熱闘! 政治家への道 ~元高校球児の夢~ -231ページ目

日本国民の政治力

参議院選挙が終わりました。



今回、私がボランティアとして応援した候補者は、なんとか滑り込みで当選しました。
今後、彼の活躍を期待をもって見守りたいと思います。



"代表制民主主義である以上、その国の政治は、国民のレベル以上のものにはならない"
今回の選挙結果は、日本人の政治力を極端に示した事となったと私は思います。



昨年の政権交代に、国民は何を期待したか。政官財の強固なしがらみや古い政治体制、官僚主導の政治などへの決別を意図し、民主党政権を誕生させたのではないのでしょうか?

確かに、民主党(連立)政権の歩みは不確かで、迷走しました。さらに、管首相の消費税発言の二転三転ぶりや説明不足は目もあてられませんでした。


しかし、50年以上続いた自民党政権化での悪弊が、1年そこらで劇的に変わることがあるのでしょうか?

そりぁ、竹を割ったようにシガラミを断ち、旧弊を打破し、まったく新しい政治をすることはカッコいい。しかし相手は国政、世界第二位の経済規模を誇る国の政治がそんな劇的に変わることはあり得ない、と私は思います。

本当に、自民党政権下で生まれた膿を澱を吐き出し、浄化するためには辛抱が必要ではないかと私は思うのです。


昨年の衆議院選挙で起こった政権交代は、まだ終わっておらず、現在進行中なのです。今回の参議院選挙は民主党への中間評価ではなく、政権交代を"続けますか?"、"止めますか?"を問う選挙だったと私は考えていました。


しかしながら、今回、国民は結果的に"政権交代を止めてくれ"と宣言してしまった、と私は思います。


これから、衆参"ねじれ"で、国民不在の永田町論理で政局が始まります。今回の選挙結果で、自民党は『再び政権を目指せと国民が託してくれた』と勘違いし与党を攻撃し、みんなの党は『政界再編で党勢拡大だ!』と気勢をあげるでしょう。

“ねじれ”は誰も得はさせない。政策論争は各党の駆け引きの舞台となり、法案は成立されず、成立されても骨抜きになる。前回、自民党政権下での“ねじれ”で起こったことが再現され、国民は何の恩恵も受けず、また政治に失望してしまうのです。


これが、国民が選択した結果であり、現在の日本人の政治力、政治レベルなのだと、私は思ってしました。



・・・・昨日深夜から未明、本日一日中、私は悲観しました。これは嘆きの日記です。ご容赦ください。

セイキョウブンリトシンジャカクトク...参議院選挙ボランティアで感じた事

日本国憲法20条第一項「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」。


今回の参議院選挙では、我が選挙区から公明党、幸福実現党それぞれ一人ずつ、計二人の候補者が出馬しています。

自分の信ずる宗教の世界観を、自分の生きる実社会に実現させたいと願う気持ちは理解できます。
ただし、その実現を権力を伴う政治を利用して行うという姿勢には納得できませんし、それは政教分離に反すると思います。
特に、当該宗教の信者を総動員し選挙活動をしている姿を見ると、益々その念が強くなります。

ただ、ただ...「憲法14条1項」や「憲法19条」の事を考えると、そう憤ってばかりもいかない...。難しいところです。


しかし、もしこれら宗教政党が、信者を広く集めるために政治に関わり、政治を利用しているのだとしたら、話は別です。断固、この行為は許されるものではありません。

政治での成果を誇示し、信者を募り、布施を集め、その集められたお金には宗教法人が故の税の優遇処置が施される。更に、このお金が、貸し付けという合法措置で、宗教政党に流れる...。この流れは断固断たなければなりません。


低い投票率では、強固な組織表を持つ、宗教政党が優位になります。高い投票率での宗教政党の政策が支持されるのでれば、それは寛容すべきものです。
低い投票率で宗教政党が議席を確保せぬようにすることが、今私たちにできることではないかと思います。



やっぱり、投票に行こう!!

民主主義のコスト...参議院選挙ボランティアで感じた事

今日は、公営掲示板の選挙ポスターの貼り替えをしました(選挙管理委員会に戸に届け、了解が得られれば、貼り替えはOKなのです!)。そこでの話。


この選挙区の掲示板にはポスターがほとんど貼られていないスペースがあります。
今日、このスペースにポスターが貼ってある掲示板があり、初めて見ることができました。


この候補者は、"お金をかけない政治"を実践しており、このポスターも自費で作成したようです。

実は!、掲示板に貼る選挙ポスターは、ある一定の金額まで公費助成(つまり税金からの支払い)がなされます。

選挙期間中、雨に濡れても剥がれないポスターは、全ての候補者が貼れるようになってます。
しかし、この候補者のポスターは、昨日の雨で、今にも剥がれそうになっていました。


こので考えたのは、"民主主義のコスト"です。


彼の"お金をかけない政治"という信念には共感します。私もかくありたいと思います。
しかし、肝心な彼の政治理念や政策が有権者に伝わらなければ、本末転倒だと思います。
ポスターが貼られていない、選挙カーも走らせない。そうなると彼が立候補しているのかさえ有権者はわからない。存在がわからなければ、彼の政治理念や政策は知る由もない。


政治は、政治をやろうとする人間が、その存在を大衆に示し、言葉をもって大衆を納得させ、(大きく言えば)社会を導くものだと思います。
そして、民主主義下の政治では、選挙活動で政治家は考えを訴え、有権者が投票し、代表者を決める方式が多く、日本もそれを採用しています。

しかし、この"代表選び=選挙"には一定のコストがかかります。大昔は、このコストを払える者だけが政治家になっていました。しかし、それでは公平ではないということである一定の選挙費用を公費助成する制度ができ、現在に至るのです。


"お金をかけない政治"を目指すのであれば、現在のこの制度を利用し、当選し、選挙制度そのものを変える必要があるのではないかと思います。

この制度は、彼のような志のある人間が、お金を気にせず、最低限の選挙活動ができるよう支えている仕組みです。つまり"民主主義のコスト"、社会的に必要な支出なのです。

"お金をかけない"のであれば、ポスターをもっとも安く作ってくれる業者を探したり、選挙カーに使う車をレンタル料金の最も安い店から借りるなどの方法があります。


現状の制度を利用し、他の候補者と同じ土俵に立ち、選挙戦を戦い当選し、そして、政治家として、"お金のかけない政治"の仕組み(法律)を作る事を、彼には望みます。


長くなりましたが、そんな事をを考えた、一日でした。