プロレステーマ曲解体新書「第3回 郷愁の国際と思い出のテーマ曲」 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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今回も引き続き、昭和プロレステーマ曲研究家・コブラさんと「プロレステーマ曲」をテーマにした対談「プロレステーマ曲解体新書」をレポートします。
 

 

 

 

一回目は「プロレステーマ曲の起源と歴史」について語りました。

 

プロレステーマ曲解体新書 「第2回 新日本・全日本のテーマ曲史」 

 

 

 

 
二回目は「新日本プロレス・全日本プロレスのテーマ曲史」について語りました。
 
三回目となる今回は「国際プロレスのテーマ曲史と思い出のテーマ曲」です。
 
国際プロレスといえば、日本プロレス界のあらゆる事象の元祖。レスラーとの契約書の作成、巡業バスの導入、日本人マスクマンデビュー、日本人同士の世界タイトルマッチ、金網デスマッチ、外国人留学生の受け入れ、日本初の選手テーマ曲の導入…今の日本プロレス界の基盤となるケースを次々と手掛けたパイオニアでした。
 
 
 
「国際プロレスはプロレスファンにとって"魂のふるさと"」というプロレスライター流智美さんの名言がありますが、コブラさんと二人で国際プロレス談義で盛り上がりました!
 
 

 

テーマ曲のパイオニア・国際プロレスは複数音源の合体やボーカル付き編集の元祖だった!

 

 

ーー新日本プロレス、全日本プロレスに続いて、国際プロレスについて触れていきたいと思います。国際といえば、日本プロレス界において入場テーマ曲の草分けとなったスーパースター・ビリー・グラハム(鉄腕と呼ばれた1970年代を代表するアメリカンプロレスのスーパースター)の「ジーサス・クライスト・スーパースター」が有名ですが、国際のテーマ曲について印象に残っていることはありますか?

 

コブラさん 新日本や全日本は、テーマ曲マニアの先人たちが調べつくしているんですけど、国際に関しては、先人たちもあまり踏み入れてこなかったんです。なぜかというと資料となる映像が少ないんです。自分はミック博士とか流智美さんとか国際の映像をお持ちの方々が周りにいらっしゃったので、凄く助かりまして、そこから国際のテーマ曲について調べることができたんです。

 

ーーそうだったんですね。

 

コブラさん 実はスタン・ハンセンの「サンライズ」のように複数の音源を編集で合体させる手法やビッグバン・ベイダーの「EYES OF THE WORLD」(レインボー)のようにボーカルをカットしてインスト風のテーマ曲にするとか、色々な編集パターンのテーマ曲は、国際が全部先にやっているんです!

 

ーーでは、先駆けなんですね。

 

コブラさん 国際はテーマ曲もそうなんですが、編集に関しても先駆けなんですよ。

 

ーー国際は凄いですね。あらゆるアイデアを導入した日本プロレス界のパイオニアですね。

 

コブラさん まさにパイオニア魂ですよ。例えば1979年にミレ・ツルノ(ユーゴの鷹と呼ばれたヨーロッパの技巧派レスラー)が阿修羅・原(ラグビー世界選抜メンバーに選ばれ、鳴り物入りでプロレスに転向した野生のダンプガイ)とWWU世界ジュニアヘビー級選手権試合で、二人の曲で合体させたテーマ曲で入場しているんです。ハンセンの「サンライズ」の前に。映画「未知との遭遇」のシグナル音が流れてから、映画「スター・ウォーズ」のメインテーマに繋いでいるんです。これは単にツルノのイメージとか関係なく、「流行っている映画音楽だから」「阿修羅・原が越えるべき相手だから強そうに見えて、仰々しい方がいい」ということで二曲の合体になったのだと思うんです。

 

ーー「未知との遭遇」をかけることで、”未知の強豪”感を出したんですね。確かにツルノは強豪でした。ツルノと対戦した阿修羅・原さんといえば、「あっしゅら~」という雄叫びと「スーパーマン? イェス!スーパースター!」というセリフが有名な「阿修羅」というテーマ曲がありますが、この「阿修羅」について語ったください。

 

コブラさん 「阿修羅」には幻のバージョン(CDやレコードに収録されていない「阿修羅パート1」)があるんですよ。最初の「あっしゅら~」という声が抑えめで、その後のセリフがなくて、「ウ~ン、イェ~!」なんですよ(笑) 「ウ~ン、マンダム!」(アメリカの名優チャールズ・ブロンソンの化粧品CMでおなじみのセリフ)みたいですよ!

 

ーー和製チャールズ・ブロンソンを狙ったんじゃないですか(笑)


コブラさん チャールズ・ブロンソンを狙ったどうかはわかりませんけど(笑)。



「国際プロレス=テーマ曲」にならなかった理由

 

 

ーーベースボール・マガジン社から2014年に発売された「忘れ時の国際プロレス」というムックに、コブラさんが執筆を担当された「究極! 国際プロレス入場テーマ曲リスト」を読ませていただくと、本当に国際は色々なテーマ曲を手掛けているんですね。


 

 

 

コブラさん そうなんですよ。国際はマイナーだからあまり知られていないんですよ。せっかく調べましたので、そういうの(国際で流れた数々のテーマ曲)を広めていくのも私の使命かなと思っています。

 

 

ーーこの記事を読むと、ちゃんと国際の場合は選手一人一人にテーマ曲が与えられているんですね、

 

コブラさん そうですね。ただ、一人一人にテーマ曲が与えられるようになったのは、1979年~1980年なんですよ。

 

ーーそれは末期の国際ですね。(国際は1981年9月30日に経営難により解散している)

 

コブラさん グラハムの入場で「ジーサス・クライスト・スーパースター」が使われたのが1974年なんですが、そこから1979年までの5年間、国際は何をやっていたのかという話ですよ。

 

ーー何をやっていたんですか?

