五百淵のため池除染
近所にある五百淵の桜の様子を見にゆきました。つぼみは膨らんできていましたが、まだ緑が強く、まだ時間がかかるだろうと思いました。
五百淵では、再来年3月までの予定で除染されています。
「ため池放射性物質対策 (五百淵)業務委託」は6億4,649万8,800円であおみ・共立除染業務共同企業体が落札しています。
酒蓋池や荒池と違い、大型の浚渫装置ではなく小型の台船(4m×4m)を用いていました。
陸上設備や現場事務所などが置かれたヤードの壁には工程の概要が示されていました。
震災から8年を過ぎ、『やんねぇべぇ』と言われていた「ため池除染」が進められています。
市内では、各住宅から除染土壌の搬出作業が行われています。大きな公園の一部は鉄製のフェンスで囲まれた搬出土壌の仮置き場を経て、大熊・双葉両町の中間貯蔵施設へ向けて、再び搬出されています。
方法の検討や予算措置など、県民が『早く、早く』と思っていた除染には、長い時間が掛かり、と多くの人々の苦労と葛藤が生まれました。原子力災害の甚大さを実感するとともに、原子力発電に代わる、環境負荷の小さいベースロード電源の創出に本気になって取り組まなければならないと思いました。
今年はこの除染現場を背景に五百淵で花見をせざるを得ませんが、この8年間を振り返り、今後私たち世代が行わなければならない事を考えながら、桜を愛でたいと思います。
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[メモ]
福島県内の「ため池除染」は、当初、「放射性物質汚染対処特措法」の対象外となってしまい、予算が確保できず実施が不透明でした。農家からの強い要望で2016(平成28)年3月13日に、「ため池」の汚染土壌除去は「福島再生加速化交付金」、除去廃棄物の中間貯蔵施設への搬出費用は東京電力㈱が負担する枠組みが決定し、県内15市町村270ヵ所が計画されました。」
「中年フリーター」
抱えるものが多くなり、肉体的精神的な衰えを感じるこの歳になって、“明日、仕事があるのか”、“いつまで働き続けられるのか”と考える事は大変な事であり、社会に「中年フリーター」が増えているというのは、解決すべき問題だと実感を持ちました。
読後、同世代が味わっている深刻な雇用状況に、他人事では無いと思うとともに、我が福島県の現状を明らかにして対策してゆかないと、再生・復興を鈍化させてしまう大きな問題になると痛感させられました。
内容は、就職氷河期(1993年頃から10年程度)に正社員になれなかった方々を中心に「中年フリーター」(35~54歳の非正規雇用労働者)となり、約273万人+414万人(就業調整していない既婚女性)の一部という規模まで膨れ上がり、生活保護費支出の増大が見込まれる等、社会や経済に大きな影響を与える事は必至というもの。
『いったん非正規雇用になってしまうと「スキルがみにつかない」、あるいは「スキルがついても認めてもらえない」という状態が続く(p27)』中で、自身を失い“あきらめ”の境地となり、企業が正社員として受け付けなくなってしまい、「中年フリーター」が増えてゆく現状は、現在進行形で起こっている事は容易に想像がつきました。女性が「雇用形態の安定」を理想の結婚相手に求めるているという現状を考えても、社会・地域の持続性という問題からも、放っておくべきではありません。
15~34歳の正規雇用率が77.8%で全国一を誇る富山県は、雇用のミスマッチを防ぎ、長く働き続けられる環境整備に様々な施策を行い、公立中学の2年生に対して5日間の職業体験を義務付ける「14歳の挑戦」や、学生を対象にした「Uターン就職セミナー」などが紹介されていました。
そして、私たち市民の側は、この時代の“働き続ける事の難しさ”を共有し、生産性を上げる事が、仕事を続け昇給できる条件という認識のもと働く必要があると思います。同時に、精神的肉体的に耐えられなく正社員を止めてしまうことはあり得ると理解し、レスパイト(一時休止)と職業訓練による正社員への復帰を後押しする社会の雰囲気や文化を創ってゆく事が必要だと、私は考えています。
(以上)
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最期の在り方
今日の地元紙・福島民報の論説で「傷病者の意思 受け止め方を整えよう」と題して、救急現場での心肺蘇生の在り方が取り上げられていました。
高齢化の進展等により、本人や家族が心肺蘇生を拒む事例が見られはじめ、2017年には県内で24件があったという事です。論説は『救急、医療、福祉、法律、宗教などの幅広い視点で課題を検証するべきだ。』と締めくくられていました。
私は人工呼吸器を取り扱う仕事をしていたため終末期医療に何度も立ち合い、また「看取り」を実践している介護福祉施設で働いていたこともあるため、実感を持ってこの論説を読みました。
この問題は、全ての人に関わる可能性のある重要な問題です。仮に“国による統一の方針”が出されたとしても、本人が強い意志を持っていたとしても、現場の救急隊や医師、家族、介護職員は戸惑い、迷うことになると思います。生と死の間に挟まれ、恐れ立ちすくむ方も居るかもしれません。
私はこの問題に必要なのは、一人一人が“最期の在り方”を具体的にイメージしておく事だと思います。私は多くのお年寄りに接し、“最期”という言葉を何度も聞いてきましたが、自分の死は考えられても、その死を迎え入れる家族や見届ける医療関係者までは想像されていない方が少なくありませんでした。
“最期の在り方”は自分の意思だけではなく、自分の死に関わるであろう方々の行動にも“お願い”をする事も含まれると思います。「遺言書」という形で死に関わる物事を定める事が理想ですが、そうならないケースも多いです。
ならば、死を忌み事として秘し、“終活”や宗教事など一部個別の事柄として押し込めず、誰もが広く考え、話し合える環境が必要になってきます。一部で行われているかもしれませんが、行政が“終活”に関わり、地域社会の雰囲気を変え、死を日常事としてとらえられる文化を創ってゆく必要があると私は考えます。
心肺蘇生を拒むか否かは、人間の最期の一部です。これを含め、本人も家族も、老いも若きも自らの“最後の在り方”を、まずは考える制度・仕組みを行政は作って欲しいと思います。そして、各地域で気軽に話ができる雰囲気を創り、“最後の在り方”が個人事ではなく社会で取り上げるべき事柄であるという文化につなげてゆくことを期待しています。
組織票に頼っている政治家は、支援者の高齢化が進み、この問題は他人事ではないのではないでしょうか。時には後援会で“最後の在り方”を話し合い、行政に対して意見を言い、この文化の創造に一役買って欲しいと思います。
(以上)
→根本潤ホームページ「30年の仕事」
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