テーマ曲から考える国際プロレス論「第4回 荒ぶる男たちの国際魂は時代の魁となった」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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   テーマ曲から考える国際プロレス論

 

 

昭和プロレステーマ曲研究家・コブラ✕プロレス考察家・ジャスト日本のテーマ曲対談第2弾

「第4回(最終回)荒ぶる男たちの国際魂は時代の魁となった
 
 
 
 
 

 

 



 

 

「テーマ曲から考える国際プロレス論」最終回



コブラさんとの対談企画「テーマ曲から考える国際プロレス論」は今回が最終回です。



第1回 「世界のバイキング料理・魂のふるさと」 



第2回 「プロレス界の裏街道とテレビ界の番外地」 




第3回「阿修羅と闘将」 




最終回となる今回は、国際で使われたレアテーマ曲、コブラさんがリアルタイムで観た国際、さらにコブラさんが選ぶ国際テーマ曲ベスト3といった話題で熱く語ります!愛すべき国際よ、永遠なれ!



ロード・ウォリアーズのマネージャーとして有名なポール・エラリングに採用されたテーマ曲とは?



ーー次にお聞きしたいのが、国際のテーマ曲において「なんでこの選手にこのテーマ曲なんだ!?」というチョイスがあったり、ミスマッチだったり、謎多い選曲とかございましたら教えてください。


 コブラさん 国際の末期なのですが、1981年のビッグ・チャレンジ・シリーズで、後にロード・ウォリアーズのマネージャーとなるポール・エラリングがレスラーとして来日していて、その時に、初代ブラック・タイガーのテーマ曲として有名なクイーンの「FOOTBALL FIGHT」が流れてたんですよ。映画「フラッシュ・ゴードン」のサントラですね。


ーー有名な映画ですね!


コブラさん 当時、国際プロレスアワーをリアルタイムで観てたんですけど、そのこと(エラリングが初代ブラック・タイガーのテーマ曲で入場していた)を大人になってから映像とかで確認して気がついたんです。


ーー実はポール・エラリングの試合は観たことがないんですが、試合をリアルタイムで観られて彼の試合はどうでしたか?


コブラさん あのう悪くないですよ。パートナーのテリー・ラザンが老獪なうるさ型のレスラーで、エラリングが見栄えのいいパワーファイターで。スーパースター・ビリー・グラハムよりはいいレスラーですよ(笑)。身体は小さかったのはネックでしたけど。エラリングは身体を壊さずにそのままレスラーを続けていたら、面白い存在になったでしょうね。


ーーエラリングは早い段階でリングを離れているんですね。


コブラさん そうですね。内臓疾患でしたね。(1982年に内臓疾患でレスラー活動をセミリタイアしてからはプレーイングマネジャーとなり、ロード・ウォリアーズのマネジャーとなって大ブレイクしている)


ーーポール・エラリングが国際に来日していたというのはプロレスファンからすると興味深い事実ですね!


コブラさん そうですね。国際が経営が苦しくなって、呼ぶ外国人レスラーもショボくなっていく中で、エラリングといういい外国人レスラーが来たというのが印象に残っていますね。


ーー国際は1981年3月に東京12チャンネルのレギュラー中継(国際プロレスアワー)が終わるんですよね。そこから呼ぶ外国人レスラーがショボくなるんですよね。


コブラさん レギュラー中継はレイ・キャンディやルーク・グラハムが来日した3月のスーパー・ファイト・シリーズで打ち切られるんです。でも、エラリングはレギュラー中継打ち切り後の1981年4月ビッグ・チャレンジ・シリーズに初来日しているんです。その後間隔はだいぶ空きましたが、単発で深夜とかに2回ほど放映されていたんです。


ーーそうなんですね!


