テーマ曲から考える国際プロレス論「第3回 阿修羅と闘将」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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   テーマ曲から考える国際プロレス論

 

 

昭和プロレステーマ曲研究家・コブラ✕プロレス考察家・ジャスト日本のテーマ曲対談第2弾

「第3回 阿修羅と闘将
 
 
 
 
 
 

 

 

 

時代が早過ぎた国際プロレス

 

 

 

 


 2014年にベースボール・マガジン社から発売されたムック本「忘れじの国際プロレス」の中で、プロレスライターの流智美さんは、プロローグで次のような文章を綴っている。

「あらゆる側面で『パイオニア』という称賛を受けた国プロ(国際プロレス)だったが、団体崩壊後は『アイデアは素晴らしかったが、万事やるには時代が早過ぎた』という評価に代わってしまった感がある」

 確かに国際プロレスはさまざまな革新的なアイデアを用いて、日本プロレス界に大きな功績を残したが、団体が崩壊してしまった以上は「時代が早過ぎた」という評価になってしまうのが、現実である。

 

 その一方で流さんには「国際は三番手でいい。三番手だから国際なんです」「本当に素晴らしいもの、大事なものは、世の中ではマイナー視されるものなんだ」という根拠なき信念があったという。

 ならば、私は日本プロレス界のパイオニアだった国際の”時代が早過ぎた”功績を後世に伝えていきたいと思うのだ。確かに国際はメジャーではなく、マイナーなのかもしれない。だが、マイナーにはメジャーにも負けないマイナーなりの意地がある。

 

 国際がプロレス界に残してきた数々の伝説を多くの皆さんに伝承できればという思いで始めたのが、昭和プロレステーマ研究家・コブラさんをお招きして対談企画「テーマ曲から考える国際プロレス論」である。

 

 第1回 「世界のバイキング料理・魂のふるさと」 




第2回 「プロレス界の裏街道とテレビ界の番外地」 



 

 

 3回目は”伝説のテーマ曲”となった阿修羅・原「阿修羅」秘話、国際プロレスのエースとして活躍した”闘将”ラッシャー木村のテーマ曲史についてコブラさんと語りました。

 

 

 

伝説のテーマ曲「阿修羅」とキングレコードの野望

 

 

ーーここからは”伝説のテーマ曲”阿修羅・原さんの「阿修羅」(ミノタウロス)についてお聞きします。この曲は一度聴いたら忘れられないインパクト抜群のテーマ曲だと思うんです。以前、INTER FM「国際プロレス・テーマ曲名曲セレクション」という番組があって、そこでも「阿修羅」がかかったんですよね?

 

 コブラさん そうですね。確か清野茂樹さんが司会で、流さんがゲストで出ていた番組ですよね。テーマ曲ランキングをやって「阿修羅」が1位だったんですよ。

 

ーーさすが”伝説のテーマ曲ですね!この「阿修羅」を作ったミノタウロスについて教えてください。

 

コブラさん 淡海悟郎(おうみごろう)さんというミュージションが率いているバンドです。淡海さんは結構色々なテレビ番組や映画のサントラを担当されているスタジオミュージションの大物なんです。

 

ーーちなみにミノタウロスが国際のテーマ曲で関わったのは「阿修羅」だけだったんですか?

 

コブラさん  そうですね。あと国際で選手のために作られたオリジナルテーマ曲は「阿修羅」だけなんです。そして「阿修羅」を出したキングレコードというのが当時、新日本、全日本、国際に手を出していまして、テーマ曲の全団体制覇を目論んでいたんですよ(笑)。

 

ーーえええ!!それは面白いですね(笑)

 

コブラさん ちなみに新日本の坂口征二のテーマ曲「燃えよ荒鷲」もミノタウロスが手掛けているんです。楽器やメロディもなんか「阿修羅」に似たような気がしますね。

 

ーー確かに似てますね。和風の音楽と勇ましい感じが共通してますね。

 

コブラさん そうなんですよ。全日本ではジャイアント馬場のテーマ曲で「チャンピオン」という曲を出しているんですが、これは淡海悟郎もミノタウロスも全く関係ない別のミュージシャンが手掛けています。

 

ーーそうなんですか!これは「王者の魂」よりも前のテーマ曲ということなんですか?

