先日、「なぜ人を殺してはいけないか」についてちょっと書きました。
武者小路実篤の『真理先生』という本の序盤に同じ問いがあり、それに真理先生はこう答えています。
『あなたが殺されていい時がありますか。あなたが殺されていい条件があれば、それを聞かしてください。あなたがどんな時でも殺されるのがいやなら、少なくともあなたは人殺しをしてはいけない』
「自分が殺されていい条件」というのはなかなか難しいと思います。
かくいうワタシが考えるに、…ヨメになら殺されてもいいかな、と。
これは「条件」というのとはちょっと違うような気がしますが。
(…別に、ヨメに殺されるような事はしてないと思いますが…)
実篤の話に戻ってみることにして、
…では「自分が人に殺されてもいい条件を挙げられる方は、人を殺してもいいのか」という点について。
これは「ノー」ですね。
「殺す」とした対象の相手が「自分が人に殺されてもいい条件」としてその方と同じ考えなのかどうかは判りませんし、相手がその条件を満たしているのかも解りません。
何より自分が「条件」として挙げたものが本心からそうなのかも疑問です。
言い方を変えてみましょう。
「もし自分が『自分が殺されてもいい条件』を満たしてしまったとして、まったく赤の他人に殺されてもいいか」
これならどうでしょう?
ゼロにはならないかも知れませんが、最初の質問の時よりも「イエス」と答えられる方は減ったと思います。
それでも「イエス」と答えられる方は、人を殺してもいいのか。
「ノー」ですね。
殺される側からすると、殺す方が「その人である」必要はないと思いますから。
…次のような考え方もあります。
「本心から『殺されてもいい条件を満たしてしまった』と思っている人は、すでに自分でカタをつけている」
赤の他人に殺されるよりは、自分でカタをつけた方がどちらかというと自分自身納得できると思いますからね。
…ということで、「条件を満たしてしまった人が今現在生きている」という状態はほとんどないと言えます。
…ゆえに「人が人を殺してもいい条件を満たすことは(限りなく)ゼロに近い」と。
数学的には、限りなくゼロに近い答えは「ゼロ」となります。
(ワタシは根っからの理系気質です)
…まぁ、戯言ですが。
ワタシが見つけた、ひとつの回答です。