コブラさん エラリングが来日した次のシリーズがジプシー・ジョーが来日した6月のダイナマイト・シリーズで、これも長い間隔を経て1回単発放映されています。その後のビッグ・サマー・シリーズ終了後に、国際は崩壊しているんです。ジ・エンフォーサーが来日したシリーズですね。


ーー”火焔魔”ジ・エンフォーサーですね(笑)。女性マネジャー(バニー・キャロル)がいるんですよね。日本プロレス界で女性マネジャーを導入してのは国際が初じゃないですか。


コブラさん そうですね!バニーちゃんですよ。


ーー写真でジ・エンフォーサーを観ると「胡散臭い」ですよ(笑)。タダ者ではない雰囲気は漂っていますけどね(笑)。


コブラさん ハハハ(笑)。実はエンフォーサーは1981年1月に新日本に来日して、坂口征二の北米ヘビー級王座に挑戦して、5分くらいで負けていますよ。見た目は強そうなんですよ。


ーー見た目はスーパースターのようなムードがあるんですよ、エンフォーサーは(笑)。


コブラさん 片目のアイバッチとかはカッコイイですよね!


ーーそうですね!恐らくピラタ・モルガン(アイバッチがトレードマークで、「カリブの海賊」という異名を持つメキシコのルチャドール)よりも前からでしょうからね!


コブラさん ピラタ・モルガンよりも前ですよ。



コブラさんがリアルタイムで観た国際プロレスとは?



ーーちなみにコブラさんは国際が潰れた時はリアルタイムで観ていたんですよね。


コブラさん 自分が国際をリアルタイムで観たのは、レギュラー中継が終わった後の単発の中継だけなんですよ。


ーー私は国際が崩壊した1981年はまだ1歳なので、当然ながらリアルタイムでは観てないんです。だからリアルタイムで観ていた方による国際が崩壊した頃の話をお聞きしたいんです。


コブラさん 自分は国際という存在は知ってはいたけど、土曜夜8時のレギュラー中継は観てなくて、それもそのはすで、当時はTBSで「8時だョ! 全員集合」の全盛期で、その裏番組でプロレス中継をやっているなんて、夢にも思わなかったんです。


ーーあの時代の土曜夜8時はTBSの「8時だョ! 全員集合」とフジテレビの「オレたちひょうきん族」のイメージが強いですよね!


コブラさん そのような強力なライバル番組がいる時間帯に国際の中継が組まれている段階で局(東京12チャンネル)からすると、見放されているわけですよ。


ーー確かにそうですよね!


コブラさん 国際が潰れた頃、自分は小学校3年生でした。国際が潰れたんだなと分かったのは、ラッシャー木村の「こんばんは事件」ですよ。


ーーあの有名な(笑)。「こんばんは事件」は1981年9月23日、新日本・田園コロシアム大会に活動停止後も国際に残っていたラッシャー木村がアニマル浜口を連れて現れ、リング上で決意表明をして、冒頭に「こんばんは…」と丁重に挨拶をしてしまったんですよね。それが当時のファンを拍子抜けさせ、会場の失笑を買ったと言われている伝説の事件ですね!


コブラさん その後に団体対抗戦に突入して、アントニオ猪木とラッシャー木村がシングルマッチ(1981年10月8日新日本・蔵前国技館大会)で対戦したりして、「あっ、国際が潰れたから、木村は猪木と対戦するようになったんだな」と実感したんです。かたや全日本にはマイティ井上が上がっていて、ミル・マスカラスと闘っていて、「井上は国際と別れて全日本に行ったんだな」と。


ーー選手たちが新日本や全日本に散らばっているのを見て、「国際は解散したんだな」と感じたんですね。


コブラさん そうなんですよ。


ーー国際の終わり方は本当に寂しいですね…。北海道の羅臼で終焉を迎えたんですね(国際は1981年8月9日、北海道・羅臼町民グラウンド大会を持って活動停止となり、事実上最解散している)。


コブラさん 羅臼という土地もね…。哀愁があってね。


ーーある意味、国際らしい最後だなと思いますね。


コブラさん そうですよね。



ラッシャー木村「こんばんは事件」



ーーちなみにコブラさんは木村さんの「こんばんは事件」はリアルタイムで観てどのように感じましたか?


