第15代天皇 応神(おうじん)天皇(58) なお、「(58)」とは、「今上天皇の直系のご先祖様で、直系58代遡る」という意味です。
仲哀天皇(59)&神功皇后の子。
応神王朝または河内(かわち)王朝の祖という説もある(三王朝交替説)。応神・仁徳同一人物説もある。
墳墓に治定(じじょう)された大阪府羽曳野市(はびきのし)の応神天皇陵or誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)は日本で2番目に巨大な墓。
(左が応神天皇陵or誉田御廟山古墳。右下は仲津山古墳[なかつやまこふん])
(世界遺産となった、応神天皇陵を含む、古市古墳群の動画。羽曳野市の公式動画)
(仁徳天皇についての動画。堺市の公式動画)
第16代天皇 仁徳(にんとく)天皇
応神天皇(58)の子。皇后は臣下出身の初例。
墳墓に治定された大阪府堺市の仁徳天皇陵or大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)or大山古墳(だいせんこふん)は日本一巨大な墓。2018年(平成30年)の測量結果では長さ525m幅307m。従来は長さ486m幅305m。
2019年(令和元年)、「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された。
(仁徳天皇陵or大仙陵古墳or大山古墳)
第17代天皇 履中(りちゅう)天皇
仁徳天皇の子。在位6年で没。墳墓に治定された上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)は日本で3番目に巨大な墓。
晋書(しんじょ ジン・シュー)&宋書(そうじょ ソン・シュー)にある倭王「讃(さん ザン)」か。413年・421年・425年・430年に記録あり。宋書は中国南朝の宋(420年~479年)について書かれた歴史書。日本については夷蛮伝(いばんでん イー・マン・ユン)の記述の中に倭の五王と呼ばれる日本の支配者から朝貢が行われたことが記されている。
(下が上石津ミサンザイ古墳。上は仁徳天皇陵or大仙陵古墳or大山古墳)
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427年中国(ちゅうごく ヂョン・グオ)の詩人・陶淵明(とうえんめい タオ・ユゥエン・ミン)没。仏教や道教が流行り「隠遁(いんとん)」という生き方が流行る中、「田園詩人(でんえんしじん ティエン・ユゥエン・シー・レン)」という形の隠遁生活を送り、理想形とされる。
★陶淵明の代表作、406年の帰去来辞(ききょらいのじ グイ・チー・ライ・ツー)冒頭部分
帰去来兮 グイ・チー・ライ・シー
田園将蕪 ティエン・ユゥエン・ジャン・ウー
胡不帰 フー・ブー・グイ
かえりなんいざ。
でんえんまさにあれなんとす。
なんぞかえらざる。(この日本語読みを考えたのは菅原道真)
(口語訳)さあ家に帰ろう。
田園は手入れをしないので草で荒れようとしている。
なぜ帰らないのか(今こそ帰るべきだ)。
第18代天皇 反正(はんぜい)天皇
仁徳天皇の子で履中天皇の同母弟。
宋書にある倭王「珍(ちん チェン)」か。438年に記録あり。
第19代天皇 允恭(いんぎょう)天皇
仁徳天皇の子で履中・反正天皇の同母弟。
宋書にある倭王「済(さい チー)」か。443年・451年・460年に記録あり。
第20代天皇 安康(あんこう)天皇
允恭天皇の子。記紀には叔父を殺しその妻を皇后にしたがその7歳の連れ子・眉輪王(まゆわのおおきみ)に殺害され、眉輪王を匿った葛城氏が安康天皇の弟(のちの雄略天皇)に討伐され没落したとある。
宋書にある倭王「興(こう シン)」か。462年・477年に記録あり。
476年西ローマ帝国滅亡。
第21代天皇 雄略(ゆうりゃく)天皇
允恭天皇の子で安康天皇の同母弟。葛城氏のほか吉備氏も討伐し没落させたと言われる。
埼玉県行田市の稲荷山古墳の鉄剣「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」に見られる「獲加多支鹵大王(ワカタケルのおおきみ)」と考えられている人物。「実在の証拠となる国内の歴史資料が存在する最初の天皇」「このおかげで、記紀の内容的信用性が一定程度向上した」と考えられるが、それは金錯銘鉄剣がそのような歴史資料と言えるかどうかにかかっている。
宋書&南斉書(なんせいしょ ナン・チー・シュー。宋を継いだ斉[479年~502年]の記録)に見られる倭王「武(ぶ ウー)」か。477年・478年・479年・502年に記録あり。
日本書紀によると、雄略天皇の皇女・春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ)は仁賢天皇の皇后となる。そして仁賢天皇&春日大娘皇女の皇女・手白香皇女(たしらかのひめみこ)は第26代天皇・継体天皇(53)の皇后となり、その子孫が現皇室まで続いている。一方、古事記では仁賢天皇の皇后の出自は書かれていない。
481年メロヴィング朝フランク王国成立。
(埼玉県行田市の、稲荷山古墳)
第22代天皇 清寧(せいねい)天皇
雄略天皇の子。在位5年で崩御。事歴のはっきりしない天皇。
第23代天皇 顕宗(けんそう)天皇
履中天皇の孫で仁賢天皇の同母弟。父は雄略天皇に殺されたと記されている。日本書紀では即位3年、古事記では即位8年で崩御。子は無し。
第24代天皇 仁賢(にんけん)天皇
履中天皇の孫で、同母弟・顕宗天皇に皇位を譲った後、顕宗天皇が崩御したので即位した。在位11年で崩御。
第25代天皇 武烈(ぶれつ)天皇
仁賢天皇の子。
日本書紀では殷(いん イン)の紂王(ちゅうおう チョウ・ワン)を思わせるような暴虐非道の天皇として描かれており、次の継体天皇の正当性を表すための創作とも言われている。戦前は教育対象から外されたことも。
古事記には子がなく即位8年で没とだけある。
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(雑感)
今回のお題は、田園詩人・陶淵明です。
「人生、『青雲の志(せいうんのこころざし)』が大事。でも、別の選択肢は?『隠遁』『田園詩人』はどうか?」ということが重要に思えるからです。
(ここで、「青雲の志」とは、功名を立てて立身出世しようとする志、「隠遁」とは、世俗を離れて生活すること、と定義しておきます。)
私も50歳男性ですからね。人生とか、生き方とか、もちろん考えます。
「青雲の志をもつ。これが理想。これが大事。」
それはそうでしょう。
「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け!)」と言われたり、出世すれば「今太閤」ともてはやされたり。「青雲の志」が大事なものであることは、古今東西、永遠不滅でしょう。
(北海道札幌市豊平区の羊ケ丘展望台にある、クラーク博士像)
一方で、人生甘くありません。現実は厳しい。年齢も重ねていきます。「青雲の志」ってわけにもいかないこともあるでしょう。
そんなとき、人生についてどう考えれば良いのか?
