ジャスト日本です。
1990年代のプロレス界を検証する新企画『世紀末バトル・アーカイブス』。これは激動と波乱の1990年代のプロレス界を、90年代系YouTuberゴクさんと漫画家ペンダフさんと共に一年ごと振り返りながら、深掘りしていく対談コーナーです。
【ゴク】
Twitter、Instagram、YouTube、電子書籍で「90年代プロレス」の魅力を発信し続けている。
自称“ジャイアント馬場さんの実家から最も近いプロレスファン”
◆1978生
◆新潟在住
◆Youtube(2022年4月開設)→ https://youtube.com/channel/UCW5uAINrEyC3DKb061O6dZg
◆Kindle本「昭和53年生まれによるプロレスの思い出1~5巻」📕カテゴリ別ランキング1位著者。4コマ漫画が挿絵のプヲタ自伝。Kindle unlimited会員様は全5冊が無料でお読み頂けます→https://amazon.co.jp/%E3%82%B4%E3%82%AF/e/B09L6LMM3J/ref=dp_byline_cont_pop_ebooks_1
【ペンダフ】
漫画イラスト講師、漫画描き、イラストレーター
専門学校卒業後、アパレル勤務をしながらイラスト(イベントのフライヤーやメインヴィジュアル、Tシャツのデザイン、書籍の表紙など)と漫画の創作を中心に活動し、自作のプロレスファン漫画がジャンプルーキー受賞作としてジャンププラスに掲載。
現在、サブカルチャーイベントの出演、イラストレーター、専門学校の講師と活躍中。
2016年6月 ジャンプルーキーにてブロンズルーキー賞獲得
https://rookie.shonenjump.com/series/FlR8CfEGNkI
現、掲載作品
https://rookie.shonenjump.com/series/FlR8CfEXwww
今回は1991年のプロレス界を振り返ります。
1991年のプロレス界
【参考文献】
・『平成スポーツ史 永久保存版 プロレス』(ベースボール・マガジン社)
・『日本プロレス52年史〜あの時、日本マット界は揺れ動いた〜』(日本スポーツ出版社)
【1991年】
新世代台頭の 芽吹きと 多団体時代の予兆
UWFが3派分裂し、さらにFMWから派生する形でWINGも旗揚げ。団体数が増加するなか、新日本では「G1 CLIMAX」を初開催し、 闘魂三銃士が躍進。全日本では三沢光晴、川田利明らが存在感を強め、 新世代が台頭していった。
【東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞】
1991年の受賞者
最優秀選手賞(MVP):ジャンボ鶴田(全日本)
年間最高試合賞(ベストバウト):天龍源一郎×ハルク・ホーガン(12月12日/SWS・東京ドーム)
最優秀タッグチーム賞:三沢光晴&川田利明(超世代軍/全日本)
殊勲賞:大仁田厚(FMW)
敢闘賞:蝶野正洋(新日本)
技能賞:馳浩(新日本)
新人賞:折原昌夫(SWS)
1月4日 東京スポーツ新聞社制定『1990プロレス大賞』授賞式&パーティーは大仁田厚がMVPとベストバウトを独占した事を各団体が批判したためか、例年になく選手・関係者の出席が悪かった。
1月7日〈UWF〉選手会合の席上、 前田日明が団体の解散を宣言。 3派に分裂。 1月9日 前田が都内でクリス・ドールマンと会談。ドールマンは新日本出場を白紙に戻し、前田に協力すると意思を表明。
1月17日〈新日本〉横浜。ビッグバン・ベイダーが藤波辰爾を破り、IWGPヘビー級王座奪還。
1月19日〈全日本〉松本。ジャンボ鶴田がスタン・ハンセンを破り、三冠ヘビー級王座奪還。
1月29日〈パイオニア戦志〉休業を宣言し、そのまま消滅。
2月4日 〈藤原組〉 都内ホテルで藤原喜明、船木誠勝、鈴木みのるらが「新UWF藤原組」設立を発表 。
