プロレス人間交差点 堀江ガンツ☓加藤弘士 前編「俺たちの全日本プロレス論」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

ジャスト日本のプロレス考察日誌

プロレスやエンタメ関係の記事を執筆しているライターのブログ

ジャスト日本です。

 

 

 

 

「人間は考える葦(あし)である」

 

 

 

これは17世紀 フランスの哲学者・パスカルが遺した言葉です。 人間は、大きな宇宙から見たら1本の葦のようにか細く、少しの風にも簡単になびく弱いものですが、ただそれは「思考する」ことが出来る存在であり、偉大であるということを意味した言葉です。

 

 

プロレスについて考える葦は、葦の数だけ多種多様にタイプが違うもの。考える葦であるプロレス好きの皆さんがクロストークする場を私は立ち上げました。

 

 

 

 

さまざまなジャンルで活躍するプロレスを愛するゲストが集まり言葉のキャッチボールを展開し、それぞれ違う人生を歩んできた者たちがプロレス論とプロレスへの想いを熱く語る対談…それが「プロレス人間交差点」です。

 
 
 

 

5回目となる今回はプロレス格闘技ライター・堀江ガンツさんとスポーツ報知編集委員・加藤弘士さんの同世代対談をお送りします。

 

 

 

 

 



 (画像は本人提供です)
 

 

堀江ガンツ

1973年、栃木県生まれ。プロレス格闘技ライター。

『紙のプロレス』編集部を経て、2010年よりフリーとして活動。『KAMINOGE』、『Number』、『昭和40年男』、『BUBKA』などでレギュラーとして執筆。近著は『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』(ワニブックス)。玉袋筋太郎、椎名基樹との共著『闘魂伝承座談会』(白夜書房)。藤原喜明の『猪木のためなら死ねる』(宝島社)、鈴木みのるの『俺のダチ。』(ワニブックス)の本文構成を担当。ABEMA「WWE中継」で解説も務める。5月31日には構成を担当した前田日明・藤原喜明著『アントニオ猪木とUWF』(宝島社)が発売される。



[リリース情報]

5月31日に宝島社から『アントニオ猪木とUWF』(前田日明、藤原喜明著/堀江ガンツ構成)が発売。

UWF設立から40年――猪木とUへの鎮魂歌。YouTubeでも話せない二人だけが知る濃厚秘話対談集。

 

 

 

 

 

(画像は本人提供です)

 

 

 

 

 

 

加藤弘士(かとう・ひろし)

1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。茨城中、水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。6年間の広告営業を経て、2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスク、デジタル編集デスクを経て、現在はスポーツ報知編集委員として、再びアマチュア野球の現場で取材活動を展開している。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のMCも務める。

 

 

 

(画像は本人提供です)

 

『砂まみれの名将』(新潮社)

 阪神の指揮官を退いた後、野村克也にはほとんど触れられていない「空白の3年間」があった。シダックス監督への転身、都市対抗野球での快進撃、「人生最大の後悔」と嘆いた采配ミス、球界再編の舞台裏、そして「あの頃が一番楽しかった」と語る理由。当時の番記者が関係者の証言を集め、プロ復帰までの日々に迫るノンフィクション。現在7刷とヒット中。

 

 

 

 

 

今回のお二人の対談のテーマは「俺たちの全日本プロレス論」です。

 

 

全日本との出逢い、語りたい選手と名勝負について二人のプロレス者が熱く語ります!こちらがこの対談のお品書きです!

 

 

 

        

(主な内容)

1.全日本プロレスとの出逢い

2.『全日本プロレス中継』(日本テレビ系)の魅力

3.二人が語りたい全日本プロレス選手(日本人・外国人問わず)

4.二人が好きな全日本プロレス名勝負

5.あなたにとって全日本プロレスとは?

 

 


 

『闘魂と王道』著者であるガンツさんと『砂まみれの名将』著者である加藤さんの対談は抱腹絶倒で大いに盛り上がりました!

 

この二人の掛け合いがまるで深夜ラジオ番組のようでした。主に1980年代から1990年代の全日本プロレスをテーマにしたディープでクレイジーでファンタスティックな内容になっております!

 

 

 

 

 

二人のプロレス者による狂熱の対談、是非ご覧下さい!

