私とプロレス 余膳正志さんの場合「第1回 昔も今もプロレスの全てが好き」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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 ジャスト日本です。

 

プロレスの見方は多種多様、千差万別だと私は考えています。

 

 

かつて落語家・立川談志さんは「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しています。

 

プロレスもまた色々とあって人間の業を肯定してしまうジャンルなのかなとよく思うのです。

 

プロレスとは何か?

その答えは人間の指紋の数ほど違うものだと私は考えています。

 

そんなプロレスを愛する皆さんにスポットを当て、プロレスへの想いをお伺いして、記事としてまとめてみたいと思うようになりました。

 

有名無名問わず、さまざまな分野から私、ジャスト日本が「この人の話を聞きたい」と強く思う個人的に気になるプロレスファンの方に、プロレスをテーマに色々とお聞きするインタビュー企画。

 

それが「私とプロレス」です。

 

 

 

 今回のゲストは、元総合格闘家で大阪でパーソナルジムトレーナーを務める余膳正志さんです。

 







(画像は本人提供です) 


余膳正志
プロレスに導かれた男
1980年4月生まれ
大阪府枚方市でパーソナルトレーニング&コンディショニングジム「DPC」を一人で運営。
1991年小学校5年生の時にプロレスに出逢う。

1992年に天山広吉(当時は山本広吉)が海外修行中、大剛鉄之助のパーソナルトレーニングを受けている姿を見た瞬間トレーニングの魅力に目覚める。
その情報は週刊プロレスによるものだった。
しかしその後あっさり格闘技ブームに乗っかり、プロ修斗新人王となり世界ランカーまでたどり着く。

格闘家、トレーナーとまるでプロレスに導かれたかのような人生を送っている。
現在も年間約20回は会場に足を運び、その情熱は衰えることはない。
トレーナーとして元格闘家として、そして何よりもプロレスファンとして人生を楽しんでいる。

 


自らを「プロレスに導かれた男」と語る余膳さんはかつてプロ修斗で活躍。83kg級(当時はライトヘビー級、現在はミドル級)では世界ランキング6位の実力者でした。


ちなみに私と余膳さんは共に1980年生まれのプロレス者であり、関西で育ち、プロレスに出逢った時期も近いという共通項があるんです。


今回はそんな余膳さんのプロレスとの出逢い、初めて好きになったプロレスラーや団体、初めてのプロレス観戦、好きな名勝負、総合格闘技との出逢い、今後について…。


ひとつひとつのテーマに対して、不器用ながら愛をぶつけるように想いを語る余膳さん。

 

これはプロレスに魅了され、プロレス愛に満ちたひとりの男の物語です。

 

  

 

 
是非ご覧ください!
 
 
私とプロレス 余膳正志さんの場合
「第1回 昔も今もプロレスの全てが好き」
 
 
 
余膳さんがプロレスを好きになったきっかけ
 
 


──余膳さん、このような企画にご協力いただきありがとうございます! 今回は「私とプロレス」というテーマで色々とお伺いしますので、よろしくお願いいたします。

 

余膳さん こちらこそよろしくお願いします!


──まずは余膳さんがプロレスを好きになるきっかけを教えてください。


余膳さん 小学生5年の時に友達から「家でプロレスを見よう」と言われて、『全日本プロレス中継』の録画ビデオを観ました。確か1991年のチャンピオン・カーニバル公式戦・田上明VSダニー・スパイビーが流れていたと思います。



──いいカードじゃないですか!


余膳さん 田上VSスパイビーが良かったというよりも、リングの世界観がすごく魅力的だったんですよ。そこからプロレスにドハマりしました。



──ちなみに新日本はご覧になられてましたか?


余膳さん プロレスファンになってから『ワールドプロレスリング』をよく視聴してました。印象に残っているのはスコット・ノートンですね。木村健悟さんとシングルマッチで闘ったに、ノートンは健悟さんが胸にいくら殴っても効かない、稲妻レッグラリアットも食らっても跳ね返されてビクともしなくて3分くらいで秒殺してしまうんですよ。


──おおお!!


余膳さん 当時の新日本はビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバンビガロ、グレート・コキーナ、ワイルド・サモアン、トニー・ホームといった強い巨漢外国人レスラーが多かったですよね。





初めてのプロレス会場観戦



──確かにそうですね。では初めて好きになったプロレスラーは誰ですか?