2月6日〈新日本〉札幌中島体育センター。橋本真也がトニー・ホームとの異種格闘技戦に連敗。この敗戦後、橋本は右膝悪化のため長期欠場することに。
2月15日 〈新日本〉長州力を初代グレーテスト18クラブ王者に認定。
2月20日 〈UWFインター〉 高田延彦、山崎一夫らが 「UWFインターナショナ ル」の設立を発表 。
2月27日〈FMW〉後楽園。世界マーシャルアーツ王座決定戦で、ソウル五輪柔道銀メダリストのグリゴリー・ベリチェフが大仁田厚を破り、初代王者となる。
3月1日 〈新日本〉諏訪湖。 来日予定のなかったタイガー・ジェット・シンが馳浩の乗用車をバットで襲撃。〈全日本〉ジャイアント馬場が退院。
3月4日 〈藤原組〉 後楽園。 旗揚げ興行を開催。エースに推された船木誠勝はバート・ベイルに快勝。またカール・ゴッチが最高顧問としてあいさつ 。
3月13日 〈SWS・藤原組〉 両団体の業務提携を発表。
3月14日 〈リングス〉 都内ホテルで設立を発表。
3月21日 〈新日本〉東京ドーム。 「91スターケードIN闘強導夢」を開催。 IWGPヘビー級王者・藤波辰爾がNWA 世界王者リック・フレアーとのダブ ルタイトル戦に勝利。 しか し試合後、裁定にクレームがつき、フ レアーはベルトを持って翌日帰国。 スタイナーブラザーズが馳&佐々木健介組を破り、IWGPタッグ王座を奪取。長州力がタイガー・ジェット・シンとのグレーテスト18クラブ指定試合に勝利。
3月24日 〈WWF〉 カリフォルニア。 「レ レッスルマニア7」に天龍源一郎、北尾光司が出場。
3月29日〈藤原組〉団体名を「プロフェッショナル・レスリング藤原組」に改称。 3月30日 〈SWS〉東京ドーム。 WWF共催「レッスルフェストIN東京ドーム」を開催。 リージョン・オブ・ドゥームが 天龍&ハルク・ホーガン組に勝利。また維新力が日本デビュー。
4月1日 〈SWS〉 神戸ワールド記念ホール。 北尾が対戦相手のジョン・テンタに「八百長野郎!」の暴言。藤原組・鈴木みのると対戦のアポロ菅原が試合放棄。
4月4日 〈SWS〉 北尾の解雇を発表。
4月16日 〈全日本〉 愛知県体育館。ジャンボ鶴田がスタン・ハンセンを破り、11年ぶり2度目のチャンピオン・カーニバル制覇。
4月18日〈全日本〉日本武道館。鶴田が三沢を破り、三冠ヘビー級王座防衛。スタン・ハンセン&ダニー・スパイビーがテリー・ゴーディ&スティーブ・ウィリアムスを破り、世界タッグ王座獲得。
4月30日〈新日本〉両国国技館。保永昇男が獣神サンダー・ライガーを破り、トップ・オブ・ザ・スーパージュニアを優勝。さらに第14代IWGPジュニアヘビー級王者となる。
5月6日 〈FMW〉大阪万博お祭り広場 にて、 有刺鉄線バリケードマット地雷爆破デスマッチが行われ、大仁田厚がミスター・ポーゴに勝利。
5月10日 〈Uインター〉 後楽園。旗揚げ戦を開催。エース髙田延彦がトム・バートンに勝利。
5月11日 〈リングス〉横浜アリーナで、 旗揚げ戦を開催。エース前田日明はオランダ軍団のディック・フライを破る。日本人選手は前田ただひとりの船出となった。
5月31日〈新日本〉大阪城ホール。藤波辰爾デビュー20周年記念試合が行われ、蝶野正洋を下し、IWGPヘビー級王座防衛。橋本真也が約3ヶ月半振りにカムバック。
6月1日〈全日本〉 日本武道館。ジャイアント馬場が183日ぶりに復帰。ファンの熱狂的な歓迎を受けて6人タッグ戦に出場。
6月16日 ミスター・ポーゴとビクター・キニョネスが「キャピタル・スポーツ・プロモーション」日本支部設立を発表。
6月21日〈W★ING〉都内ホテルにて大迫和義社長らが記者会見を開き、世界格闘技連盟立
「W★ING」設立を発表。「キャピタル・スポーツ・プロモーション」日本支部はこの新団体に吸収。