コブラさん 木村が堅気には見えない柄シャツを着ていて(笑)。


ーー反社の人みたいでしたよね(笑)。


コブラさん 正直、テレビで観ていて、あんまり木村の声が聞き取れなかったんですよ。「こんばんは」と言ったのもよく分からなくて、後からプロレスの本とかで「こんばんは」と面白おかしく書かれていて、「そんなこと言ったかな?」とピンとこなかったですね。


ーー木村さんはマイクで大きな声じゃなくて、ボソボソと言っているんですよね。


コブラさん そうです!「こんばんは、ラッシャー木村です」と言った感じで伝わっていますけど、あそこまで木村は言ってませんから。別に本人は笑かすつもりで言っていないし。


ーー確かにそうですよね!笑いのムードではなかったですね。あと「こんばんは事件」ではアニマル浜口が印象に残っています。


コブラさん そうですね!浜口の対抗戦の相手が、元国際で、新日本に移籍した剛竜馬で、リングサイドに剛がいたから挑発するんですよ。マイクを向けていたのが、テレビ朝日の保坂正紀アナウンサーで、浜さんが保坂さんがマイクを奪おうとするんですが、保坂さんがマイクを絶対に離さないんですよ。


ーー保坂さん、ずっと持っていましたね(笑)。


コブラさん 浜口がマイクを持って動くんだけど、保坂さんもついていくように離さないんですよ(笑)。あれは、保坂さんのプロ魂を見ましたね!あと個人的に面白かったのは、「こんばんは事件」の後に行われていた秩父の合宿ですね(笑)。


ーーありましたね!田園コロシアム大会の翌日に、埼玉県秩父市で合宿して、川原でトレーニングしたんですよね。写真で拝見すると、士道館空手の添野義二館長がいるじゃないですか(笑)。


コブラさん ハハハ(笑)。


ーー写真では国際ではこんなトレーニングしていたというのは分かるんですけど、映像がなくて、トレーニング内容が気になるんですよ。トレーニングの写真からすると、国際は割と格闘技色が強かったそうですね。


コブラさん ビクトル古賀にサンボを習っていますからね。


ーー国際は木村さんを筆頭にサンボの整地であるスポーツ会館でトレーニングして、サンボを教わっているんですよね。サンボに関しては国際はUWFよりも早く取り入れているんですね。


コブラさん そうですね。アキレス腱固めとかもやってたらしいですよ。


ーー木村さんはサンボ特訓で回転4の字固めとかグラウンドのオリジナルテクニックを取得したようですね。


コブラさん 確か、風車吊り(相手を自身の両大腿の上に固定してからのリバーㇲ・フルネルソン)という技もありましたね。サンボ特訓で会得した技かどうかは知りませんけど(笑)。


ーー風車吊りは今の時代で誰も使わないですね!確か、「ジャパニーズ・ルチャ・リブレ」の元祖・ユニバーサルだったと思うんですが、この技を使っている選手がいましたよ。


コブラさん 風車吊りはメキシカンストレッチみたいですよね。


ーージャベ(ルチャ・リブレの複合関節技)ですよね。


コブラさん 確かにそうですね、


 

ーーちなみに写真を見ると、秩父の合宿では自然石に頭をぶつけて鍛えるトレーニングがあるんですよ(笑)。


コブラさん ハハハ(笑)。それはマスコミ用ですよね(笑)。


ーー最後は宴会で合宿は締めくくっているんですよ(笑)。そこで絆が深まって、新日本との対抗戦に挑むんですよ(笑)。


コブラさん ハハハ(笑)。



テーマ曲はトレンドを導入するが、試合や選手に関しては…。



ーー他に国際のテーマ曲において「なんでこの選手にこのテーマ曲なんだ!?」というチョイスがあったり、ミスマッチだったり、謎多い選曲とかありますか?


