安藤榮作 展・DEDICATE TO NOBLE SOULS | Jun Photo Diary

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写真を媒体に旅、日常での出会いの記録を綴ります。

安藤榮作展は、本日終了しましたが、今回の展覧会にあたり、神奈川県立近代美術館長 水沢 勉さんが展覧会に寄せて素晴らしいコメントを書かれていますのでご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落下と飛翔 安藤榮作へ

 

久米仙人については、兼好法師の『徒然草』中の一篇によって記憶に刻まれているひとが多いはずだ。
 「物洗ふ女の脛の白き」に心惑い飛行能力を失ってしまう仙人。ひとは「えならぬ匂ひに心ときめきする」もの。自在に空中飛行できる神通力を久米仙人は、うら若い女性の色香によって落下してしまった、と『今昔物語集』も伝えている。兼好法師はその逸話を官能の誘惑の典型例にユーモアを込めて挙げたのだ。
 しかし、『今昔物語集』によれば、地上に落ちた仙人はその女性と結婚し、世俗のひととなる。そして、都の造営のために人夫のひとりとして働いていたときに、再び修行を決意し、大量の木材を念力で空中搬送することに成功する。仙人として復活したのだ。
 わたしには安藤榮作という現代日本に生きる木彫家と久米仙人が重なるときがある。聖俗の境界を囚われることなく彫刻という制約の多い表現手段を自由自在に解き放とうとしているからだ。
 手にするのはそれほど大きくはない斧である。
 それが打痕を残しながら、木のなかからさまざまな形を彫りだす。それは身近な動植物であったり、幻想的な鳳凰であったりもするのだが、基本、写実表現であり、人の姿であること(ひとがた)であることが通常モードである。ときにそれが抽象化されて、老若男女を問わない原型ともなる。そして実際に森のなかにそれらが展示されて風景と合体することもある。
 鉈彫りといわれる平安時代後期に特徴的な、あえて都ぶりの洗練をうち捨てた一見素朴とみえるが、じつはきわめて意識的に内面の表出に傾いた仏像群が存在する。それは流派として継承されるのではなく、地方色とよい意味で混ざりながら日本各地に優れた作例を破線状に残すことになった。江戸期を代表する仏師のひとり円空は、その隠れた水脈に息づいている彫刻の生命を汲みあげたのである。
 2020年に円空賞を受賞した安藤榮作が、岐阜県美術館で記念展をしたとき、まさに新型コロナウイルスの感染拡大がはじまったときに重なり、世情は暗い不安に包まれていた。会場の中央には円空としては大作というべき不動明王が立ち、その周囲には安藤が手斧で刻んだ無数のひとがたが敷きつめられていた。
 3.11のカタストロフで多くの生命が落下した。落命。その記憶も蘇る。しかし、身を屈めてそのひとつひとつに近づき、不動明王を見あげると、それは憤怒の相ではなく、喜悦に満ちた笑みを湛えているのだ。
 落下。そして飛翔。安藤榮作という彫刻家は、その希望のダイナミズムの秘密に通じている。 

 

水沢 勉 評論家/神奈川県立近代美術館長