7月4日〈新日本〉福岡国際センター。獣神サンダー・ライガーがペガサス・キッドをマスク剝ぎマッチで勝利。敗れたペガサスはマスクを脱ぎ、正体が元新日本留学生クリス・ベノワと判明。
7月6日〈全日本〉横須賀。ゴーディ&ウィリアムスがハンセン&スパイビーを破り、世界タッグ王座奪還。
7月19日〈SWS〉天龍がSWS社長に就任。
7月23日 〈SWS〉「レボリューション」伊豆合宿で、阿修羅・原の入団を発表。
7月24日〈全日本〉金沢。三沢光晴&川田利明がゴーディ&ウィリアムスを破り、世界タッグ王座を初戴冠。
8月1日〈リングス〉大阪府立体育会館。前田が左膝負傷を押して出場するも、ディック・フライにTKO負け。長井満也がデビュー。
8月4日 〈SWS〉長岡大会。阿修羅・原が2年9カ月ぶりにリング復帰。翌5日の高崎大会で天龍との龍原砲が復活。
8月7日〈新日本〉 愛知県体育館。第1回G1CLIMAXが開幕。〈W★ING〉後楽園。旗揚げ戦を開催。
8月11日〈新日本〉両国国技館。G1CLIMAX決勝戦。蝶野正洋が武藤敬司を下して初優勝。
8月17日〈FMW〉JR九州・鳥栖駅東隣接地でロックとジョイントイベントを開催し、4万8000人の観客を動員。ノーロープ有刺鉄線電流爆破トーナメント決勝で大仁田がサンボ浅子を破り優勝。
8月25日 〈新日本〉 よみうりランド。佐々木健介が試合中に左腓骨骨折・左側関節靭帯断裂の重傷。 長期欠場へ。
9月4日〈全日本〉日本武道館。三沢光晴&川田利明組がジャンボ鶴田& 田上明組を相手に世界タッグ王座防衛。三沢が鶴田から日本人のギブアップ勝ち。
9月23日 〈新日本〉横浜アリーナ。橋本真也がトニー・ホームに雪辱。メインイベントでグレート・ムタが藤波辰爾に勝利。〈FMW〉川崎球場に初進出。大仁田厚がターザン後藤とのノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチで勝利。
9月26日〈Uインター〉札幌中島体育センター。メインイベントで髙田がボブ・バックランドに75秒KO勝ち。その試合内容にファンが暴動寸前となる。〈SWS〉メキシコEMLL(現CMLL)との提携を発表。
10月17日 〈新日本〉福岡国際センター。 藤波&ビッグ バン・ベイダー組がSGタッグリーグ戦に優勝。10月18日〈ユニバーサル〉浅井嘉浩が CMLLに移籍し、マスクマンのウルテイモ・ドラゴンになる。
10月24日〈SWS〉浅井嘉浩との契約を発表。
11月5日〈新日本〉日本武道館。スコット・スタイナーの負傷返上によるIWGPタッグ王座決定戦が行われ、武藤敬司&馳浩がスコット・ノートン&リック・スタイナーを破り、新王者となる。
11月19日〈W★ING〉団体の解散を発表。
11月20日〈FMW〉ザ・シークが10年ぶりに来日し、甥のサブゥーと組んで活躍する。
12月4日 〈新日本〉馳が永田町の参議院会館でアントニオ猪木と会談。1992年1.4東京ドーム大会でT・J・シン戦が予定されていた猪木に自身との対戦を要求し、承諾される。
12月6日 〈全日本〉 日本武道館。 テリー・ゴー ディ&スティーブ・ウィリアムスが三沢&川田を破って最強タッグ2連覇達成。
12月10日 〈W★INGプロモーション〉後楽園。旧W★ING所属選手の大半が参戦して、旗揚げ戦を開催。
12月12日 〈SWS〉東京ドーム。「スーパ レッスルIN東京ドーム」 開催。天龍がホーガンに敗北。浅井はウルティモ・ドラゴンに変身、日本デビュー戦を飾る。
12月18日 〈新日本〉巌流島。 馳が猪木との対極を懸けた一騎打ちで、シンにKO勝ち。 12月22日 〈Uインター〉 両国。高田がボクシング元ヘビー級王者のトレバー・バービックとの格闘技世界一決定戦に勝利。
12月25日〈WCW〉アトランタ。獣神サンダー・ライガーがブライアン・ピルマンを破り、第2代WCW世界ライトヘビー級王者となる。
それでは皆さんを1990年代のプロレス界にお連れいたします!