余膳さん 僕はプロレスを見始めてからずっと「このレスラーが好き」というのがなくて、団体とかジャンルが関係なくプロレスの全部が好きですね。闘魂三銃士も全日四天王は好きですけど、特定の誰かという存在はいなくてみんな好きなんです。初めて全日本を会場で見たのが1991年の全日本・大阪府立体育会館第二競技場大会だったと思います。父と観戦して、会場の地下駐車場に車を停めたら、小橋健太(現・建太)さんがファンと写真撮影しているのを見かけましたね。


──さすがファンサービスに定評のある小橋さんですね。ちなみに初めての会場でのプロレス観戦はいつ頃ですか?


余膳さん 1991年5月2日のFMW・大阪くずはトップセンター駐車場特設リング大会です。枚方市のショッピングスーパーの駐車場でプロレスが行われたんですよ。地元が枚方で家の前に電柱に興行ポスターが張っていて気になって観に行きました。



──実際に生で観たプロレスはいかがでしたか?


余膳さん 最高でした!大仁田厚さんとミスター・ポーゴさんが場外乱闘を繰り広げてあまりにも怖かったので、非常階段の上のほうまで逃げたのを覚えています。それだけ大仁田さんとポーゴさんの迫力が凄くて「二人の乱闘を邪魔したら僕は殺される」と追いつめられている感覚がありましたよ。あと友達が「ターザン後藤さんの血が飛んできた」と手に血をつけながら喜んでましたよ(笑)。



──忘れられないプロレス会場初観戦になりましたね。


余膳さん 場外のイスもごちゃごちゃになっていて、かなりFMWには衝撃を受けましたよ。



1990年代新日本プロレスの魅力とは?



──ありがとうございます。では余膳さんには好きなプロレス団体の魅力について語っていただきます。まずは1990年代の新日本プロレスです。


余膳さん デカい外国人レスラーが多くて、彼らと闘魂三銃士、馳浩さん、佐々木健介さんと闘っている構図が異次元で魅力的だったんですよ。ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバンビガロVS武藤敬司&馳浩はVHSで何回も観ましたよ。


──1992年3月1日・横浜アリーナ、1992年5月1日・千葉ポートアリーナでIWGPタッグ王座を賭けてベイダー&ビガロVS武藤&馳が行われて、両戦共に素晴らしい試合だったんですよね。


余膳さん 千葉大会では馳さんがおでこにテーピングを貼っているんですけど、ベイダー&ビガロに流血してしまうんですよ。


──1992年4月26日の日田市総合体育館大会で長州力&馳浩&飯塚孝之(現・高志)VSレイジングスタッフ(スーパー・ストロング・マシン&後藤達俊&ヒロ斎藤)で馳さんがレイジングスタッフによって大流血に追い込まれて、その傷を抱えながらシリーズを闘っているんですよ。


余膳さん そうなんですね!馳さんは特に流血試合が多かった印象があります。


──馳さんは顔が「赤鬼」になったみたいに大流血になっているケースが多かったですね。


余膳さん 1990年代の新日本って魅力がありすぎるんですよ。日本人選手は全員カッコいいですよね。あと『ワールドプロレスリング』で放送終わりとかに本編に流せなかった試合のダイジェストがあって、そこで「こんな選手いるんやな」と思いながら1時間、ワクワクしながらずっと観てました。


──ヤングライオンの試合もダイジェストで観れるんですよね。あとブラック・キャットさんや星野勘太郎さんといった中堅レスラーからブラッド・レイガンズやトニー・セントクレアーなど渋い実力派外国人レスラーの試合も観れて『ワールドプロレスリング』のダイジェストは大好きでしたね。


余膳さん そうなんですよ!今まで知らなかった選手でダイジェストで発掘することができて本当に毎週『ワールドプロレスリング』を楽しみにしてました。


──テレビマンの編集がうまいのでダイジェストでもその選手の特徴がよく分かる構成になっているんですよ。ちなみに1990年代後半の新日本はどのようにご覧になってましたか?