「隠遁」はどうか?
陶淵明の時代の中国は、三国志の時代が終わったと思ったら北方民族が攻め込んできて、中国東南部へと逃げて東晋ができた時代。「北方民族には勝てない」「逃げたところは風光明媚で良いところ」という現実に直面し心が折れ、現状に満足してしまいます。
そして、仏教や道教、「仏の道」「仙人への道」が流行ります。隠遁が流行るわけです。
そんな時代に、陶淵明も役人の仕事を辞めて隠遁します。ただ、仏の道や仙人への道は選びません。「田園詩人」になります。田舎に帰って田畑を耕し好きな酒を飲みつつ詩を作る日々を送ります。妻と5人の子供もいたそうです。
この、「厳しい現実の前に『あー、もう、こんな仕事なんて辞めてやる!』と立身出世を諦め、田園詩人になる。ただし、仏の道や仙人への道は選ばない。妻も子供もいる」という生き方。
これが、理想の隠遁生活、理想の人生の一つ、そう評価されてるみたいです。
うーん、どうなんでしょうね。
世俗から離れるのって、実際には非常に難しい。完全に離れるにはロビンソン・クルーソーみたいな状態じゃないといけません。田園詩人は少し世俗に関わってる状態でしょう。それが理想形というのは、隠遁=世俗から離れるということが結局無理だからではないでしょうか。
私は、完全に世俗から離れることが可能であることを前提にした、ステレオタイプな考えに対して、懐疑的です。
ここで一つ取り上げたいことがあります。デイビッド・リカード(David Ricardo)の比較優位の原理(Principle of comparative advantage)です。比較優位の原理とは、1817年に古典派経済学者(Classical economist)デイビッド・リカードが提唱した経済原理です。内容についてまとめたものを下に貼っておきます。
(比較優位の原理について私がエクセルで作った図)
私は比較優位の原理が好きです。
初めて知ったのは、10年近く前でしょうか、BSジャパンで池上彰の経済学のテレビ番組を見ていてこの原理が紹介されたときでした。池上彰が「これは単なる経済の話ではない。誰でも世の中の役に立てるという話だ。たとえ『この人には全てのことで負ける』としても比較優位のことはある、それをやれば世の中の役に立つのだ。私も、『何をやってもかなわないという人』『報道の王道であるスクープや社説では絶対かなわない人』がいたが、比較優位のことをやろうと思って自分を励まして、報道の世界で生きてきた」という旨のことを言っていて、感動しました。
そして、思うのですが、陶淵明は比較優位のことをやっていた、それが後世の人に「色々な生き方があって良いんだ」と希望を与え、高く評価された。そうも評価できるのではないでしょうか。
絶対優位 absolute advantageのことは無かったし、出世は得意じゃなかったけど、流行りの隠遁ということに関してはそれなりに得意だった、つまり比較優位だった。比較優位の畑仕事や詩作をやって、酒もたしなんだ。子作りもやった。後世の人に色々な生き方があることを示し、希望を与えた。
比較優位の原理が好きなせいか、そんな気がするのです。
そう思うと、「隠遁」とか「仏の道」「仙人への道」「田園詩人」というのは、完全に世俗から離れることは不可能なんだけれど、比較優位のことをやろうと決めた人が選ぶ選択肢の一つ、そう思えます。
さて、私自身ですが、「物心ついた頃から嗅覚がない、これは重大なことだ、人生のテーマとして取り組まなければならない」「私はどんな臭いにおいも平気。この点では世界一。この世界一の得意技を生かしたい。これも人生のテーマだ」「人生のテーマに、プラスになることをしよう」と考えて生きてます。絶対優位の道を選んだとも言えますが、考え方としてはこれもまた比較優位の原理に沿ってますよね。