──ゴクさん、ペンダフさん。1990年代のプロレス界を振り返る企画『世紀末バトル・アーカイブス』にご協力いただきありがとうございます!今回は1991年のプロレス界について大いに語っていただきたいと思います。よろしくお願いいたします!
ゴクさん よろしくお願いいたします!
ペンダフさん よろしくお願いいたします!
──1991年のプロレス界は、UWFが解散しまして三派(藤原組、UWFインターナショナル、リングス)に分裂し、新団体W★ING旗揚げ、新日本では『G1 CLIMAX』が開催され、闘魂三銃士が台頭します。全日本では『チャンピオン・カーニバル』でリーグ戦が復活してジャンボ鶴田さんが優勝。また超世代軍が大躍進していくのがこの年でした。また1991年の東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞についていかがですか。
ゴクさん 新人賞が折原さんなんですね。
──折原選手はSWSジュニア戦線で佐野直喜さんや北原光騎さんといった先輩レスラー相手に健闘して、いい試合が多かったんです。この当時から場外へのケプラーダとかやっているんです。
ペンダフさん この頃から無鉄砲だったんですか?
──そうですね。ガムシャラファイトと空中殺法を得意にしてました。
ペンダフさん 後に折原さんはWAR代表として新日本と対抗戦やってから知るようになったので、その時期はあまり意識してなかったですね。山本小鉄さんの著書によると折原さんはプロレスラーになる前に、新日本道場に見学したことがあって、グラン浜田さんがスパーリングで相手して、「子供だから、何してもいいよ」と浜田さんは下になって寝転がると、なんと彼はコーナーに登ってダイビング・ニードロップをしたらしいですよ(笑)。それで浜田さんがブチ切れて、折原さんをボコボコにしたと。
──ハハハ(笑)。
ゴクさん 天性のトンパチですね(笑)。
ペンダフさん 寝技とか打撃じゃなくて、そこでニードロップを選ぶなんて凄いじゃないですか!
──折原選手は結構、強い選手なんですよね。レスリングで実業団で活躍してますから。
ペンダフさん キングダムにも出てましたね。
──1991年は激動の一年だったんですけど、1月4日に1990年のプロレス大賞授賞式があったんですけど、大仁田厚選手がMVPとベストバウトの二冠を達成したのが理由なのか、各団体がこの結果に対して批判をするためか例年になく関係者の出席が少なかったそうです。
ゴクさん そうだったんですね。
ペンダフさん 今でこそデスマッチなんか当たり前ですけど、当時はスーパー邪道やと思うんすよね。僕は大仁田さんのデスマッチは別物として見てました。
──1991年がそもそも波乱の幕開けをしていて、その数日後の1月7日にUWFが解散するんですよ。前田さんの自宅に選手が集まって会合をして、解散という流れになるわけですが、その二日後に前田さんはオランダのサンボ世界王者クリス・ドールマンと会談をしてますね。実はドールマンは新日本参戦が内定していたんですけど、白紙にして前田さんを選んで後にリングス旗揚げに協力するようになるんですよ。
ペンダフさん 実は前田さんは先手を打ってたんですね。あと前田さんは藤原喜明さんが藤原組、高田延彦さんがUWFインターナショナルを旗揚げして、色々と疑心暗鬼になっていたのかもしれません。
──それはあると思いますね。
ペンダフさん あと1991年といえば橋本真也VSトニー・ホームですね。まだこの頃は新日本を中心に見ていて、橋本に連勝したトニー・ホームが印象深かったですね。新日本にはビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバンビガロ、スコット・ノートンといった怪物外国人レスラーが勢ぞろいしていて、それが面白かったですよ。
──ベイダー、ビガロ、ノートン、ホームの新日本外国人四天王。わきを固めるのが、グレート・コキーナ、ワイルド・サモアンのサモアン・スワットチーム。
ペンダフさん ハハハ(笑)。全日本に負けず、新日本も外国人レスラーが揃ってましたね。
──ゴクさんは1991年のプロレス界で印象に残っていることはありますか?