余膳さん その頃はプロレスラーが次々と総合格闘技のリングで負けていきますよね。PRIDEによって総合格闘技人気が出てきてから僕の中でプロレスに対する見方が変わり始めた頃ですね。どのジャンルにも負けない強い存在だからこそプロレスラーが好きだったんです。


──そうだったんですね。


余膳さん PRIDE、トーワ杯(カラテ・ジャパンオープン)、VTJといった格闘技のリングであまりプロレスラーが勝てていない。特に高田延彦さんがヒクソン・グレイシーに惨敗して「プロレス最強神話」が崩壊していって…。そこからプロレスよりも総合格闘技の方に魅力を感じるようになるんです。


──グレイシーという黒船が襲来して、PRIDEのような人類最強の格闘家を総合格闘技ルールで決するという闘技舞台が登場した時にプロレス界で強さを武器にしてブランディングしてきた新日本とUWF系の団体はその矢面に立つと思うんです。いざ立ち向かっていった時に最終的に黒船や闘技舞台に飲まれていったような気がします。


余膳さん そうですね…。


──ちなみに今の新日本はどのようにご覧になってますか?


余膳さん 今も観ていて、この前も会場観戦してますよ。昔の新日本とは色が違って寂しい部分もありますけど、それはそれでも今の新日本も楽しく観てます。僕がプロレスを見始めた頃からリングに上がっている天山広吉さんが試合に登場すると会場人気は凄くて、それは嬉しいですよ。あと今も僕は『週刊プロレス』を買っていて、プレゼントコーナーで大阪プロレスの大坂丈一郎選手Tシャツを当選したんです(笑)。やっぱり僕はプロレスが好きなんですよ。



1990年代全日本プロレスの魅力とは?



──素晴らしいじゃないですか!では1990年代の全日本プロレスについて語ってください。


余膳さん 大人になってから全日本と新日本は世界観が違うとか気がつくんですけど、当時は単純に面白かったので全日本が好きでしたね。



──余膳さんが大人になられてから全日本と新日本の違いはどこにあると感じられたのですか?


余膳さん 言葉にするのはなかなか難しいですけど、全日本は王道プロレス、新日本はストロングスタイルというありきたりなものになりますけど、そういう違いがあるように思います。どちらがいいというよりも、どちらも面白かったんです。



FMWの魅力とは?



──ありがとうございます。では次はFMWについて語ってください。


余膳さん インディー感がすごくあってただ単に刺激的で面白かったですね。僕はそこまで深くプロレスを見るタイプじゃなくて、シンプルに見ているタイプなんです。だから「うわぁ!スゲェ!」と思ってFMWのデスマッチを愛好していたのかなと思います。



──FMWは1990年代前半は大仁田さん時代のデスマッチ路線があって、1990年後半になってから冬木弘道さんを中心としたエンタメ路線に転換するじゃないですか。その辺はどのようにご覧になってましたか?


余膳さん  エンタメ路線のFMWになってくると僕は格闘技をやっていてあまりプロレスを見なくなってた時期なんです。大学に行って、プロレス好きの友達から情報は入ってましたけど…。その頃の『週刊プロレス』は買ってなくて、自分の中でプロレスに冷めてしまっていましたね。



ジャストさん、お聞きしたいんですけど…。



──1990年代後半~2000年代にかけてプロレス最強神話が崩壊して、プロレスから離れた価格闘技に傾倒していくファンが多かったですよね。


余膳さん お聞きしたいんですけど、ジャストさんはどうだったんですか?


──私も1990年代後半から格闘技も見るようになりましたけど、プロレスは捨てなかったんですよ。確かにプロレスに対する熱が低下していた時期はありましたけど、情報は絶えず入れてましたし、逆に格闘技を見るようになって技術の勉強になりましたよ。プロレスも格闘技も私は好きでしたよ。


余膳さん プロレスは「ガチ」として見てましたか?


──最初はそうだったのかもしれません。今も昔もどのような形であれプロレスは真剣勝負だと思っています。台本があるとか、ないとかそんなことは関係ないですし、私にはよく分かりません。どのような形であれプロレスラーはリング上で命を懸けて試合をしている。この事実は変わりないんですよ。プロレスは「リアルか、フェイクか」という二元論で語れない「答えのない唯一無二の世界」であることは格闘技ブームの最中でも感じてました。ミスター高橋さんの本は衝撃を受けましたけど、それでプロレスが嫌いになることはありませんでした。あと三沢光晴さんの関連書籍に出逢って、三沢さんのプロレス論を見聞きして、よりプロレスが好きになりましたよ。


余膳さん そうだったんですね!僕もそういう考え方ができてたら、もっとプロレスを楽しめてたのになと思いますね。あと暗黒期とか言われてますけど2000年代のプロレスって今見ると結構面白いんですよ。でも格闘家がプロレスに上がって試合をするのは面白いと思うことは少なかったような気がします。


(第1回終了)