 

コブラさん 全然、前ですね。この曲は(馬場に)合っていなくて(笑)、そのせいかどうかは分かりませんが会場では使われていないんです。それでテーマ曲の三団体制覇を目論んだキングレコードだったんですが、結局全日本とはダメになったし国際も潰れたし、最終的に新日本とだけ繋がったわけです。

 

 

阿修羅・原は「阿修羅」が好きじゃなかった!?

 

 

ーー確か原さんは、全日本を移籍してから別のテーマ曲を使っていた時期がありましたよね。

 

コブラさん ありましたね。

 

ーー天龍同盟の時代だったでしょうか?「DREAMS」(ヴァン・ヘイレン)という曲だったと思います。

 

コブラさん そうですね。実は阿修羅・原本人が「阿修羅」というテーマ曲が好きじゃなかったんですよ(笑)。

 

ーー阿修羅・原が「阿修羅」が嫌だったんですか(笑)

 

コブラさん 聴いている分にはいいけど、本人からするとその気持ちは分からんでもないですね。変えるタイミングを伺っていたんでしょうね。1988年に「DREAMS」に変えたんです。

 

ーー原さんが全日本から解雇される年ですね。ちなみに「DREAMS」はいい曲なんですよね。

 

コブラさん そうですね。天龍同盟時代とSWSで復帰してからも「DREAMS」を使っいます。

 

ーーSWSの東京ドーム大会(1991年12月12日/阿修羅・原&デイビーボーイ・スミスVS谷津嘉章&キング・ハク)であの曲が流れたんですよ。ドラマティックでかっこよかったですよ。

 

コブラさん WARで原さんの引退試合を行った時も「DREAMS」が流れているんですよ。原さんが試合前にシンポジウムを開催して、トークショーをやったんです。それでWARのスタッフは入場テーマ曲として「阿修羅」を流したんです(笑)。

 

ーー本人はどう思ったんでしょうね(笑)。

 

コブラさん 本人には申し訳ないなど、「阿修羅」を流したいというスタッフの気持ちは分かりますね。試合では「DREAMS」をかけるんだから。「ここだけは『阿修羅』で勘弁してくれ」というスタッフの心の叫びが聞こえてくるようで。

 

ーー分かりますね…。

 

コブラさん 「原さんにも申し訳ないけど、その気持ちは分かるよ」と思いますね。

 

ーー全日本で一匹狼として闘っていた時代もテーマ曲は「阿修羅」だったんですよね。

 

コブラさん ヒットマンの頃ですよね。その時はよくテレビ中継でかかっていましたね。あと新日本で藤波辰巳と闘った試合(1980年4月3日・蔵前国技館/WWFジュニアヘビー級選手権試合)でも「阿修羅」はかかっていますね。だから昭和時代に新日本、全日本、国際の三団体でかかった数少ないテーマ曲なんですよ、「阿修羅」は。

 

ーーそう考えると「阿修羅」は歴史に残るテーマ曲なんですね。キングレコードみたいなことをしたわけですね(笑)。

 

コブラさん ハハハ(笑)。まさにそうなんですよ!

 

 

 

紆余曲折!?”闘将”ラッシャー木村のテーマ曲史

 

 

 

ーー次ですが、国際のエースと言えば、ラッシャー木村。木村さんのテーマ曲の歴史についてコブラさんに語っていただきたいんですよ。

 

コブラさん まず木村さんに使われたテーマ曲は1978年の「スカイダイバー」(ダニエル・ブーン)ですね。

 

ーーこの曲はどういった経緯で選ばれたのですか?

