先週末は神戸に行っていました~
大阪にも立ち寄って友人に会ったり、
以前から行きたいお店に行ったりと、
秋の紅葉も楽しみながら充実の週末でした
神戸に着いた日の夕陽がすごくキレイやった〜
神戸での一番の目的は
「スウェッドロッジ・セレモニー」
を受けたくて。
~ 自分と 自分をとりまく すべての生命とつながる時・場 ~
「スウェットロッジ・セレモニー」は、アメリカインディアン(ラコタ族)に伝わる7つの儀式の一つで、ラコタの言葉で「イニィピー」と呼ばれ、それは子宮回帰を意味します。
母なる大地の子宮をシンボライズした半円球のドームの中に、私たちは四つん這いになって入っていき、囲炉裏を囲むように座ります。真っ赤に焼けた石をドームの中に運び込み、水を注ぎ、蒸気が舞い上がる中、扉が閉まるとそこは大いなる存在と自分の世界。
泣き、歌い、声をおくり、スピリットに祈り、自分のオモイを眺めて、エネルギーやプロセスを感じて、あるがままの自分のオモイを音にして、自分と語り合い、大いなる存在に祈りをおくります。
感謝すること・願うこと・尋ねたいこと・コミットメント(宣言)・・・
受けとめあい、つながり合い、全てのものとの関係に「変化と成長」をもたらす「死と再生」のセレモニーです。
(上記HPより抜粋)
スウェッドロッジを行った森の中。空気が美味しかった
スウェッドロッジの中は
100度以上のサウナ状態。
呼吸をするのも喉が焼けるような熱さ。
額や耳とか熱すぎて痛かったです
本当に熱いと痛いんだなぁという発見がありました
その上、ロッジの中は真っ暗闇。
自分の顔の前に手をかざしても
何も見えない暗闇です。
ロッジの中での体験は
なかなかうまく言葉に
まとめられませんが
行って良かったなぁと思いました
(なんかうっすい感想やなぁ、、、笑)
さて、
このスウェッドロッジのことを
ヨガ仲間に話したところ、
「もう、それは”行”だね。滝行とか山伏とかがやる荒行とか、そういうものと一緒だね。」
それを聞いて、
確かに”行”だわ。。。
と思ったのですよ。
(まぁヨーガも昔は修行でしたからねぇ。)
そして、今日は
仲良しのあっちゃんに
話したんですがね、
私:「ヨガ仲間から、もうそれは”行”だと言われたんですが、
私って”行”が好きなんだよなぁって思ったんですよ~」
あっちゃん:「え?純ちゃん、それ今更なんやけど!!笑」
な、なんと、、、
自分のことはなかなか自分では
気づかないものですね
で、思ったんですがね。
何かをやるのに理由なんていらないんじゃないかと。
例えば、
今回参加したセレモニーで言うと
自分を変えたい、とおっしゃっていた方がいました。
他にも人生を変えたい、という方も。
それは言い換えると、
・自分を変える為に
・人生を変える為に
となってしまう訳ですよね。
こういったこと以外にも
・家族の為に
・会社の為に
・地域の為に
・環境の為に
この「〇〇の為に」という
行動が私達にはたくさんあるんだなぁと
思ったのです。
そして、先日ある方のお話を伺った時に
その方が言っていた言葉が
すごく印象に残っていて。
「私達は〇〇の為に何かをすることが
善い行いと教えられてきたけど、
”〇〇の為に”が無くなる程、
人は真剣になる。
それを無為の行いと言うんです。
そして”〇〇の為に”がたくさんある程、
人はどんどん深刻になってしまうんです。」
ちなみに無為を調べたら
『自然のままで、作為的でないこと。』
と書いてありました。
要は、そこには何のコントロールもなく
期待もないってことですよね。
「あなたの為を思って」
も翻ると
こんなにしてやっているのに、、、という
自己犠牲感になりかねないですよね
そして、その気持ちはいずれ相手への攻撃に
変換されてしまうんだろうなーと思います。
自然はいつもあるがまま。
先日、講演会を聞いた
藤原ひろのぶさんが
こんなことをおっしゃっていたんです。
「ギフトフードをしていると
何の為に活動しているんですか?て
よく聞かれるんですよ。
でもね、腹を空かした子どもが目の前にいたら飯あげるでしょ?
そこに理由なんていらないんじゃないかなぁと思うんですよ。」
私も、
「そもそも何でスウェッドロッジ行こうと思ったの?」
と聞かれて、色々理由を話してたんですが、
『どんな感じかただ体験してみたかった
』
もうシンプルにこれだけなんですよね
なんか無理やり
崇高な理由を探そうとしてましたが、
やってみたい、
体験してみたい、
と、自分の中から湧いてきたものに、
理由なんていらないのかもですね。
そして、
「〇〇の為に」
とやっていることがあるのなら、
そのことでもし、深刻になっていたり、
「こんなに〇〇してやったのに」
と言う気持ちがあるなら、
自分がやりたいからやっている
こんな風に切り替えることで
相手に過度の期待をしないで
済むんじゃないかな、と思います。
「やりたい」
と思えないのなら
それは、
「やりたくない」
ことなんだと思うんですね。
(やらなきゃ、もやりたくないと同じです)
「やりたくない」ことを全て止めることは
難しいかもしれませんが、
少しずつでも「やりたくない」ことを
減らすと自分の中に" 余裕 "というスペースが
うまれると思います
私も自分の中に
「〇〇の為に」で
行動していることがないかな?と
探ってみたいと思います

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