 

 

 

プロレス人間交差点 

「活字プロ格の万能戦士」堀江ガンツ ☓「活字野球の仕事師」加藤弘士

前編「俺たちの全日本プロレス論」

 

 

 

 

 

 

 

 


全日本プロレスとの出逢い

「スーパー戦隊シリーズが始まる前に他のチャンネルを見ると、日本テレビで『全日本プロレス中継』が放送されていたんで見るようになって、18時になったらチャンネルを変えて『電子戦隊デンジマン』を見てました」(ガンツさん)

「幼稚園の頃から父が全日本と新日本のプロレス中継を見ていて、物心がついた時にはプロレスファンになってました」(加藤さん)



 
──ガンツさん、加藤さん、「プロレス人間交差点」にご協力いただきありがとうございます!今回は全日本プロレスについて色々と語り尽くす対談をさせていただきます。よろしくお願いいたします!
 
ガンツさん よろしくお願いいたします!
 

加藤さん よろしくお願いいたします!
 
──まずはお二人の全日本プロレスとの出逢いについてお聞かせください。


 ガンツさん 僕にとって全日本プロレスとの出逢いはプロレスとの出逢いと一緒なんですよ。1980年、僕が小学一年生の頃『全日本プロレス中継』(日本テレビ系)は土曜の17時30分~18時24分という時間帯で流れていて、もともとはその裏番組で18時から放送されていた『バトルフィーバーJ』『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』といったスーパー戦隊シリーズ(テレビ朝日系)が大好きだったんです。
 
──多くの子供たちはスーパー戦隊シリーズが好きですからね。
 
ガンツさん 毎週土曜は外で遊んできて放送時間に合わせて家に帰ってきて視聴する日々を過ごしていたのですが、たまたま少し早く帰ってきた時にスーパー戦隊シリーズが始まる前に他のチャンネルを見ると、日本テレビで『全日本プロレス中継』が放送されていたんで見るようになって、18時になったらチャンネルを変えて『電子戦隊デンジマン』を見てました。それがいつしか『太陽戦隊サンバルカン』を見ずに『全日本プロレス中継』を最初から最後まで釘付けになった頃には完全にプロレスファンになってました。
 
──7歳から見ているのですから割と早い段階でプロレスに目覚めたんですね。
 
ガンツさん 全日本に登場する外国人レスラーは“怪獣”だらけじゃないですか。その辺は『ウルトラマン』シリーズやスーパー戦隊シリーズと地続きだったのですんなりプロレスに入り込めました。
 
加藤さん 『バトルフィーバーJ』なんて完全にIWGPですよね。
 
ガンツさん 各国代表のヒーローみたいな(笑)。実は僕が新日本プロレスを見るのは全日本よりもう少し後からなんですけどね。
 
──恐らく『全日本プロレス中継』が土曜17時30分という時間帯に放送されていたのが子供たちからすると入り込みやすかったのかもしれませんね。
 
加藤さん 『ビバ!ジャイアンツ』(毎週土曜17時15分から15分感放送された日本テレビ系のプロ野球・読売ジャイアンツの応援番組)からの『全日本プロレス中継』という流れが本当に絶妙なんですよ。
 
ガンツさん 『全日本プロレス中継』は1972年10月から1979年3月まで土曜20時からのゴールデンタイムで放送されていました。もし同じ時間帯でその後も流れていたら、僕は絶対に裏番組の『8時だョ!全員集合』を見ていただろうと思うので、そのタイミングではプロレスに出逢っていなかったと思います。『全日本プロレス中継』が、18時からのスーパー戦隊シリーズが始まる前の17時30分という中途半端な時間帯から放送されていたからプロレスを見るきっかけになったんです。
 
加藤さん あの時間帯で放送されると子供たちはみんなプロレス好きになりますよ。
 
──加藤さんが全日本プロレスとはどのような形で出逢ったのですか?
 
加藤さん 僕は1974年生まれで、松井秀喜世代なんですよ。もう幼稚園の頃から父が全日本と新日本のプロレス中継を見ていて、物心がついた時にはプロレスファンになってました。以前、ジャストさんにもお話ししましたが初めてのプロレス観戦が全日本なんです。幼稚園を卒業して、小学校入学前の1981年4月2日茨城県・水戸市体育館で行われた全日本プロレス『チャンピオン・カーニバル』開幕戦を母親にお願いして3000円のリングサイド席を購入しまして、観に行きました。これが会場でのプロレス初観戦でした。 
 
ガンツさん 初観戦がめちゃくちゃ早いですね!
 