 

コブラさん 1974年にスーパースター・ビリー・グラハムに「ジーサス・クライスト・スーパースター」(101ストリングス・オーケストラ)をテーマ曲として流した後は、単なるBGMだけという時代が何年もあって、1977年にミル・マスカラスのテーマ曲として「スカイハイ」(ジグソー)がヒットして、それに慌てて国際はワイルド・アンガスに「BLACK WIDOW」(ラロ・シフリン)というテーマ曲を与えた。そこからさらに国際はサボってしまうんです(笑)。

 

ーーえええ!そこから一気に国際の選手にテーマ曲を与える流れにはならないんですね。

 

コブラさん またサボっちゃおうんですよ(笑)。全然、曲を決めなくて。それで1978年のビッグ・サマー・シリーズでやっとエースの木村と、後に阿修羅・原となる原進にテーマ曲を与えたんです。

 

ーー原さんのテーマ曲というのは「愛の花束」(バリー・ホワイトとラヴ・アンリミテッド・オーケストラ)ですね。この曲はどんな曲なんですか?

 

コブラさん 凄く爽やかな美しい男女の愛を描いた曲で、まさに「愛の花束」というタイトル通りなんですよ(笑)。

 

ーー原さんはこの曲についてどう思われていたんでしょうか?

 

コブラさん これは気に入っていたらしいですよ。「愛の花束」は当時の原の奥さんが選んだ曲ですよ。

 

ーーすごいですね!原さんの奥さんが選んだテーマ曲だったんですね!原進だったら、この曲はよかったのかもしれないですね。

 

コブラさん そうなんですよ。原進が海外に行って帰ってきてからも「愛の花束」は使われる予定だったんですけど、「阿修羅・原」というリングネームに改名して、テーマ曲も新しく作られることになったんです。

 

ーー今の話を聞くと引退セレモニーとかで「愛の花束」をかけてほしかったですね。

 

コブラさん そうですね。休憩中とかに流れたりとか。

 

“最もミスマッチなテーマ曲!?”ラッシャー木村「スカイダイバー」

 

ーーそれで原さんと木村さんにテーマ曲が与えられたわけですが、木村さんの「スカイダイバー」について語っていただけますか?

 

コブラさん 木村の「スカイダイバー」はテーマ曲マニアでは「最もミスマッチ曲」として必ず挙がる曲なんです。明るく能天気な曲調で、全然、似合わないんですよ(笑)。

 

ーー確かにそうですよね(笑)。

 

コブラさん この曲を選んだ東京12チャンネルの中継ディレクターだった田中元和さんによると「ラッシャー木村に早く動いてほしい」という思いがあったようなんです。木村はドンくさいんですよ、馬場や猪木と比べると。流さんの本(東京12チャンネル時代の国際プロレス)とか読むと、田中さんは国際には馬場や猪木はいないので非常に危機感を抱いていたんですよね。

 

ーーこの本は読ませていただきましたけど、田中さんの危機感はめちゃくちゃ伝わりました。


 

 

 

コブラさん とにかくラッシャー木村をなんとかするしかないわけですよ。その思いが暴走したんでしょうね。

 

ーー暴走したんですか、田中さんが(笑)。吉原功代表の意向では、国際は正統派のエースとしてストロング小林さん、ラフファイトのエースとしてラッシャー木村さんの二枚看板で売り出すと考えていたんですけど、1974年に小林さんが退団したことにより、その構想が崩れたんですよ。その構想通りにいけば小林さんにもテーマ曲がついたかもしれないですね。

 

コブラさん そうですね。ストロング小林に国際はどのようなテーマ曲をあたえたんでしょうね。

 

ーー気になりますね。

 

コブラさん ちなみにストロング小林が西ドイツのハノーバーに遠征した時は坂本九さんの「上を向いて歩こう」が流れたんですよ(笑)。

 

ーー「SUKIYAKI」(海外でも「上を向いて歩こう」の曲名)ですか(笑)。

 

