、杜甫はなんともリアル。
その一方、杜甫の詩は技巧が素晴らしいと言われてます。つまり、「押韻」「対句」といったテクニックが得意だった技巧派。「リアル」というと「素朴」「ヘタウマ」「サラリーマン川柳みたいなもの」と結びつきやすいものですが、杜甫はそうじゃなくて「テクニシャン」「芸術美が素晴らしい」タイプなのです。やっぱり、単に内容がリアルなだけじゃ史上最高とは評価されないんですね。
詩歌以外のことで例えてみようと思ったんですが、難しいです。
「リアルで技巧が素晴らしい」、そういう良い例え、何かありますか?
小説だとありそうですね。
ただ、私には「文章が美しい」「文体が美しい」ということがよくわかりません。「あの小説とかどうかな?」と思い浮かぶ小説もありますが、例として挙げる自信がないです。
とまあ、「杜甫は技巧が素晴らしい」と紹介してきましたが、実は日本語の発音で読んでもイマイチ実感できないこと。
漢詩の技巧は押韻が大事ですが、韻を踏んでるのはあくまでも中国語の発音。『春望』だと2・4・6・8句の末尾で「深→心→金→簪」「シェン→シン→ジン→ザン」と韻を踏んでるのです。
これじゃ大多数の日本人は感じ取ることができません。
最初は「もちろん私もです。ここはちょっと残念ですよね」で済ませてたんですが、なんだか悔しいので、中国語の発音も追記しておきました。この機会にちょっと頑張って、中国語の発音で『春望』を暗唱できるようになりたいです。