加藤さん ガンツさん、この水戸大会のメインイベントがジャイアント馬場VSジャンボ鶴田の『チャンピオン・カーニバル』公式戦、30分時間切れドローだったんですよ。
 
ガンツさん 素晴らしいですね!地方大会のメインは普通、6人タッグマッチですから。馬場VS鶴田は贅沢ですよ!
 
加藤さん 小山ゆうえんちスケートセンターや宇都宮清原体育館だと6人タッグがメインですよね。『チャンピオン・カーニバル』だったということ、テレビ収録だったことが水戸大会で馬場VS鶴田の師弟対決が見れたのかなと勝手ながら推測してます(笑)。
 
──それはあり得ますね!
 
加藤さん  あとこの水戸大会はブルーザー・ブロディがウェイン・ファリスという白星配給係のような選手に僅か16秒、キングコング・二―ドロップでピンフォール勝ちしているんですよ。
 
ガンツさん プロレスマニアでは有名な試合ですよ(笑)。
 
加藤さん  元祖・秒殺試合をプロレス初観戦で見ちゃったんですよ(笑)。小学校入学前の僕にはブロディの秒殺劇はあまりにも衝撃で、そこからプロレスの虜です。
 
ガンツさん それはもうプロレスファンのエリートコースを歩んでるじゃないですか(笑)。
 
加藤さん プロレスにおいて慶応幼稚舎に合格したような感じかもしれませんね!僕もガンツさんも北関東でプロレスファンをやっていたという部分でかなり共鳴するところがあるなと思いますよ。



1989年の全日本について新発見!

「実はファン主導による全日本の民主化という大きな流れが起きていたのは1989年なんですね!」(加藤さん)

「そうです!週刊プロレスと全日本の共犯関係が成り立っていた一番いい時代ですよ」(ガンツさん)



 
ガンツさん 北関東は東京と距離こそ離れていても視聴しているテレビ番組は東京と一緒なんですよ。そこが強みだったと思います。ちなみに僕が初めて東京でプロレスを観に行ったのが中学三年生の時で、全日本の後楽園ホール大会だったんですよ。
 
加藤さん 全日本なんですね!どんなカードが組まれていたのですか?
 
ガンツさん これが僕の観戦歴の中でもトップクラスで興奮した興行で、1989年3月29日の後楽園ホール大会でした。1989年は百田光雄ブームがあった年なんです!
 
加藤さん あああ!そうだ!
 
ガンツさん あの頃の全日本・後楽園ホール大会は常時ハイクオリティーな興行を展開していて、突然の百田ブームによって「百田」コールが爆発したんですよ。そして日本初のブーイングが起こったのも1989年で、確か五輪コンビ(ジャンボ鶴田&谷津嘉章)がものすごいブーイングを浴びていた時代でした。
 
加藤さん いわゆる「オー!」と「オリャ!」の時代ですね!
 
ガンツさん そうなんです。まだ鶴田さんの「オー!」をお客さんが馬鹿にしていた頃で、ジャンピング・ニーを放った後に本人が言う前にお客さんがフライングして「オー!」と言っちゃってたり、五輪コンビへの嫌がらせをしていた時代だったんですよ。百田さんは渕正信さんが保持する世界ジュニアヘビー王座に挑戦して、百田さんには「百田」コールが起こって、渕さんにはブーイングだったんです。
 
──声援が両極端ですね!
 
ガンツさん 世界ジュニア戦が終わってセミファイナルが五輪コンビVSフットルース(サムソン冬木&川田利明)で、五輪コンビにはブーイングと「オー!」と「オリャ!」コールをやったんですよ。でもこの試合の鶴田さんがとにかく強いんですよ!フットルースをめちゃくちゃにやって、お客さんが感服しちゃって試合後に初めて「鶴田、オー!」コールが巻き起こるんです!
 
加藤さん 歴史的転換点ですよ!
 