ゴクさん 僕は1992年からプロレスファンになったんですけど、プロレスを見てから、古本屋で投げ売りで、週刊プロレスが1冊50円で売られていて、それを持てるだけ買うと、やたらと1991年のものが多かったんです。紙面を見ると衝撃的なSWSからの取材拒否という表紙の週刊プロレスがあったんですよ。
──SWS社長・田中八郎さんからFAXで取材拒否の文面が送られてきたことをそのまま表紙にしたんですよね。
ゴクさん そうです。あの時の週刊プロレスを読むと、取材拒否に対する読者のFAXでの熱量が凄すぎて、「プロレスはこうでなくちゃ!」と思いましたよ。ターザン山本さんと読者があらゆることに揚げ足取りをしている文章が多くて(笑)。
ペンダフさん 全盛期の週刊プロレスにおけるターザン山本さんが良くも悪くも神がかっていましたね。僕は当時は週刊ゴング派で、フラットで中立に取り上げて、冷静に分析するスタンスが好きで、資料性が高かったんです。
ゴクさん その通りですね。
ペンダフさん 週刊プロレスだと、SWS、新日本に取材拒否されているから抜けている時期があるじゃないですか。そうなると資料としてはゴングのほうが優秀かなと。
ゴクさん 僕はプロレスファンなりたてだってので、分かりやすい週刊プロレスを買ったという感じですね。
ペンダフさん 山本さんは文章に色気があったんですよ。映画畑の人やから例え話とかうまくて。
ゴクさん ゴングは特集号とか技の解説とか、資料として魅力的でしたね。
ペンダフさん そうなんですよ。ゴングは冷静に書いていて、週プロはエモーショナル。
ゴクさん 週プロは色を付けすぎくらいやりますよね(笑)。ペンダフさんは1995年4月2日の『夢の懸け橋』(東京ドームで開催されたベースボールマガジン社主催の13団体参加プロレスオールスター戦)とWAR後楽園ホール大会なら、WARの方を選んだんじゃないですか?
ペンダフさん うーん、迷いますけど。WARに行くかな。今となるとターザン山本さんのポップなセンスは評価されるべきかもしれませんね。でも学生時代は硬派なゴングが好きでした。
ゴクさん その気持ち、分かります!
ペンダフさん あとゲームの『ファイプロ』の存在は大きかったです。あれでUWFの凄さを知りましたから!冴刃明、桧垣誠、梶原丈がとにかく強かった!
──冴刃明の大車輪キックは恐ろしい打撃技でしたから!
ゴクさん 冴刃明の大車輪キックは結構、流血率が高かったですね。
ペンダフさん そうですよね。あと桧垣誠の掌底が凄くて。ここで骨法の恐ろしさを知りましたね。
──骨法を我々に洗脳させたのはターザン山本さんですからね。
ペンダフさん そうですよ!
──山本さんはカルト宗教の教祖のような感じなんですよ。
ペンダフさん もしかしたら別分野でも大物になっていたかもですね!
──我々はターザン山本さんと堀辺正史さんに洗脳されましたね(笑)。
ペンダフさん ジャン斎藤さんも自身のサイトで似たようなことを言ってたんですけど、ファイプロ経由でUWFを知って、そこから後追いでゴングで調べて、過去のVTRを見まくってUWFの凄さを認識していくという感じでした。ビデオは当時、配達レンタルビデオというのが流行っていて、それでプロレスやUWFを借りまくってましたよ。
──ありがとうございます!あとSWSの北尾光司八百長発言事件も1991年なんですよ。
ペンダフさん ああ、そうだった!