コブラさん そうなんです!日本じゃありえないですね。

 

ーーありえないですね。「上を向いて歩こう」がテーマ曲に向いているかと言われると疑問ですからね。

 

コブラさん 現地の人からすると日本の曲と言えば「SUKIYAKI」だったんでしょうね。


 

テーマ曲には選手を変える効果がある

 

 

ーーちなみに「忘れじの国際プロレス」でコブラさんは「ラッシャー木村の『スカイダイバー』は田上明の『Eclipse(エクリプス)』(イングヴェイ・マルムスティーン)と並ぶミスマッチなテーマ曲」と評していましたね(笑)。

 

コブラさん そうですね! 田上の曲はかっこよすぎるんですよ(笑)。

 

ーー田上さんって「Eclipse」から別のテーマ曲に変えていたことがありましたよね。

 

コブラさん 確か鈴木修さんが手掛けた「THRUSTER(スラスター)」ですね。

 

ーー僕は長年、「Eclipse」の田上さんを見ていたので、「THRUSTER」はあまりしっくりこなかったんですよ。だからずっとミスマッチなテーマ曲と共に過ごしてきた方なんでしょうね。田上さんは。

 

コブラさん そうですね。ただ俺は意外と合ってたなと思うのは鈴木修さんが手掛けた「THRUSTER」なんじゃないかなと思います。田上はかっこよすぎる「Eclipse」に後押しされて成長して、今の田上があるという感じがするんです。

 

ーー「Eclipse」の前に使っていた「Runner」(爆風スランプ)だと、どうしても若手、チャレンジャーという感覚が抜けなかったですよね、田上さんは。

 

コブラさん 「Runner」の頃の田上は「遅い、ドンくさい」感じがありましたよね。やっぱりテーマ曲は選手を変える力もあると思いますね。

 

ーーありますね。

 

コブラさん 田上の「Eclipse」って選手を変える効果があったんじゃないかなと思います。

 

ーーレスラーとしての格をワンランク上げてくれたんですね。

 

コブラさん そうですね。

 

ーー木村さんの「スカイダイバー」はそういうことにはならなかったんですか?

 

コブラさん そこまでにはならなかったですね。だからせっかく「スカイダイバー」を選んだのにほとんど使っていないんですよ。

 

 

「夢のオールスター戦」で因縁の木村VS小林が実現!されどテーマ曲で流れたのは…。

 

 

ーーちなみに1979年8月26日の日本武道館で行われた「夢のオールスター戦」でのラッシャー木村VSストロング小林との因縁のシングルマッチで、「スカイダイバー」が流れたそうですね。

 

コブラさん 実はその頃になると東京12チャンネルも「スカイダイバー」を見切っているんですよ(笑)。でも木村のテーマ曲として「スカイダイバー」が有名になったので、「夢のオールスター戦」のスタッフが勝手に流しちゃったんですよね。

 

ーー木村さんと小林さんの対決は色々と因縁があるじゃないですか。小林さんが国際を辞めた件もあって。それこそ、この場面で明るく陽気な「スカイダイバー」をかけるなんて不釣り合いじゃないですか(笑)。

 

コブラさん そうですよ(笑)。東京12チャンネルが「夢のオールスター戦」の音響に関わっていないと思うんです。国際で使われていた「スカイダイバー」はイントロを短くして編集されているんです。でも、「夢のオールスター戦」の小林戦で流れた「スカイダイバー」はレコードの音源をそのまま流しているんですよ。だから東京12チャンネルが持ってきたものじゃないんです。恐らく「夢のオールスター戦」では日本テレビかテレビ朝日が一手に引き受けてテーマ曲を流していたのではないでしょうか。テレビのクルーがテレビ朝日の方が多かったので、テレビ朝日かもしれないですね。

 

ーーあの試合は木村さんがリングアウト勝ちという結末だったんですよね。ピンフォールやギブアップで勝っていないというのが、後の国際に繋がったと言われていますね。(国際は木村VS小林から2年後の1981年に崩壊)