ガンツさん 「鶴田、オー!」というコールは発明ですよ!なんてセンスのいいコールなんだと…。あのコールによって鶴田さんがベビーフェースにターンしていったんです。そこからお客さんが「鶴田、オー!」コールがやりたくなって鶴田さんに大歓声が起こるようになったんです。
 
──元々「鶴田」コールだったじゃないですか。それが1989年の五輪コンビVSフットルースがきっかけで「鶴田、オー!」コールに変わったんですね!それは凄い!
 
ガンツさん 鶴田さんは全日本のエースなんですけど、試合があまり面白くないということで1989年2月からブーイングを浴びていたんです。そこから「鶴田、オー!」コールをお客さんがやりたいということでベビーフェースになるという謎の展開が起こったんですよ。
 
加藤さん ガンツさん、全日本の歴史を考えると1990年のSWS騒動があって、三沢光晴さんが二代目タイガーマスクの仮面を脱いで、超世代軍フォーバーがあった時期がどうしても語られがちですけど、実はファン主導による全日本の民主化という大きな流れが起きていたのは1989年なんですね!
 
ガンツさん そうです!週刊プロレスと全日本の共犯関係が成り立っていた一番いい時代ですよね。
 
──週刊プロレスの市瀬英俊記者が提案したカードが採用されて、名勝負が量産されていた時代ですよね。
 
ガンツさん まだ竹内宏介さんや菊地孝さんが健在している中で、週刊プロレスのターザン山本さんや市瀬さんが全日本の内部に入り込み始めた時代でマッチメークも明らかに変わっていったんです。
 
加藤さん 市瀬さんのファン心理を巧みに読んで、世論を後楽園ホール大会の空気を反映させたマッチメークが実現していたのがあの時代ですよね。
 
ガンツさん 当時のプロレス界はUWFブームの真っ只中なんですよ。新日本もソ連のレッドブル軍団を呼んでやや格闘技寄りだった時代。そんな中、全日本は「みんなが格闘技の走るので、私、プロレスを独占させていただきます」という馬場さんのポスターとともに、プロレス本来のおもしろさを打ち出した。豪華な外国人レスラーと、ジャンボ鶴田vs天龍源一郎の鶴龍対決が共存していた、最高の時期が1989年だったと思います。
 
加藤さん 1990年はSWS騒動があって天龍さんが移籍して、大量離脱があったわけですけど、1989年は全て揃っているんですね!
 
──アジアタッグ戦線も1989年は加熱してますよね!
 
ガンツさん そうなんです。ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)vsマレンコ兄弟の伝説的な一戦が後楽園で行われたり、カンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット)がアジアタッグ王座を初めて獲得したのが1989年でした。
 
加藤さん 僕は当時、中学三年生で、プロレスなんか見たことがないクラスメイトから「カンナムとマレンコ兄弟(ジョー&ディーン)の試合、めちゃくちゃ面白かった」といきなり話しかけられたことがありましたよ。当時の『全日本プロレス中継』が日曜22時30分という後に『電波少年』や『ダウンダウンのガキの使いやあらへんで』をやる時間帯で流れていたんですよね。
 
ガンツさん 凄くいい時間帯で『全日本プロレス中継』が観れた時代だったんですよ。
 
加藤さん そこから『全日本プロレス中継』は日曜深夜にお引越しをするんですけど、福澤朗さんが登場してエンタメ化していって高視聴率を獲得するんですけど、あの日曜22時30分からの一時間というのは世間とのタッチポイントとしてはたまらない時代でしたよね。
 
ガンツさん 僕も22時30分時代が全日本にとって最高の時代だったんじゃないかって思っています。
 
──『 オシャレ30・30 』(毎週日曜22時から日本テレビ系で放送された古舘伊知郎と阿川泰子が司会を務めるトーク番組)の後に『全日本プロレス中継』が見れたんですよね。
 
加藤さん 古舘さんからバトンタッチを受けて全日本という不思議な流れがあったんですね。22時30分という、30分から始まるというのがいいんですよ。
 
──今思うと22時30分で毎週プロレスが観れたというのはものすごく贅沢な時代ですよね。
 
ガンツさん そうですね。80年代末から90年代初頭って我々の世代がちょうど中学生や高校生になるくらいで、22時~23時台のテレビ番組が大好きになるんですよ。おもしろい深夜番組がどんどん出てきた時代。
 
加藤さん 『19XX』や『カノッサの屈辱』といった斬新なテレビ番組の同一線上に『全日本プロレス中継』があるという文化が当時、確かにあったんですよ。福澤さんの「プロレスニュース」なんてちょっとサブカル志向じゃないですか。サブカルとプロレスの距離感がすごく密接な時代だったんですよね。
 
