戦争は本当に悲惨です。空襲で市民は一級河川安倍川の方へ逃げた。浩市の家でも おきみさんが死を覚悟して家族全員に真新しい 下駄を履かせて逃げたそうです。浩市も5歳になっていた。その頃の記憶は鮮明に残っているという。
空襲も収まり家族は家へ帰りましたが、家は空襲で焼かれて跡形もなくなっていた。 その夜からは 住むところがなく家族は外で寝たそうです。 禮三は必死に防空壕を掘り 家族5人は1年間も防空壕で生活したとは本当に過酷でしたね。
戦時中はそういう人たちが多かったそうです。嬉しかったのは1年後 運よく抽選で 市営住宅が当たり 狭いながら自分の家に住むことが出来たのでした。
ただ父親はその後も働かず家族は長い間相変わらず困窮状態でした。浩市はお弁当を持って行くこともできず お昼には学校から出て家でお昼時間 が終わるまで待っていた話は本当に泣けます。(浩市はこの話をする時はいつも涙ぐむ)
それでもしばらくして学校で給食が始まった。不味いけど皆と一緒に給食を食べられた時は本当に嬉しかったそうです。でも給食代が払えない状態でした。これも子供にとってつらいことです。
また家では相変わらず働かない父親が今度は競輪の賭け事にはまり、ますます一家は貧困になった。一番情けなかったのはおきみさんの大事なミシンの上部を質屋に持って行ったことだった。その頃小学生だった浩市と 泰生は新聞配達をして少しでもお金を稼いだが雀の涙だったそうです。子供なので安いお給金だった。
その後 おきみさんも働くようになった。働かない禮三はもともと体が丈夫でないので、出征しなかったのも兵隊審査で不合格だった。時は過ぎ容子さんも中学校卒業し家のために働いてくれたので、家族は極貧から少しでも脱却できたのでした。
浩市は子供の頃から喘息があって何度も入院していましたが、不思議なことは結婚してから喘息になることはなくなった。ところが今度は生まれた子供達が喘息になったのは何の因果でしょうかね。続く