浦項 ポハン視察ツアー④ 尋常小学校と石柱 | ♪じゅんちゃんの韓国生活♪ お役に立つならどこへでも☆ 韓国と日本の架け橋になりたくて~韓国美容も紹介中♪

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韓国で個人旅行のガイドをしているうちに美容皮膚科で仕事をすることに・・・あなたも誰にも知られずちょっとだけきれいになってみませんか?^^一度会ったらお友達~♪韓国を好きな人が増えてくれたら嬉しいです。。

邸宅を出て坂道を登っていく途中に屋上にイカを干しているのを見かけました。さすが漁業の町です。名産はクァメギという秋刀魚(さんま)の干物の料理です。後で紹介します。

ここが1915年に開校し、日本人の子どもたちが通った尋常小学校です。
九龍浦東部小学校と名前が変わりました。今は閉校していますが2012年まで使われました。

小学校の前には神社があったそうですが、終戦後愛国青年団により壊され、今は韓国式の社が建っていました。神社の名残のものがそのまま残されています。

日本人の名前の刻まれたものもありました。これは忠魂塔の台で「帝国在郷軍人会」と書いてありますが、帝国のところが強く削られたような感じです。

この頃子どもたちは日本人は着物、韓国人はチョゴリで暮らしていたそうです。

頂いた本の証文によると、ある日本人は終戦後、韓国人の子どもに石を投げられたそうですが、その韓国人の子どもの親が「そういうことは止めなさい」と言った話がありました。日本人と韓国人の関係性が伺われるエピソードではないでしょうか。

長い階段の両脇にある神社建立の寄進者の名前はコンクリートで見えなくされ、後ろ側にありました。
薄く塗られているので消されたといわれなければ私にはわかりませんでした。

このときに全員の名前が消されたはずが、後で一人だけ消されていなかった人がいたそうです。それがこの地の発展に尽力した十河弥三郎氏の名前だったそうです。あの時代に韓国人の心を動かした方であったことは間違いでしょう。

中腹の石柱だったので裏は見れなかったので写真に撮ってみましたが文字はわかりません。でもセメントは塗られていませんね。指で触ると文字がわかりますとガイドさんがいわれていました。


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