ゴクさん 僕もこの印象が強いですね。
ペンダフさん SWSはメガネスーパーがバックにいて、WWEと共闘したりして、花道を初めて導入したり、資本主義プロレスとかエンタメ寄りの思想のイメージがあったんですけど、割とこういう事件が多かったですね。あと数年前のSWSを特集したムック本で若松市政さんのインタビューが掲載されていて、当時のSWSでは若手同士の試合はほとんどこれ(シュート)だったらしくて。これが本当かどうかはわかりませんが。
──おおおお!!それはなかなか興味深い証言ですね。
ペンダフさん だから折原さんや北原さんが台頭したのは納得なんです。
──SWSで個人的に印象に残っているのは、キング・ハクが天龍源一郎さんをビール瓶で殴ったんですけど、それが中身入りだったという話ですね。それが原因で天龍が脳の後遺症を患ったそうです。
ゴクさん えええ!
ペンダフさん それはヤバいですね!
──あと阿修羅・原さんとキング・ハクが会場全体に響き渡るほどの頭突きやチョップの打撃戦を展開していて、トップクラスの攻防もSWSはかなりハードヒットだったんです。
ペンダフさん なるほど!
──ありがとうございます!ちなみに1991年で語りたい試合はありますか?
ゴクさん これはウケ狙いとかではないのですが、1991年9月30日に日本テレビ系で放送された『第7回ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で行われた格闘字読みクイズですね。
──ありましたね!
ゴクさん その字読みクイズに藤波辰爾さん、橋本真也さん、獣神サンダー・ライガーさんが出演していたんですよ。宴会場に突如、リングが出現するという感じでした。最初は解説席にいた藤波さん、橋本さん、ライガーさんがテーマ曲に乗って入場してくるんですよ。鈴木修先生が手掛けた藤波さんの『RISING』、橋本さんの『爆勝宣言』がとにかくかっこよかったのを覚えています。
ペンダフさん プロレスラーにとってバラエティー番組に出るのは大事ですよね。大仁田さんだって、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんがずっとものまねをしていたことによって知名度が上がりましたよね。
ゴクさん それはありますね!僕は当時プロレスを見てなかったので、なんで上島という芸人はずっと泣いているんだろうと疑問でした(笑)。
ペンダフさん ハハハ(笑)。
ゴクさん その字読みクイズでは橋本さんとライガーさんの相手を最初はたけし軍団が務めて、どんどんハードヒットを食らうんですけど、後半になると井手らっきょさん、春一番さん、ダチョウ倶楽部さんがお笑いという武器を使いながら互角に渡り合うような策を使うんですけど(笑)。
──最高ですね(笑)。
ゴクさん それで途中で藤波さんを春一番さんが呼び込むシーンがあって、藤波さんがサスペンダーとタキシードを脱ぐと黒のショートタイツを履いていて、ロープ越しで春さんをビンタするんですよ。あの飛竜革命の再現をやったんですけど、僕は当時よく分からなかったんです。もう本当、お笑い番組の一つの企画の中にいろんな元ネタが散りばめられてる。ただ、そんなことを知らなくても、もう本当にプロレスは面白いなという一つのきっかけでしたね。
ペンダフさん 今の『アメトーーク』のように意味は分からなくても面白いという感じですよね!これは後で気がついたんですけど、1992年から始まったWARと新日本の抗争も、会社同士で決めたことかもしれませんが、きっかけはテレビ番組やったらしいですね。
──その通りです。『プレステージ』という深夜番組に越中詩郎さんと木村健悟さんがゲスト出演していたんです。
ペンダフさん そこにWARの北原光騎さんが途中に電話で割り込んで、互いに口喧嘩になったという件ですね。
ゴクさん 確か週プロの記事でそれありますね。
──週プロはそのやり取りを文字起こしをしているんですよ。口喧嘩が終わった後に、馳浩さんやライガーさんに感想を求める光景があって、馳さんが北原さんの言動に「社会人としてどうかと思う」と感想を述べていますね。
ペンダフさん 北原さんは後に「向こうから喧嘩を売ってほしいと言われたのに」と言っていたような気がします。
