2006/1/18(水) 入院3日目


この日から夫は仕事に行った。


私は昨日電話していた保育室に次男を連れて行った。
次男には直前になって預けることを告げた。
ぐずることは分かっていた。
去年幼稚園のプレ教室(週に一回2,3時間預かってくれる)に入れようとして、半年も格闘したが、
とうとう私から離れられずに仕方なく辞めた経験がある。


「えー。嫌だ。」


「今日お父さんいないでしょ。

お母さんがお兄ちゃんの病室に行ってる時、次男ひとりになっちゃうでしょ。
2時間くらいだよ。ここで遊んだりして少し待ってて欲しいの。
お願い。」


なだめたりすかしたりしながら、最後にはお願い、お願いと繰り返すと、次男はなんとかそこに留まってくれた。
私はその保育室の方に挨拶をすると足早にそこを出た。
あとは保育のプロに任せるしかない。



*-*-*-*-*-*-*-*-*


病院に着くまでの間、私は長男がどうしているだろうかと考えた。
また昨日のように笑うのだろうか。
あの死んだ目で。
それとも、眠ったままで意識がなかったらどうしよう……。

私は不安と小さな希望を抱いて、小児病棟に入った。


集中治療室が近づく。





……静かだ。



眠っているのかな……?



長男は起きていた。
その顔は
………



泣いている。


さめざめと。


入院してから、また初めて見る表情だった。


私を見ると


「あああ………!ああ…!!」


また悲しそうな声をあげて泣いた。
大粒の涙がポロポロこぼれた。


私はおもわず駆け寄り、長男を抱いた。

長男は私の体にしがみつき、また泣いた。


私は泣きそうになりながら、ぐっとこらえて、
長男を優しく、優しく、抱いて、


「どうしたの?」


と聞いた。


「ううう、うう……。」


言葉にならない。



私はもう聞かなかった。



辛い…苦しい…悲しい…怖い…


それはそうだよね。


長男の脳の中で何が起きているのか、その時はまだよくわからなかった。
分からないけど、きっと大変なことが起きている。

まだ6歳の子供が、
家族とも離れて、ひとりで病院にいて大きな病気と闘っている。


辛くないわけないよね。


長男は面会時間の間、殆どずっと泣いていた。


私はずっと長男を抱いていた。


抱かれると少しだけ安心してるように見えた。


私は努めて穏やかに
……間違っても泣いたり、取り乱したりしないように…
少しだけ微笑みを浮かべて、
赤ちゃんを寝かしつけるように、
長男を抱き続けた。


途中で医師が来て、今日のスケジュールを告げた。

午後2時から脳血流を調べた後、MRI、そして4時ぐらいに髄液を採る。
検査の結果は夜8時くらいには出るとのこと。


お昼の面会が終わり、私は病棟を後にした。



*-*-*-*-*-*-*-*-*


次男を迎えに行くと、保育室の方は預かり日報を書いてくれていて、
それによれば、ずっと泣いているということもなく、そこそこに遊んでいたようだ。
昼食も残しはしたが、ある程度は食べている。
よかった……。


午後の面会は4時から。
次男の次の保育園は3時半からお願いしてある。
車で20分ほどかかるのだが。
いったん自宅に帰り、私も遅い昼食をとったり、家のことをした。



*-*-*-*-*-*-*-*-*


そして、再び家を出ようとすると、次男が何かを察知してぐずりだした。


「また、お預けするの!?」


「うん…。ごめんね。今度は違うとこだよ。」


「もういやだ!絶対行かない!!」


「今度のところはね、さっきみたいなマンションの一室じゃなくて、
広くて、お外で遊べたりするんだよ。」


夕方とった保育園は、園庭のついた普通の保育園だった。


「どんなところだってやだ!!」


ぐずられたって仕方ない。

私は次男を無理矢理車に乗せた。

はじめて行く場所で、地図を見ながらなんとかたどり着いた。


嫌がる次男の手をひき、キョロキョロしながら保育園の建物の受付に入った。
(本当になかなか大きな保育園だった。)