ガンツさん 同じ頃、新日本は土曜16時から放送されていました。でも中学生や高校生ぐらいになると土曜16時は外に遊びに行ってるんですよ。本当にプロレスが好きな人間しか見ていないんです。すぐゴルフ番組の特番で放送中止になるし(笑)。でも全日本の日曜22時30分はみんな観ていたんですよ。
 
加藤さん 1990年4月27日に新日本・東京ベイNKホール大会で武藤敬司さんが凱旋してものすごい試合をやって、明らかに新時代の到来を告げたじゃないですか。でもその頃、みんな部活をやっていてテレビを視聴していないんですよ。グレート・ムタVS馳浩(1990年9月14日・広島サンプラザ)は凄い試合だったから、クラスのみんなと共有したいのに、誰も見ていないとか(笑)。




1990年代の全日本・武道館大会について
「ガンツさん、やっぱりあの頃の全日本の武道館大会はどうかしてましたよ!休憩時間にウェーブが起きちゃうんですから(笑)」(加藤さん)

「武道館ってドームに比べると小さいから、波の流れが洗濯機みたいにぐるぐる回ってすごく速いんですよ(笑)」(ガンツさん)






──ハハハ(笑)。今の話をお伺いすると1990年代に10代後半や成人を迎えた世代にとっては全日本には郷愁を抱きやすいのかもしれませんね。
 
加藤さん そうですね。ガンツさんの東京初観戦が1989年3月の後楽園ホール大会なら、僕の東京初観戦は1990年12月7日の全日本・日本武道館大会『世界最強タッグ決定リーグ戦・最終戦』でした。高校一年生で平日の授業が終わってから、常磐線で水戸から二時間、鈍行列車に乗って東京に行くんですよ。ガンツさん、やっぱりあの頃の全日本の武道館大会はどうかしてましたよ!休憩時間にウェーブが起きちゃうんですから(笑)。しかもウェーブという文化が発生したばかりで、武道館のウェーブが本当に波が起こっているようなんですよ。
 
ガンツさん 武道館ってドームに比べると小さいから、波の流れが洗濯機みたいにぐるぐる回ってすごく速いんですよ(笑)。
 
加藤さん 僕は武道館の二階席で見てましたけど、一階のアリーナ席からウェーブが始まった時は本当に泣けてくるくらい嬉しかったんです。ものすごく強いジャンボ鶴田さんに対して三沢さん、川田さん、小橋(健太)さんの超世代軍が立ち向かっていくという構図が少年ジャンプのような世界観があって、ティーンエイジャーの気持ちにフィットしていたのが1990年代の全日本だったのかなと思います。
 
ガンツさん 超世代軍は感情移入できる存在でしたよね。初代タイガーマスクを観ていた頃は僕らは全然子供で。鶴龍対決の頃の鶴田、天龍も「大人」だったじゃないですか。でも、超世代軍は初めて我々と同世代が活躍している感覚を持って見ていたところはありました。
 
──超世代軍は俺たちの代表ですよね。
 
加藤さん とにかく鶴田さんが強くて、今でも動画で見ても面白いんですよ。
 
ガンツさん その通りです!僕の中でジャンボ鶴田のベストバウトは1990年9月1日・日本武道館で行われた三沢光晴戦なんですよ。
 
──同感です!次期三冠ヘビー級挑戦者決定戦で、1990年6月8日・日本武道館大会のリターンマッチですよね。
 
ガンツさん 一回目の鶴田VS三沢は、丸め込みで三沢さんが勝つじゃないですか。9・1武道館は、前回敗れたジャンボがイメージを挽回させるためかものすごく過剰な怪物性が出ていて、鶴龍対決でも出ていない新たな魅力がリング上で爆発しているんです。鶴田さんが三沢さんに「俺とお前ではレベルが違うんだよ」という圧倒的な強さを見せつけたのが鶴田VS三沢の再戦だったと思います。
 
加藤さん 「全日本プロレスに就職します」と言ってプロレスラーになった鶴田さんがトップアスリートとして「なんで俺が三沢に負けなきゃいけないんだ!」という想いを溜めに溜めてドカンとマグマのように爆発させたのがあの三沢戦でしたね。
 