コブラさん ちょっと面白いなと思うのは、藤原喜明のテーマ曲で有名な「ワルキューレの騎行」(リヒャルト・ワーグナー)が、藤原よりも前に国際で使われていたということですね。


ーーこれは1980年3月31日の後楽園ホール大会で行われた4大タイトルマッチの入場式で流れたんですね。


コブラさん そうですね、ルー・テーズとかニック・ボックウィンクル、大木金太郎といった面々が入場式で登場した時に流れたんです。実は「地獄の黙示録」という映画がヒットしたことによって選曲されたと思われます。こういうところも流行を取り入れているんですよね、国際のテーマ曲は。



ーー国際って凄いなと思うのは、テーマ曲とかはトレンドを取り入れているんですけど、肝心の選手や試合がトレンドを取り入れていないんですよね(笑)。逆にそれがアンバランスでいいなと思うんですよ。


コブラさん そうなんですよ!だから選手がトレンドを取り入れない分、東京12チャンネルが頑張らないといけないという風になるわけですよ。



歴史に一石を投じた流智美さんの「東京12チャンネル時代の国際プロレス」




ーー当時の新日本や全日本で若手や中堅で将来スター候補になれそうなレスラーを1名でも入れていたら、歴史が変わって、色々と違った展開になったんでしょうね。国際は基本的に地味な方が多いですからね。


コブラさん 流智美さんの本(東京12チャンネル時代の国際プロレス)にも書かれているんですが、東京12チャンネルのチーフディレクターである田中元和さんと吉原功代表が合わなかったんですよ。


ーー実際に流さんの本を読んで、そう思いましたね。


 

 


コブラさん 吉原さんがそこでテレビ局と相談して、色々な演出を取り入れたりすればよかったんですけど…。派手な演出はテレビ局に任せっきりだったんですから。


ーー丸投げでしたね。


コブラさん 吉原さんは「レスラーの実力があれば大丈夫だ」という考えですからね。


ーー吉原さんからすると、テレビの放映枠と契約金がもらえたらそれでいいということですよね。


コブラさん そうなんですよ。


ーー流さんの本を読んでいて、田中さんは「ワールド・チャンピオン・カーニバル」という企画を立案されているんですね。これ、読むと面白くて、きちんと予算が書かれているんですよ。


コブラさん そうですね!


ーーこんなメモ、見たことないですよ!製作費という項目で、「選手招聘=5000万円。中継製作費=1000万円。選手交渉予備費=150万円 合計 6150万円」と書かれているんですよ!流さん、手に入れた時はビビったでしょうね!


コブラさん 凄いでしょ(笑) 実は自慢するわけじゃないんですけど、プロレス業界で田中メモを見たのは、流さんに続いて、俺が二人目だったんです(笑)。


ーーえええ!そうだったんですか!


コブラさん  流さんが「こんなのがあるんだよ」と見せてくれて、「これ、ヤバくないですか(笑)」と言っちゃいましたよ。それが本が出る何年か前だったんで、後に流さんから「これ、本にするから」と言われて、「これ、発表しちゃうんですか!田中さんに許可はもらったんですか」と聞くと、「それは大丈夫」と。


ーーこれ、内部資料の中でも内部資料じゃないですか(笑)。番組の予算も載せているし、国際批判もしているし。


コブラさん そもそも田中さんが残しているのが凄いですよね。


ーー本を読むと田中さん、めっちゃ愚痴ってますよね(笑)。


コブラさん そうなんですよ!「なんで吉原は分かってくれないんだ!」という思いがこもっていましたね(笑)。


ーー国際の話になると、プロレスライターの菊池孝さん絡みが多いじゃないですか。それを読むと吉原さんを称賛されている印象があったんですけど、団体を潰してしまったけど、やってきたことは評価するという見方がメインだったと思うんです。それを現実的に戻してくれたのが流さんの本なのかなと思いますね。


コブラさん 本当にそうです!今までの国際の本はとにかく吉原さんを称賛するだけのものが多かったので、一石を投じる本になったと思いますね。現実はこうだよと伝えた功績はありますね。


ーー「東京12チャンネルで個々のレスラーと専属契約を結ぶ段階が来たとしても、グレート草津は除外するしかない」とか「ラッシャー木村は吉原社長のモルモットであるという認識を強く持っています」とか。FBIの報告書かと思いましたよ(笑)。


コブラさん ハハハ(笑)。草津という人は営業成績がいい人だから吉原さんからすると切れないけど、テレビ局からすると「なんでこんなヤツを買っているんだ」となるんでしょうね。