受付で話をすると、廊下の先から保育園の先生らしき人があらわれて、
次男の手をとった。


次男はすぐにその手を振りほどいて私の方にしがみつく。


しかし、そこは先生も慣れたもの。


「△△ちゃんはこっちで遊ぶんですよ~」


とさっと次男を私から引き離した。


次男はとうとうギャーギャーと泣きだした。


「はい、おかあさん、大丈夫ですから、もう行って下さい♪」


私は胸がチクチクしながらも、
先生に任せて、その場を去った。

次男の泣き叫ぶ声を背中に聞きながら…。


ごめんね、次男。

あなたが大切じゃないわけじゃ、もちろんないけど…。
今は長男のことが一番重要なの。

…がんばって!



私は気持ちを長男の方に切り替えた。



*-*-*-*-*-*-*-*-*


午後4時。
病棟にたどり着くと、
医師に聞いていた通り、長男のベッドは空で、検査に出ていた。
今頃は髄液を採っているはずだ。


私は長男の帰りを待ちながら、お昼の面会で見た長男の涙を思い返していた。


悲しい顔…。

無表情でもなく、笑顔でもなく。

でも、それは、今の状況に一番あった表情なのだろう。

そう考えると、少しだけ良くなっているかもしれない、と思えた。

がっかりしたくないから…あまり楽観的にはなれない。

けれど、いつも小さな希望を抱いていたかった。

これが、良くなる前兆でありますように……!



しばらくすると、長男が戻ってきた。


長男は眠っているように見えた。

けれど、すぐに目を開け、私に気付くと大声で叫んだ。



「殺された!!」


長男は確かにそう言った。

恐怖に満ちた顔で……。



【つづく】

2006/1/17


その日、面会時刻が終わるまで長男は眠ったままだった。


私たち夫婦は、昨日医師に話を聞いた応接室で、再び医師と話をしていた。


今日もCTとMRIを撮ったが異常は見られなかった。
採血など他の検査でも目立った異常はない。
翌日はCTとMRIに加え、脳血流と髄液の検査をするという。


検査では異常がないので、医師は明言を避けていたが、
顔が少し深刻だった。


理由は、夜の長男の行動だ。


意識が朦朧としてるとか、そういうレベルじゃないのは、
誰の目にも明らかだった。


長男の「笑い」や「しゃべり」「表情」は

脳にかなりのダメージを受けていることを暗示していた。



笑顔が見れて嬉しい、なんて言ってる場合ではないのだ……。



「てんかんなどではない可能性が高いと思ってます…。」


「明日の髄液検査で何かが分かると良いですが。
髄液とるの、相当痛いですが…がんばってもらいます。」


髄液検査は脊髄に注射の針を刺して、その中の液を抜くことから始まる。
その太い注射針がどんなに痛いか…私も昔経験がある。



゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。


長男を出産したとき、出産直後私の大腸の壁の血管(動脈)が切れ、大量に出血した。
体がドクン、ドクンと波打って揺れるほど血が出た。
血の気が引いていく感じが自分でもわかった。
その場で緊急手術となった。
全身麻酔している暇はなく、脊髄麻酔での手術。
あの時は別の痛みと恐怖と加えて脊髄麻酔の痛みも半端なくて、
何が何だかわからないけど耐えるだけだった。
(力を入れると出血するので、力を抜いて!と言われ…。でも、つい力入るんだよね…。)
気が狂うほど(いっそ気を失いたかった…)長い手術の時間を耐えることができたのは、生まれたばかりの長男を置いて死ねない!という思いがあったから。
出血多量であわや…の状態だったけど、何十針も縫って、なんとか止血でき、助かった。


゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。



その大切な長男の身に何が起きているのか……。

翌日の検査に望みを託して、その日は帰宅した。


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その夜、博多で一人暮らしをする母から電話があった。


「私、やっぱりそっちに行くわ。」


前夜、お互いの親には一応連絡していた。
夫の両親も九州で、どちらも遠方だから、心配かけるかとは思ったけれども…。


母が来てくれると正直助かる。
病棟には入れないけど、次男を見てもらえる。

私は甘えることにした。

翌日来てもらうことになった。



病院から戻ると夜の9時で、夕食はコンビニの弁当だ。

食欲もないが、私は機械的に食べ物を口に運んだ。

食べなきゃ。
どれだけ長期戦になるかわからないもの……。
長男と、次男のために、
私が倒れるわけにもいかないし、
意気消沈してる姿を次男に見られたくない。


体はぐったりしてるのに眠れない。

それでも少しでも体力温存できるように、布団に入って目を閉じた。



明日、何かが分かるだろうか。

早く病名を知りたい。

こんな不安な気持ちはもういやだ。


でも、分かるのが怖い気もする……。




【つづく】

2006/1/17


入院二日目の午前中のこと。

(話がちょっと前後します。すみません汗


集中治療室の、長男の隣のベッドに男の子が運ばれてきた。
長男よりはだいぶ大きい。後に小学校六年生と聞いた。
私たちよりは少し年上に見えるご両親がとても心配そうについてきていた。
昨日の私たちのようだ…。


その子の担当の医師は長男とは別の先生だった。
その医師に向かって、お母さんが声を高くして話している。


「タミフル飲んだんです!
この子、それからなんです!
痙攣起こしたの…!!
インフルエンザかもしれないからって…。
でもインフルエンザじゃなかったんです。
タミフルのせいですよ!


そのころ、インフルエンザ治療薬タミフルを飲んで、異常行動を起こしたという人が多く出て、不幸な事故もあり、ニュースになっていた。


話の内容からすると、隣の男の子も長男同様痙攣が多発しているらしい。


それにしてもお母さんは「タミフルのせい!」
と連呼するので、医師はそれを制して
「…いや、あの…今の段階ではまだ何とも言えませんから。
検査と合わせて今後の様子を見ていきますから…。

…タミフルの可能性は低いですけどね。


医師が小さくぼそっと言った言葉にお母さんは不本意そうだったが、

医師が忙しそうに立ち去ってしまったので、言葉を飲み込んだようだ。



午前の面会が終わるとき、そのお母さんが話しかけてきた。


「私ね、隣のF市から来たの。

昨日は地元の病院にいたんだけど、

原因がわからないからって、こっちに連れてこられたのよ。
昨日から痙攣が何度も起こってて。
一昨日熱が出て、病院で「インフルエンザかも」ってことでタミフル渡されて飲んだのよ。
結局インフルエンザじゃなかったんだけど。
(痙攣は)タミフルのせいだと私は思うけど。ねぇ。
そう思わない?
なのに、あの先生違うと思うとか言ってて。」


いや、私に言われても……(汗)


話によるとタミフル飲んでから24時間以上はたっていて、

素人判断だけど、それでいまだに痙攣起こすのかどうか、ちょっと疑問な気も…。

でもこのお母さんの剣幕では下手なことは言えない~~ガーン


「えーっと…さぁ…どうですかね?汗
あの…。うちもそうなんです。痙攣が続いてて。」


「あら!?そうなの?
タミフル飲んだ!?」


「いえ、うちは。あせる


私は入院までのいきさつを簡単に話した。


「なんの病気かまだわからないんです…。」


「そう。お互い似てるわね。」



そう、その彼の症状は長男によく似てた。
入院時期もほぼ同じだった。

その後数日、長男も彼も、同じように何度も痙攣を起こした……。


後に一般病棟に移る時も同じ部屋になった。
何かと縁のある男の子だったが、うちとはまた少し病気の種類が違っていたようだ。

入院数日で決定的な症状の違いがわかるようになっていく。

また、その子のことは後に書いていくと思う。

始まりは似たような症状でも、世の中にはいろんな病気がある…
そう思った。



今でも時々考える。

彼は…・…その後、どんな人生を歩んでいるのか、歩んでゆくのかって…。


もちろん、幸せでいて欲しいけれども…。




【つづく】