なぜこのアクションが大きいか? そこには色んな要素が含まれていて、その要素の中の一つとして一番そのアクションを起こすことに足を引っ張ろうとするもの、それは?
僕は一番は、「恐さ」だと思っています。
失敗したら? どうしよう? 出来るかな? 出来なかったら? それをしたらどうなるだろう? やばいかな? これ以外にも色んな感情は出るでしょうけど、おおまかに挙げてみました。
よく言う失敗を恐れずにアクションを起こす事。 本当にその通りですね。 失敗が本当に恐いのか? 僕はそれよりも、歳を重ねれば重ねるほど、「大胆さ」に欠けるというか、自分がしたい気持ちよりも、それよりも どうなったら どういう風に見られたり、見られてしまう? そっちの方に意識が強く行くような気がします。
誰でも恥ずかしい思いは避けたいのが本音だったり自然な事かもしれませんけど、自分の中に誇れるものを一つでも多く増やせるなら、増やせるだけ増やし続けた方が、見えなかった世界が見れるようになったり、想えなかったものが想えるようになったり、感じれなかったものが、感じれるようになったりするかもしれない。
アクションは起こしたものだけに開かれる扉があってその扉の先には何が待っているか、何が見えるかは人それぞれ違うと思いますけど、起こした人だけ限定という事ですね。
見なくていいやって思う人、思っている人は、今までそんな事を経験した事なかったり、トライもしたことない人かもしれませんし、好きなことだけだったり、嫌いものを全部避けてきたのかもしれないですね、それ以外にもあげたらキリがないくらい色んなものをよけて避けて、来たのかも?
でも人生のうちに誰にでも、苦労や辛い経験をすべくしてするタイミングは逃げ続けてもいつかはやってきます。 遅かれ早かれなんです。 避け続けて続け行くうちに本当にそんな事を出来る人がいるかもしれませんけど、避ける事だけに精一杯になりすぎてずっと逃げ続ける人生になるような感じがしませんか? 男性だけに限らず、女性にも同じ事が言えますけど、逃げ続ける人に幸福は追いかけて来ないのは、必然ですね。
幸福や楽しさは、見つけるものであり、掴むものであり、創作するものであり、与えられるものでは無いという事。
自分は幸せだと想える人は、いつでもどこでもどんな時でも幸せを見つけれる人だと思うし、掴める人だという事。 そういう人は必ず、アクションを自分から起こしている人だけだという事。
今日はトレーニングしていてふとそんな事を思った一日でした。