──鶴田さんがイス攻撃とか頭突きまでやって何としても勝つ姿勢を示したのが1990年9月1日の三沢戦だったんです。
 
加藤さん 確かあの頃、鶴田さんが「三沢が俺に勝つのは三年早い」と言っていて、割とすぐだなと思いましたよ(笑)。
 
ガンツさん スポーツマンらしいですよね。「40歳を超えたらトップを譲ってもいいけど、まだ3年早い」っていう(笑)。
 
加藤さん ハッタリじゃなくて、本当に鶴田さんの人柄が出ている発言ですよ。
 
──10年早いとか100年早いじゃなくて、3年というのが妙にリアリティーがありますね!
 
ガンツさん これは鶴田さんの本音だったんでしょうね。「3年が経てば譲ってもいいけど、今はまだ俺だ」という鶴田さんの意思のような気がします。これは野球でいうところのエースや四番の座を譲るようなことですからね。
 
加藤さん 鶴田さんはそういうことにこだわりがない方なのかなと思ったんですが、ずっと全日本のエースとして団体を支えてきたというプライドを三沢さんとの再戦でのファイトで感じましたよ。
 
──1991年4月18日・日本武道館で行われた鶴田VS三沢の三度目の対決になってくると、鶴田さんの引き出しの多さと懐の深さが出た試合になりますよね。
 
ガンツさん あの頃になると鶴田さんの人気が爆発してましたね。恐らく鶴田さんにとって一番気持ちが良かった時代だったと思います。
 
加藤さん 鶴田さんの強さを万人が認めるようになったんですよね。あとスーパーヘビー級である自身の体格を活かせるスタン・ハンセン、テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムスといったライバルに恵まれたと思います。
 
──ファンがようやく鶴田さんの見方が完全に認知されるようになったのが1990年代ですね。菊地毅さんを徹底的に痛めつけて鬼と化したりとか。
 
加藤さん あれで菊地さんが受けの凄みを見せつけて光るんですよ。怪物に向かって全力で向かっていって、拷問のように痛めつけられて耐えに耐え抜くことで菊地さんの人気に繋がったわけで、本当にあの頃は幸福な時代ですよね。



『全日本プロレス中継』の魅力とは?

「『全日本プロレス中継』の魅力は音楽の使い方だと思います。番組プロデューサーの梅垣進さんが作り上げていた映像の世界観がおしゃれですごくポップでかっこよかったんです」(加藤さん)

「今見ても素晴らしいと思うのはカメラワークですよ。『ワールドプロレスリング』とはかなり大きな差がありました」(ガンツさん)



 
──ありがとうございます。では次の話題に移ります。ガンツさんも加藤さんも全日本との出逢いは日本テレビ系で放送された『全日本プロレス中継』だと思います。この番組の魅力について語っていただいてよろしいですか。
 
加藤さん これはガンツさんもジャストさんも同じ意見だと思いますが、『ワールドプロレスリング』はやっぱり古舘伊知郎さんじゃないですか。『全日本プロレス中継』は倉持隆夫さん、若林健治さん、福澤朗さんもすごく個性があって素敵な実況アナウンサーですよね。でも『全日本プロレス中継』の魅力は音楽の使い方だと思います。番組プロデューサーの梅垣進さんが作り上げていた映像の世界観がおしゃれですごくポップでかっこよかったんです。ミル・マスカラスのテーマ曲としてジグソーの『スカイ・ハイ』を採用したり、ブルーザー・ブロディのテーマ曲『移民の歌』(ロック・メッセンジャーズ)なんて、元祖のレッド・ツェッペリンよりも、インストカバーを先に知りましたから(笑)。
 
ガンツさん ブロディが新日本に移籍してから、本物の『移民の歌』(レッド・ツェッペリン)を使って入場してもどうもしっくりこないんですよ。本物なのに、プロレスファン的にはニセモノ感があって(笑)。
 
──全日本版『移民の歌』でファンが慣れてしまっていたのかもしれませんね。
 
加藤さん あとミラクルパワーコンビ(スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ)や鶴龍コンビ(ジャンボ鶴田&天龍源一郎)がタッグチームとして活動した時にテーマ曲をどうするのかとなった時に両者の格を落とさないように合体テーマ曲で入場させるのは名案でしたし、あの辺の強引さがものすごく楽しくて『全日本プロレス中継』で流れるテーマ曲がまた魅力的だったんですよ。
 