──何かとテレビがきっかけになることがプロレスにはあったんですね。
ペンダフさん あとはこれは思い出したのですが、1991年にペガサス・キッドがマスクを脱いでいるんですよね。ライガーさんとの敗者マスク剥ぎマッチで。
──新日本の7月4日福岡国際センター大会ですね。
ペンダフさん これは衝撃でしたよ。マスクを取った方がかっこいい(笑)。めっちゃ男前やんけみたいな。ペガサス・キッドというリングネームも、坂口征二さんが当時ペガサスというパチンコにハマっていて、そこにちなんで命名されたという話ですね。
──実はペガサス・キッドは日本ではライガーさんに敗れてマスクを脱ぎましたが、メキシコではビシャノ3号と抗争をしていて、彼に敗れてマスクを脱いでいるんです。だからキッドは2回マスクを脱いでいるということになりますね。
ペンダフさん ペガサス、好きやったですね。僕は初代タイガーマスクは幼稚園の時にリアルタイムで見ていたんですけど、そこまで乗れなかったんですよ。あのマスクがどこか特撮すぎて、その一方がミル・マスカラスの無駄のないデザインのマスクがめちゃめちゃ好きだったんです。入場テーマ『スカイ・ハイ』、彫刻のような筋肉もカッコよくて。
──はい。
ペンダフさん その流れでペガサス・キッドも無駄のないマスクのデザインで、しかもあの筋肉隆々。やっぱり僕はヒーローのライバルキャラが結構好きなんですよね。初代タイガーマスクよりはライバルのダイナマイト・キッドが好きでしたから。
──なるほど!
ペンダフさん 超世代軍でも三沢さんも好きでしたけど、心のなかでは川田さんを応援していたり。鶴龍対決だと天龍さんを支持したり。
──鶴龍対決は、天龍さんの方が支持率が高かったような気がしますね。
ペンダフさん なんか反体制にやっぱ憧れちゃうんすよね。民衆で革命を起こしたい人にシンパシーを感じてしまうんです。どちらかというと追いかけるキャラが結構好きだったりするんだよね。
ゴクさん 孫悟空よりもベジータっていう感じですね。
ペンダフさん そうです!わかりやすい例えをありがとうございます!
ゴクさん わかりますね。
ペンダフさん それでペガサス・キッドの正体がかつて新日本で留学していたクリス・ベノワという若手のレスラーだったわけですよね。後に世界のスーパースターになりますが。
──キッドがマスクを脱いだ時に、解説の山本小鉄さんが「昔、新日本道場で留学していた選手」と言ってましたね。
ペンダフさん そうだったんですね。小鉄さんやマサ斎藤さんの解説は勇み足的なところありますよね。
──小鉄さんの勇み足はなんか可愛げがあるんですけど、マサさんの勇み足解説がすごくてヒヤヒヤしますよね。
ペンダフさん グレートOZの正体も「バスケットボール選手だったんですよ」と平気で言いますからね(笑)。オズの魔法使いキャラなのに、そんな経歴を言われちゃうと幻滅するじゃないですか。
──2代目ブラック・タイガーに「エディ(ゲレロ)」って言いますからね。
ペンダフさん あれはひどかったですね(笑)。
──ニックネームのことをホーリーネームとか(笑)。
ペンダフさん ハハハ(笑)。
ゴクさん ハハハ(笑)。
ペンダフさん 1991年といえば阿修羅・原さんの復帰戦ですね。
──原さんが1988年に全日本を解雇になって、1991年に復帰するまでの物語はほとんど演歌の世界観ですよ。
ペンダフさん 『プロレス地獄変』でおなじみですね。
──最高ですね。
ペンダフさん 『プロレス地獄変』は最高ですよね。ゴクさんは読まれたことはありますか?
ゴクさん 持っているかもしれませんけど読んでないかもです。
ペンダフさん 『プロレス地獄変』の漫画は『プロレススーパースター列伝』の原田久仁彦先生が描かれているんですよ。宝島社から出ていて、WJの黒い話とか暴露系のネタが多くて、「原田先生にこれは書いてほしくなかったな」とショックを受けたんです。でも原さんの回はめちゃくちゃかっこよかったんです。原さんが借金してトンズラして、紆余曲折の末に天龍さんが原さんを迎えに行くという話で。
ゴクさん 原さん、寿司屋で下宿していたんですよね。
ペンダフさん そうです!北海道の寿司屋!