ーー草津さんってあんまりいい評判を聞きませんよね。


コブラさん 草津のことを悪く言わないのは浜口だけですね。


ーー浜口さんって凄いですね。人の悪口を言わないし、馬場さんと猪木さんのBI砲から絶賛された数少ないレスラーなんですよね。


コブラさん そうですよ。猪木は若手に「浜口を見習って練習をしろ」と言ったそうですし。逆にめちゃくちゃ草津の事を言っているのはマイティ井上さんですね(笑)。


ーーそれはもう分かります(笑)。


コブラさん でも井上さんはプロレスの裏の部分は絶対に言わないんですよ。今、レジェンドレスラーでも「プロレスはエンターテインメント」だと知れ渡るようになってから、結構平気で色々と言うじゃないですか。暴露みたいなことを。


ーーそこは評価できますね。そもそも、明かさなくていいですよ、プロレスの裏側は。


コブラさん そんなの聞かなくてもプロレスファンなら分かるじゃないですか。


ーーそこは「ご想像にお任せします」くらいでいいと思うんですよ。だからマイティさんのスタンスは素晴らしいと思います。それを明かしてしまった人ほど、プロレス業界から離れていくんですよね。


コブラさん そうなんですよ。


ーー国際は崩壊してから今年(2021年)で40年なんですね。それでもコブラさん絡みでいうと「昭和プロレス復活祭」といったイベントで国際は語り継がれていますよね。やっぱり、国際は凄いと思います。


コブラさん 未だに語れるところがあるんですよ、国際は。


ーー先日、国際の選手たちのテーマ曲を延々とかけるDJ動画を見ましたけど、最高でしたーーよ!


コブラさん ああ、ビル今亭さんですね。











ーー今も楽しめるほどのコンテンツを提供したんですよね、あの頃も国際は。


コブラさん そうですよね!



コブラさんが選ぶ国際テーマ曲ベスト3とは?



ーー対談も終盤になってきました。ここで、コブラさんが選ぶ、国際テーマ曲ベスト3をお聞かせください。試合や大会のBGMでも大丈夫です。


コブラさん 順位はつけませんが3つ選ぶとするならば、阿修羅・原「阿修羅」とラッシャー木村「REBIRTH OF THE BEAT」、IWA世界タッグのテーマ曲(キキ・ディーの「歌は恋人」をサンディ・ネルソンがインストカバーした一曲)ですね。


ーーIWA世界タッグのテーマ曲!!なかなか曲名が分からないと長年、言われていたものですね。ちなみにどういった経緯でこの曲にたどり着いたんですか?


コブラさん ラッシャー木村のテーマ「REBIRTH OF THE BEAT」が会場では編集されてるんですが、それは果たして本当に編集されているのか、それとも元々このような音源で、サンディ・ネルソンのアルバムに収録されているのかと、別のアルバムを聴いて調査をしようとしたわけですよ。自分はテーマ曲を探すときに、例えばプロレステーマ曲に使用歴のあるサンディ・ネルソンだったら、彼のアルバムを聴くという作業もするんですよ。それで調べるとサンディ・ネルソンのアルバムを調べつくしていないことに気がつきまして、国会図書館で聴いたらまだ調べていないネルソンのアルバムの中にIWA世界タッグのテーマ曲を見つけたんです。


ーー「忘れじの国際プロレス」の時は、不明になっていたんですけど、いつぐらいに見つかったんですか?


コブラさん 「忘れじの国際プロレス」は2014年に発売されたので、その2~3年後くらいですね。実際に見つけた時は嬉しかったですけど、「忘れじの国際プロレス」までには間に合わなかったので、悔しかったですね。IWA世界タッグのテーマ曲はフリーアナウンサーの清野茂樹さんとか、色々な方に調査を協力してもらっても見つからなかったんですよ。本当に灯台下暗しで、自分が最初にちゃんとサンディ・ネルソンのアルバムをくまなくチェックしてれば・・・と思うと悔しいし、申し訳ないです。


ーー今の話を聴くと、テーマ曲探しは考古学の世界ですね。


コブラさん そうなんですよ!発掘ですよ。吉村作治かと(笑)。実はこうだったという部分も調べていくと見つかったりするんですよ。


ーーもしかしたらテーマ曲の世界でも色々と調べていくと「元々はこのように言われていたけど、実はこうだった」と定説が覆るかもしれないですね。


コブラさん そうですね。研究によっては。


ーー今回、「テーマ曲から考える国際プロレス論」と題して対談を進めてきましたが、コブラさんが考える国際が残したテーマ曲史における功績とは何だと思いますか?