ガンツさん あとはザ・グレート・カブキさんのテーマ曲『ヤンキー・ステーション』(キース・モリソン)とか素晴らしかったですよね。
 
加藤さん ガンツさん、カブキさんの日本初上陸ってすごくなかったですか。
 
ガンツさん 次週登場の予告から最高でしたよ!どっかのお寺で修行してるプロモが流れて(笑)。
 
加藤さん ハハハ(笑)。あのカブキさんの凱旋のときめきはちゃんと語り継いでいきたいですよね。カブキさんは職人肌でうまいプロレスラーという見方が通説かもしれませんが、違うんですよ。本当はアトラクティブ(魅力的、人を引き付ける)で際立ってカッコいいプロレスラーなんです。
 
ガンツさん 僕らの世代では初代タイガーマスク以上にザ・グレート・カブキが直撃なんですよ。タイガーマスクのデビューが小学2年で、カブキは小学4年でしたから。学校のクラスでもカブキ人気が凄かったんですよ。
 
加藤さん ヌンチャクがほしくなりましたし、通販でカブキのマスクみたいなものが売っているけど、お金がないから買えないとか(笑)。
 
ガンツさん 校庭の水飲み場で水を口に含んで、毒霧パフォーマンスをやってみたり(笑)。
 
加藤さん アッパーカットも真似たりとか(笑)。
 
──カブキさんの「三種の神器」はアッパーカット、毒霧、トラースキックですよね。
 
加藤さん 連獅子の衣装もかっこよかったですよね。
 
ガンツさん フィニッシュホールドだけは、「これってホントに痛いのかな?」とは思いましたが(笑)。
 
──セカンドロープ上を綱渡りするように歩いてから、倒れている相手の胸元に正拳突きを叩き込むんですよね。
 
加藤さん カブキさんはいつの間にか日本陣営の中堅レスラーに収斂されていく切なさみたいなものがありましたね。でも水戸大会で『ヤンキー・ステーション』が爆音がかかると大歓声が巻き起こってました。
 
ガンツさん ちゃんとカブキさんは会場入りする時は頭巾を被ってペイント前の顔が見えないようにしてましたよ。
 
加藤さん ガンツさん、『プロレススーパースター列伝』のカブキさん回はよかったですよね。
 
ガンツさん、加藤さん、連載末期の時にカブキさん回は掲載されたんですよね。熱々な砂の中に手を突っ込んで鍛錬するシーンが描かれてましたね(笑)。
 
加藤さん 本当にメディアミックスですね。
 
ガンツさん あとカブキさんは『世界のプロレス』(1984年10月20日から1987年3月まで毎週土曜20時からテレビ東京系列局で放送されたプロレス番組)にも出ていて、テレビ東京と日本テレビをまたにかけてカブキさんの試合が流れていたんですよ。
 
加藤さん 子供ながらにテレビ局の縛りみたいなものがあるというのは理解していたので、「カブキさん、テレビ東京に出ていいの?」と思っちゃいましたね。『世界のプロレス』の話が出たのでやはりロード・ウォリアーズ(ホーク・ウォリアー&アニマル・ウォリアー)は触れたいと思います。ガンツさんは1985年3月9日両国国技館で行われた鶴龍コンビVSロード・ウォリアーズの試合はリアルタイムでご覧になられましたか?
 
ガンツさん テレビで流れた特番を見ました。確か『土曜トップスペシャル』だったと思います。 『土曜トップスペシャル』の放送時間が1時間半なのがいいんですよ。
 
加藤さん ビッグマッチ感も出ていますよね。あとロード・ウォリアーズのテーマ曲『アイアンマン』(ブラックサバス)と煽りのPVが最高でしたね!
 
ガンツさん 来日前から『フレッシュジャンプ』で連載された『プロレススターウォーズ』と『世界のプロレス』でロード・ウォリアーズ幻想が高まっていたんですよ。その中で来日したので大フィーバーでしたよ!
 
加藤さん 『プロレススターウォーズ』を読んでいたのが40年くらい前なんですけど、50歳になっても未だにこの漫画の話をみんな熱く語れますからね!
 
