弟からのラインで秀樹が死んでしまった・・・と知り、しばし絶句。脳梗塞で倒れたときもヤングマンが???とものすごく衝撃だったのを覚えています。
ちょうどその頃、父と妹が済州島での秀樹のディナーショーの招待されて、妹がヤングマンを踊ったんだとお土産話に聞いていたから余計に驚きがあったような気がします。
秀樹といえば「寺内貫太郎一家」の息子役、8時だよ!全員集合でのマット運動の上手なこと!が思い出されます。いつも楽しみにテレビを見ていました。同年代はみなそうじゃないかなー。
夏になるとスターは大磯ロングビーチで水泳大会をやってて、私は隣町の平塚に住んでいたから「スターが近くいる」(ぜんぜん近くない距離なのに)と妹といつもうきうきどきどきしながらテレビに釘付けだったような記憶があります。
そして忘れられないのはレコード大賞発表のときの一コマ。
子どものときの記憶って断片的なんだけど鮮明なものがあるようです。
当時中学2年生だったかな。
大賞は秀樹のヤングマンかジュディ・オングの魅せられてか・・・とずっと騒がれていました。純粋に毎年どきどきしながら見ていたけど、ある日賄賂やいろんな力関係で決まると知って社会の汚さを知ったような気持ちになったものでした。
事実も大切だけど、夢を見る気持ちを砕かれるってつらいものがありますね。夢や憧れを持ち続けさせて欲しかったな。。。といまさらながら思い出します。
秀樹かジュディ・オングか・・・・
魅せられてのジュディ・オングが大賞になりました。
秀樹はとても素敵な笑顔でジュディ・オングのところに行き、お姫様抱っこで舞台へ連れて行ったんです。
悔しくないのかなーえらいなーかっこいいな。
ライバルに負けても相手をたたえるって悔しがるよりかっこいいんだって思った瞬間でした。
(悔しくて男泣きする姿もあっぱれだと今は思いますが)
そんな思い出の中のスターが死んでしまったのか・・・
祖母は美空ひばりが亡くなったとき、父は石原裕次郎がなくなったとき、とても落ち込んでいました。
ようやく・・とうとうその気持ちがわかるようになってしまいましたね・・・・
時代をともに生きたアイドルっていうのかな~聖子ちゃんや明菜ちゃん、伊代ちゃん、きょんきょん・・・がんばってね。お願いねって感じです。
この時代のスター以外はほとんどよくわからない。
ジャニーズはひかるげんじで止まってるし、トレンディ俳優は石田純一で終わってる・・・末の妹にいつの時代の話だって大笑いされたことあるけどほとんどテレビを見なくなったので仕方ない。
これだから韓国の芸能人なんて覚えられるはずがないわよね。(でも東方神起はわかる。叔母のおかげ)
お姫さま抱っこに憧れていた私の結果はこれ⇒☆★☆