バリ島に通い始めて丸15年
建材を探しに来たきっかけから
すごい人とのご縁があって
コロナ禍前までの5年位は
毎月の様に通っていた。
この15年の間に
どんどん変化しているバリ島を
目の当たりにしてきた
始めてバリ島に来た時の第一印象は、
やはり途上国的印象が強かった。
裸電球に屋台が並び
道路も一歩路地を抜けると
舗装されていない悪路
バイクが多く道を行きかい
車もまばら
その当時のカローラが
日本円で400万円の値が付く
高級車だった。
アルファードなんかは
数千万円していた
※インドネシアは、ラグジュアリーTAXがある為に
贅沢品に100%TAXが掛かったりする。
そこからの現在は、
バリ島にくるたびに、
沢山の変化が見て取れて、
バリ島は進化し続けている!
っていつも感じていた。
コロナ禍になって
観光の島であるバリ島は、
大打撃であろうと
勝手に想像していたが・・・
最初の1年は
パンデミックになり
誰も街に人が歩いてない状況はあった物の
この島はやはり根強く生きていた。
過去に2回のテロによる
痛ましい事件が起こったその時も、
観光客が島に入らず
大変な状況だった。
そんな事の経験は
しっかりと島の人達に根ずいていて
生きる術を知っていたのだ。
逆行に強く、
島全体が打撃を受けている時でも、
脈々と、
次の発展の為に、
大きな投資が行われ
整備されて
安全安心なバリ島をアピールして
次の観光客受け入れの準備をしていた
それを証明するかの様に、
各国要人が集まる国際会議を
2回も開催している。
今年2月にはバイデン大統領や、
日本の首相等、
先進国首脳が集まる会議が行われていたのは
記憶に新しい。
バリ島にとっては、
安全を世界に向けてアピールした
誇らしい結果を残した事になる。
それに伴った
空港の整備
道路整備等々、
更にバリ島の近代化が、
進められた。
今回バリ島入国の時、
コロナ禍前に
戻った事を
イミグレーションの人の数で感じた
今回、
シンガポール経由でバリ島に入ったが、
787型機が満席だった。
他の到着便と重なり、
イミグレーションも
随分な時間を要した。
ヘルスチェックは、
既に跡形も無く、
そのままVISA発行窓口経由で、
イミグレーションへと…
平時と大まか変わらぬ手続きだった
※関空で、水際対策の為のヘルスチェックが、
各航空会社のチケットカウンターで行われている様だ
成田では既に無かったのだが、関空からバリに入る筈の仲間が、チケットカウンターで、ワクチン接種証明が不備だった為に、チケットが発行されずフライト出来なかった。
バリ島に向かう現段階では注意が必要である。
ターンテーブルで
自分の荷物が流れて来る人の数も
各レーンにかなりの人…人…
残念ながら、
日本人はまばら…
かなり少数派の分類。
欧米の人、オーストラリアの人、インドの人
等等がとにかく大半を占めていたと観る。
空港から街に出た車の数、
バイクの数、
人の数
2月にバリ島に訪れた時よりも、
格段に増えた。
伴って、渋滞も起きている。
コロナ禍以前のバリ島に戻りつつある。
いや、
進化している。
バリ島西側のジャワ島との玄関口となる
ギリマヌクからバリ島首都デンパサール迄の
約100kmの距離
高速道路を今建設中である。
2025年の完成開通を目指し、
急ピッチで工事が進んでいる。
私がバリに通い始めた頃に、
高速道路が出来る話は、
ずっと聴いていたが、
実際に建設がスタートしたのだ。
道路インフラは、
物流に直結する。
経済の根幹は、血液である物流だ
その道路インフラは、血液を送る血管だ
高速道路が開通したら、
今までバリ島の西側玄関となる
ギリマヌクから首都デンパサールまで、
有に4時間は要した道のりが、
2時間ちょっとで結ばれる。
これは明らかに、
物流の流れが変わる。
バリ島の首都を中心に、
クタやジンバラン等の南側が中心となって
栄えていた場所から、
西側、北側へと
人の流れが拡がっていく筈だ。
既に、
観光客受け入れの為の街作りや、
観光拠点となる計画が、
西側で目白押しである。
今後のバリ島
よく知る観光地である、
クタ、スミニャック、サヌール、ウブド
から…
タバナン、ヌガラ、シンガラジヤ、ムンジャンガン
…へと
観光拠点が拡がっていく…
という事は、
経済拠点も変化し動いていく
この10数年
その西側を中心に
リゾート開発を進めている
そのプロジェクトに
私も乗っかっている
これからいよいよ
面白い状況になっていく
楽しみだ
やってみなはれ







