 

コブラさん まぁ、そこでスッキリ勝たせてもらえないというのが国際と吉原さんの力不足ですよね。

 

ーーそれは間違いないですね。

 

コブラさん 国際の選手が絡んだシングルマッチを「夢のオールスター戦」のセミファイナルにもってこれたというだけで吉原さんは安心しちゃったんでしょうね。

 

ーーそれは間違いないですね。ジャンボ鶴田&藤波辰巳&ミル・マスカラスにより夢のトリオが実現した6人タッグの後だったんですよね、木村VS小林は。華やか試合の後に木村VS小林はなかなかシュールですね。

 

コブラさん そうなんですよ!ただそれは興行としてメリハリがあっていいと思います。そういう武骨な男たちの闘いを望んでいるお客さんもいたでしょうから。

 

ーー国際で実現した木村VS小林はDVDで観たことあったんです。本当にいい試合で、重厚だったんです。レスリングの基本は外さないですからね(1973年7月9日・大阪府立体育会館でIWA世界ヘビー級王座をかけて二人は一騎打ち。2-1で当時王者だった小林が勝利)

 

コブラさん そうですね。

 

ーーそれで実況を聞くと「ラッシャー木村、本名は木村政雄」「ストロング小林。本名は小林省三」って言っちゃうんですね(笑)。

 

コブラさん ハハハ(笑)。かつて「ワールドプロレスリング」で解説のマサ斎藤がペガサス・キッド(ワイルド・ペガサス/クリス・べノワ)の本名を言っちゃったとか(笑)。

 

ーーマサさんは2代目ブラック・タイガーに「エディ」って言ってましたね(笑)。

(2代目ブラック・タイガーの正体はエディ・ゲレロ)元々マスクマンだったペガサス・キッドですが、素顔でペガサス・キッドやワイルド・ペガサスとして活動していたので、本名をばらすのはまだいいですけど、エディはダメですよ(笑)。

 

コブラさん ハハハ(笑)


 

ーーではラッシャー木村さんのテーマ曲史に戻しますが、「スカイダイバー」の後にテーマ曲として使われてたのが「2001年宇宙の旅」のサントラである「ツァラトゥストラはかく語りき」(リック・フレアーやボブ・サップのテーマ曲として有名)ということなんですか?

 

コブラさん これはデオダートというフュージョンのアーティストがアレンジしているバージョンなので、映画版じゃないです。これが1979年10月5日・後楽園ホール大会でのニック・ボックウィンクルとのWA&AWA世界ヘビー級ダブルタイトル戦と1980年3月31日・後楽園ホール大会でのジョニー・パワーズとのIWA世界ヘビー級戦の2試合で使われているんです。ビッグマッチ限定で流れていて、こういうケースも国際が初めてです。

 

ーーなるほど!確かにレスラーでビッグマッチだけテーマ曲を変える方がいますね。その前例となったんですね。

 

コブラさん 橋本真也の「爆勝宣言」にビッグマッチになると前奏がつくとか。だからラッシャー木村の「ツァラトゥストラはかく語りき」(デオタート)はビッグマッチ限定テーマ曲の元祖なのですが、「スカイダイバー」をなるべく使いたくないから、そういう曲をでっち上げたという見方もできますね。

 

 

“ようやくたどり着いた名テーマ曲”ラッシャー木村「REBIRTH OF THE BEAT」

 

 

ーーよほどラッシャー木村の「スカイダイバー」は黒歴史だったんでしょうかね。

 

コブラさん それで1979年11月13日・新潟三条市厚生福祉会館でのバーン・ガニアとのIWA世界ヘビー級戦で、初めて「REBIRTH OF THE BEAT(リバース・オブ・ザ・ビート)」が使われるんです。

 

ーーこの曲はいい曲ですよね!