コブラさん 国際がテーマ曲を使わなかったら、どうなっていたのか分からないわけで。国際でテーマ曲が使われてなかったら、日本テレビの梅垣進さんがミル・マスカラスに「スカイハイ」を与えるというアイデアを思いつけたかどうかは疑問なんですよ。テーマ曲をプロレス界にもたらした存在ですよね、国際は。


ーーコブラさんのようなテーマ曲マニアを生んだのはある意味、国際ということですよね?


コブラさん まさにそうですね!テーマ曲に関しては国際と東京12チャンネルの功績は大きいですね。


ーーやっぱり、前回の対談でも語られましたが、客観的視点をテーマ曲を選ぶテレビ屋の存在が凄かったんですよね。国際も東京12チャンネルもメジャーではない、インディーであり、マイナーで、関係性が似てました。だからこそアイデアでメジャーに対抗しようとしたんですよね。


コブラさん そうですね。国際に関しては資料は少ないですけど、研究は続けていますので、また新しい情報があればご報告させていただきます。


ーー対談は以上となります。コブラさん、ありがとうございました。


コブラさん  ありがとうございました。




国際は時代の魁となって散っていった…。


ここに一本の動画がある。





1981年8月9日に国際プロレスが終焉を迎えた最果ての地・北海道羅臼に、YouTubeで国際プロレスの数々の動画を提供する投稿主であるJSさんが、実際に羅臼町民グラウンドを訪れた動画である。


JSさんがアップした動画にこのような説明文がある。


「2021年8月8日及び9日、国際プロレスが1981年8月9日に最後の興行を行った終焉の地、北海道目梨郡羅臼町『羅臼小学校グラウンド(当時の発表は「羅臼町民グランド」)』を訪問いたしました。小学生の頃からいつかは訪れたいと思い続け、ようやく実現しました。これで人生終わるまでにやり遂げたい事が一つ叶いました」


そして、中盤に動画にはこんなテロップが流れる。


「ただ国際プロレスが崩壊するのを見送ることしかできなかったあの時から40年。ようやく私はこの場所に立つことができた。それだけでいい。感無量だ…」


私はこの動画に感動していた。

やはり国際とはプロレスファンにとっての"魂のふるさと"なのだと…。


崩壊から40年、JSさんのようなオールド・ファンの心にしっかりと生き続けている国際プロレス。

ベースボール・マガジン社から発売された「忘れじの国際プロレス」のカバーには「荒ぶる男たちの国際魂」という文字が踊っている。


思えば、国際に登場するレスラーには哀愁と共に野生、荒々しいという単語がよく似合ってた。そんな男たちを鼓舞する協奏曲という役割を果たしたのがテーマ曲だった。


日本プロレス界にあらゆる前例を作り、先駆者となった国際は、テーマ曲においてもあらゆる事例を生み出したパイオニアだったことがコブラさんとの対談で判明する。

まさに日本プロレス界におけるテーマ曲の歴史は国際がなければ成立していない。


吉原功代表と親交が深く、国際プロレスアワーの解説を務めたプロレスライターの菊池孝さん(2012年に逝去)は生前、「実録・国際プロレス」(辰巳出版)のインタビューで、国際について「時代の魁となって散っていった団体」と評している。


 

 


傷つき打ちのめされても、時代の流行に背を向けても懸命に闘い続ける男たちがいた。

そんな男たちの闘いを「メジャーに負けない」ためにあらゆるアイデアで立ち向かおうとした男たちがいた。


選手やスタッフ、テレビ屋、マスコミ、ファン…。

さまざまな違いがあってもみんな、国際という不思議な運動体で熱く繋がっていた。

そんな気骨溢れた荒ぶる男たちの国際魂は時代の魁となった。

これからも彼らの伝説は世代や時代が変わっても語り継がれていくことだろう。

(テーマ曲から考える国際プロレス論・完/第4回終了)