名将仰木彬氏、死す。 | 気ままに生活。

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イチロー、野茂育てた名将 仰木氏死去


名将、死す。今シーズン、統合球団オリックス・バファローズの監督を務め、球団のシニア・アドバイザーに就任していた仰木彬(おおぎ・あきら)氏=元本紙評論家=が15日午後4時10分、福岡市内の病院で呼吸不全のため死去した。70歳だった。がんを克服し、球界史上最年長監督として復帰した仰木氏だが、勇退後再び体調が悪化。清原、中村紀らがオリックスのユニホームを着る日を待たずに野球一筋の生涯を閉じた。葬儀日程は未定だが、家族・親族の意向で密葬で執り行われる。

 野球を愛し、野球に生涯をささげた仰木氏が、ついに帰らぬ人となった。仰木氏は94年に肺がんの手術を受けていた。03年にがんが再発し、2度目の手術を受けたが、抗がん剤による治療が成功。04年12月の野球殿堂入りを祝うパーティーでは、イチロー、野茂、田口らに囲まれ、ゴルフコンペも楽しんでいた。

 西鉄での現役時代は中西、稲尾らとともに黄金時代を築いた。70年から近鉄で18年間コーチを務めた後、88年に監督に就任。前年最下位のチームを率いて西武とデッドヒートを演じ、10月19日のロッテ最終戦(川崎)で引き分け、優勝を逃した。その翌89年には129試合目で西武、オリックスを振り切り優勝。その年のドラフトでは8球団が競合した野茂を引き当てた。94年にオリックスの監督に就任すると、3年目の鈴木一朗を見いだし、登録名を「イチロー」に変更。プロ野球最多記録となる210安打を達成させた。阪神大震災が起きた95年から2年連続でリーグ制覇。96年には長嶋巨人を破り日本一に輝き、被災に沈む神戸市民を勇気づけた。

 04年に野球殿堂入り。今年05年には統合球団オリックス・バファローズから監督復帰を要請された。「これで野球に恩返しができるなら」と70歳の日本プロ野球史上最年長監督が誕生した。しかし、監督という激務の中で病魔は再び進行。最終戦となった9月28日の西武戦(インボイス西武)では、階段を上ることができないほど体が衰弱。29日に神戸市内で宮内義彦オーナーに辞任を申し入れた。「ユニホームを着続けることは体調的にもご迷惑をかける」と中村勝広監督にバトンを渡した。ユニホームを脱ぐと同時に、福岡市内の病院に極秘入院。それでも10月7日の中村監督の就任会見には病床から駆けつけた。帰国したイチロー、田口の見舞いを受け笑顔を見せた日もあった。

 「早く春になればいい。キャンプもまた行きたいしな」と語っていた仰木氏。だが「退任のときに選手にあいさつがちゃんとできなかったから」と出席を予定していた11月末の球団納会を急きょキャンセル。このころから容体が悪化したもようで、15日午後4時すぎ、長かった病気との闘いにピリオドが打たれた。西鉄時代の野武士のような雰囲気もありながら、それでいて采配は大胆。酒をこよなく愛し、妙齢の女性がいればはしゃぎもする、紳士のようで堅物でない人柄が魅力だった。イチロー、野茂、田口、長谷川ら多くの大リーガーを育てた名将の姿はもう見られない。






ショックです。

今年、オリックスの監督をしたばかりの仰木氏。

今朝のニュースを見るまで、まさか亡くなるとは思っていませんでした。



仰木氏といえば、1988年10月19日の死闘が記憶に新しいです。

…とはいえ、あれはもう平成になる前の話だったんですね…。

ロッテとの最終戦ダブルヘッダー。

2試合とも勝てば、全日程が終了している首位西武をかわして大逆転優勝となる大事な試合でした。



1試合目もかなりの死闘で、2点ビハインドを8回で追いつき、9回に勝ち越して辛くも勝利をものにしました。

…そうそう、あの時勝ち越しタイムリーを放ったバッターは梨田氏でしたね。



で、2試合目。

7回までリードしていた近鉄に、シーズン最下位のロッテが最後の意地で粘り、7回裏で同点。

8回に近鉄が1点勝ち越すも、その裏にソロホームランで再び同点になるという、壮絶な試合でした。

結局延長戦の結果、その時のルール「試合時間が4時間を超えると次のイニングには入らない」(だったと思います)

が適用され、同点のまま10回で試合終了…。

2連勝でなければならなかった近鉄は勝率が2厘及ばず、奇跡の逆転優勝を逃しました。



…とまぁ、野球ファンならおなじみの話を思わず語ってしまいましたが、

仰木氏といえばこの試合が忘れられません。



ご冥福をお祈りしております。