 

コブラさん そうなんですよ!これでやっとラッシャー木村のテーマ曲が定着するんです。

 

ーーようやくたどり着いたんですね。確か「REBIRTH OF THE BEAT」は新日本や全日本でも使われていましたよね。

 

コブラさん そうですね。「REBIRTH OF THE BEAT」って何が凄いのかって、国際から、新日本と全日本と使われたテーマ曲ですが、国際でのラッシャー木村、新日本のラッシャー木村、全日本のラッシャー木村って団体によってキャラが違うんですよ。

 

ーー確かに違いますね。

 

コブラさん 国際では団体のエース、金網デスマッチの鬼。新日本でははぐれ国際軍団の大ヒール。全日本では明るく楽しいプロレスを展開して、馬場の義兄弟と。そのまったく違うキャラクターに全部同じテーマ曲が流れているんです。それでも「REBIRTH OF THE BEAT」はどのキャラでも合うんですよ。凄くないですか?

 

ーー同感ですね。団体やキャラが変わっても木村さんには哀愁があるんですよね。

 

コブラさん そうなんです。哀愁がある曲なんですよ。木村がどういうキャラをやっても最後は哀愁を感じてしまうんです。

 

ーーベビーフェースになってもヒールになっても、その哀愁という部分では木村さんはズレていないんですよね。

 

コブラさん だから「REBIRTH OF THE BEAT」は凄いテーマ曲なんです。

 

ーーよかったですね。木村さんにちゃんとマッチしたテーマ曲が見つかって。

 

コブラさん 本当によかったですよ。それだけにノアで変わったのは残念ですね。(2000年、全日本からプロレスリング・ノアに移籍した木村はテーマ曲を「江戸の旋風 メインテーマ」⦅服部克久⦆に変えている)

 

ーーノアは旗揚げしてからテーマ曲を変えた選手が多かったですね。

 

コブラさん そうなんですよ!ノアは全日本時代のイメージを変えたいという意気込みだったんでしょうね。テーマ曲に関してはそれは違うだろと思うんですよ。

 

ーー変えなくてもよかった気がしますね。小川良成選手はノア旗揚げに参加してからテーマ曲を変えたんですよね。

 

コブラさん 変わりましたね。

 

ーー個人的にはノア時代の「Scum Of The Earth」(ロブ・ゾンビ)よりも全日本時代の「Never Give Me Up」(小川美由希)の方が好きですね。爽やかな曲調が好きなんですよ。

 

コブラさん あの曲(「Never Give Me Up」)を嫌いな人はいないですよ。

 

ーーなんかあの曲、テンポが良くていいんですよ。

 

コブラさん 会場が温まるんですよ。三沢とのアンタッチャブルを組む前は、前半戦に出る機会が多くて、第3試合、第4試合に流れていたんですよ。

 

ーー手拍子したくなるんですよ。爽やかな曲調なのに小川選手が試合でやっていることは地味でドきついんですよね(笑)。そのアンバランスさがたまらないんです!

 

コブラさん そうなんですよ。この曲はあんまりドきつい試合をしていない頃に選ばれているんです。

 

ーー小川選手がアブドーラ・ザ・ブッチャーにシングルマッチで大流血させられていた頃なんでしょうね。そう考えると自分のキャラクターに合ったテーマ曲に出逢えるのか。出逢えないのかというのは大きいような気がしました。

 

コブラさん そうですね。ちなみに「Never Give Me Up」は小川美由希という歌手の曲で、テーマ曲としてはそのボーカルをカットしてインスト風に仕上げているんです。

 

ーーあれは名曲ですね。

(第3回終了)

 

そして、コブラさんとの対談企画「テーマ曲から考える国際プロレス論」は次回が最終回。国際で使われたレアテーマ曲、印象に残る国際のテーマ曲、コブラさんが選ぶ国際テーマ曲ベスト3について熱く語ります!お楽しみに!  

 


ちなみにこの対談で取り上げた小川良成選手の全日本時代のテーマ曲はこちらのアルバムに収録されております。