ゴクさん 別冊宝島のプロレスムックで、阿修羅・原さん最後のインタビューという企画があって、東京から来た記者に「長崎に来たんだから、いいもん食わせてやる」といって、リンガーハットでおごったそうです(笑)。
──ハハハ(笑)。
ペンダフさん 『プロレス地獄変』は別冊宝島の漫画の部分だけを単行本にまとめたもので、かなり分厚くて、最初は原さんのエピソード目当てで買って読んだんですけど全部めちゃくちゃ面白かったんですよ。元新日本取締役でWJを立ち上げた永島勝司さんの回が全部面白かった!
ゴクさん 「カ、カテェ!」は有名ですね。
ペンダフさん 『プロレス地獄変』を読むと原田先生のワードセンスが凄くて、梶原一騎先生と組んでいた時期もあるから、梶原一騎イズムを吸収したのかもしれませんね。
──『プロレス地獄変』はラッシャー木村さんの回とか感動しますよね。原さんと木村さんの回はドラマ化してほしいなと思うほどクオリティーが高いです。
ペンダフさん 『プロレス地獄変』は多くの皆さんに読んでほしいです。
──ちなみに1991年の年表を見ると、12月にライガーさんがブライアン・ピルマンを破り、第2WCW世界ライトヘビー級王者になったというニュースがあるんですよ。
ペンダフさん それはゴングの記事で見ましたね。
──あとは第1回の『G1 CLIMAX』が1991年開催ですね。
ペンダフさん 第1回のリーグ戦にエントリーした選手は全員優勝候補でしたね。
──長州力、藤波辰爾、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、ビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバンビガロ、スコット・ノートンという豪華なメンツでした。
ペンダフさん 今の『G1 CLIMAX』とは全然違いますよ。まさか蝶野さんが優勝して、その決まり手がパワーボムとは…。あと翌年の『G1 CLIMAX』も印象深くて、アメリカンプロレスの選手が大挙来日するじゃないですか。
──1992年の『G1 CLIMAX』はWCWからリック・ルード、バリー・ウィンダム、スティーブ・オースチン、アーん・アンダーソン、テリー・テイラー、ザ・バーバリアン、ジム・ナイドハートが来日しています。今思えば結構渋い人選ですよ。
ペンダフさん そのトーナメント決勝戦が蝶野さんとリック・ルード。ルードのプロレスなんて僕みたいな子供にはなかなか理解できないじゃないですか。でもいざ試合を見るとルードはうまいですよ。ちゃんとヒールをやってくれていて。
──ルードはランディ・サベージのような試合巧者ですから。
ペンダフさん ルードとサベージは似ているかもですね。互いに女性マネージャーを引き連れてますから。ルードといえば1994年3月の馳浩戦もよかったですね。
──ルードは1991年の全日本『サマーアクションシリーズ』で来日しているんですよ。殺人魚雷コンビとトリオを組んでましたね。
ゴクさん そうなんですね!
ペンダフさん 全然覚えてないです。あとスタイナー兄弟も1991年に新日本に来日しているんですよね。
──その通りです!
ペンダフさん スタイナー兄弟、好きやったなぁ。アマレスのムーブを出す全面的に選手は地味な印象が強かったんですよ。サルマン・ハシミコフ、谷津嘉章さんとか。その流れをスタイナー兄弟が変えましたね。とにかくド派手でしたね。スタジャンとかかっこよかったし。
ゴクさん 確かに!
──実際にスタイナー兄弟は強いんですよね。
ペンダフさん 特に兄貴のリック・スタイナーは喧嘩が強かったそうですね。
──これは後年の話ですけど、新人時代の真壁刀義選手が先輩から理不尽ないじめを受けた時に、慰めてくれたのはリック・スタイナーだったという話を聞いたことあります。
ペンダフさん そうらしいですね。
──あと橋本さんが真壁選手が理不尽ないじめに遭っているときに「いい加減にしろ!」と一喝したというエピソードもありますね。
ペンダフさん 橋本さんも大概ないたずら好きですけどね。
──橋本さんはいたずら好きですけど、いじめは嫌いなんですよ。
ペンダフさん そこは橋本さんのいいところなんですよ。
(『世紀末バトル・アーカイブス 1991年のプロレス編』終了)