ガンツさん もう『コロコロコミック』を卒業した我々からすると『フレッシュジャンプ』が最高に面白くて、小学校高学年をターゲットにしていた“俺たちのマンガ誌”でしたよね!
 
加藤さん 『プロレススターウォーズ』ではブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカが一度仲間割れをして、もう一度組むことになった時に「俺はあまり記憶力がよくないんだぜ」となぜか粋なセリフを言ったり(笑)。
 
ガンツさん 日本でもベビーフェースだったハルク・ホーガンがアメリカンプロレス軍に反旗を翻して日本側についたり (笑)。
 
加藤さん 恐らく権利関係がぐちゃぐちゃですよね。今だったら『プロレススターウォーズ』は絶対にアウトですよね。漫画で勝手に言わせているんですから。
 
ガンツさん あれは東京スポーツの桜井康雄さんが「その辺は俺を通せば大丈夫だから」と言ったらしいですよ(笑)。
 
加藤さん ハハハ(笑)。
 
ガンツさん あの頃のプロレス界は東京スポーツが事実上コミッショナーのような存在だったので、東京スポーツがOKと言えば、大丈夫だったんでしょうね。
 
──話が脱線しましたが、『全日本プロレス中継』の魅力についてガンツさん、語っていただいてもよろしいですか。
 
ガンツさん 今見ても素晴らしいと思うのはカメラワークですよ。『ワールドプロレスリング』とはかなり大きな差がありましたよね。
 
加藤さん その通りです!
 
ガンツさん 『ワールドプロレスリング』は長い歴史がありますが、ずっとカメラワークがいまいちな印象があって、なんでこの名シーンをリングサイドのハンディーカメラで撮っちゃうのか。それだと迫力が薄くなるじゃないかと。うまい具合に2階からカメラを使ったりとかしないんですよ。『全日本プロレス中継』の代表的な名カメラワークはやっぱり1981年12月、スタン・ハンセンの最強タッグ登場ですね!
 
加藤さん あれは最高でしたね!僕の母親が当時美容師をしていて、美容室店舗の隣で『全日本プロレス中継』をテレビで見てたんですけど、プロレスを知らない勤務中の母親に「お母さん、大変だよ!全日本にハンセンが来ちゃったよ!」と伝えに行きましたよ。
 
ガンツさん 全国の視聴者が実況の倉持さんと同じタイミングで『あっ、スタン・ハンセンだ!!』と言ったはずですよ!ハンセンがブロディとスヌーカの背後に私服姿で入場した時に、控室のカメラがハンセンの顔が映らないように背後から撮っているんですよ。
 
加藤さん あのハンセンの背中がいいんですよ!
 
ガンツさん ハンセンの背中をカメラが追って、カメラが切り替わって入場口から見えた瞬間にブロディ、スヌーカの後ろにハンセンの顔が映るという見事なカメラワークで素晴らしい構図ですよ。
 
加藤さん そこはプロ野球の読売ジャイアンツの試合を長年放映してきたスポーツ報道の盟主である日本テレビの「数字を取れるコンテンツを生み出せるのは俺たちだ」というプライドを感じますね。
 
ガンツさん あとカメラの数が『全日本プロレス中継』は『ワールドプロレスリング』より絶対に多いですよね。
 
──『全日本プロレス中継』のカメラのスイッチングの的確さもあるかなと思います。
 
ガンツさん 1983年の最強タッグ最終戦でミラクルパワーコンビVS鶴龍コンビが闘うことになって、ハンセン&ブロディが優勝するのですが、フィニッシュとなったハンセンのウエスタン・ラリアットが、2階カメラからハンセンのブラックサポーターでの予告シーンを見せて、その次のスイッチングで場外でもがいてグロッキー状態の鶴田さんを映しているんですよ(笑)。
 
加藤さん ハハハ(笑)。
 
ガンツさん 最後は2階カメラからハンセンが天龍さんをロープに振って、ものすごい勢いで返ってくるところをラリアットを決めて、天龍さんを逆さまになるように豪快にやられるシーンが最高のカメラワークによって伝説に変わるんですよ!
 
加藤さん これが土曜17時30分から18時30分で地上波テレビで流れているんですから、凄い時代ですよ!
 
ガンツさん 大人のプロが本気で作っている至高のエンターテインメントですよ!
 
(前編終了)