 

コブラさん グラハムの曲の後は、特に誰の曲でもないというBGMが何曲かあって、それを延々と使い回していたんです(笑)。

 

ーービリー・グラハム以降はテーマ曲を生み出さなかったんですね。

 

コブラさん でもテーマ曲をつけてもおかしくない選手は当時たくさんいたんですよ。グラハムが初来日した「スーパー・ワイド・シリーズ」(1974年9月~10月)の次の「ワールド・チャンピオン・シリーズ」(1974年11月~12月)はバーン・ガニア(アメリカ三大メジャー団体AWAの帝王)、ビル・ロビンソン(人間風車と呼ばれたヨーロッパ最強の男)、ニック・ボックウィンクル(「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」という名言で有名なリングの哲人)、レイ・スティーブンス(金髪の悪魔と呼ばれる悪役レスラーで、当時はニックと組んでAWA世界タッグ王座を保持していた)といった豪華な外国人選手が来日していて、これは曲を選びがいがあるでしょう。

 

ーー確かこの頃の国際はAWAとのラインがあったので、海外の強豪を呼べたんですよね。ロビンソンのテーマ曲「BLUE EYED SOUL」(カール・ダグラス)は、国際ではなく全日本ですからね。

 

コブラさん そうですよ。だからグラハムだけではなく、他の外国人レスラーにもどんどんテーマ曲を使えば、「国際=テーマ曲」をアピールできたんですよ。

 

ーーグラハムの成功体験だけで終わって、その先がなかったんですね。国際はもったいないことをしましたね。

 

コブラさん 本当にもったいない! グラハムの後に国際がテーマ曲を使わないから、全日本はミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」やら新日本プロレスはアントニオ猪木の「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」といったテーマ曲がヒットしたもんだから、国際は慌てて色々な選手にテーマ曲をつけるようになったと思うんです。

 

ーーそうだったんですね、慌てちゃったんですね…。

 

コブラさん それで、「ヤバい」となった時に来日したのがワイルド・アンガス(怪僧ラスプーチンの生まれ変わりを自称したアイルランド出身の巨漢ファイター)だったんです。それで急に1977年のダイナマイト・シリーズで彼にテーマ曲「BLACK WIDOW」(ラロ・シフリン)が使われているんです。

 

ーーもっと他にもテーマ曲をつけてもいい選手がこの時期にもいたと思いますね。マッドドッグ・バション(国際名物のひとつともいえる流血外国人レスラーの代表格。狂犬という異名を持つプロレス界トップクラスの喧嘩王)、ジプシー・ジョー(驚異のタフネスを誇る放浪の殺し屋)、ダニー・リンチ(英国の流血王と呼ばれた巨漢ヒール)、アレックス・スミルノフ(国際の外国人エースとして活躍した自称ロシア出身の流血怪人)とか。

 

コブラさん そうですよ。ジプシー・ジョーとかスミルノフとかは1980年とかですよ、テーマ曲が与えられたのは。バションとかリンチとかテーマ曲をつけたいじゃないですか。

 

ーー国際は本当にもったいないですね!

 

コブラさん 本当にもったいない!

 

ーー入場テーマ曲も早めに本格的に導入して、グッズ販売とかも手掛けていたら、もしかしたら国際は生き残っていたかもしれないんですよ。色々とアイデアを実現しているんですが、二手三手を打っていないので、ビジネスチャンスを逃しているんですよ。

 

コブラさん グラハムにテーマ曲をつけたのはいいんですけど、グラハムに勝ってIWA世界ヘビー級王者となったマイティ井上(マットの魔術師と呼ばれた国際のテクニシャン)にもちゃんとテーマ曲を与えるべきでしたね。グラハムよりもずっと国際にいるマイティの方が大事じゃないですか。

 

ーーグラハムに勝ってIWA世界王者になった頃のマイティさんは当時25歳ですからね。なんでつけなかったんでしょうね…。それでマイティさんはアニマル浜口(気合と突貫ファイトに定評があった闘将)さんとの浪速ブラザーズのテーマ曲として「フリー・ライド・サーファー」(パブロ・クルーズ)が採用されたんですね。

 

コブラさん これは1979年のビッグ・チャレンジ・シリーズから本格的に使っているテーマ曲です。

 

ーールー・テーズさんにもテーマ曲がついたんですね。これは「テーズ・ベルト争奪戦」(正式名称はルー・テーズ杯争奪リーグ戦)の時ですか?

 

コブラさん それじゃなくて、1979年にニックとのコンビで、ラッシャー木村’(金網デスマッチの鬼として恐れられた国際のエース)&グレート草津(社会人ラグビーからプロレスに転向した国際の副将)と対戦したタッグマッチや寺西勇(和製カーペンティアと呼ばれた国際の中堅レスラー)らとのエキシビションマッチで「ハリケーン」という映画の中の「脱出」というサントラ曲(ニーノ・ロータ)が流れたんですよ。「テーズ・ベルト争奪戦」は1981年なので、それよりも前の話です。

 

ーーテーズが絡んでいる時点で、国際は末期ですね(苦笑)。国際には個性豊かなレスラーが多いので、ちゃんと早い段階でテーマ曲をつけてほしかったと思います。ザ・コマンド1号、2号(1975年のビッグ・サマー・シリーズで来日したメキシコのマスクマンコンビ)とか。

 

コブラさん ザ・スコーピオンズ(カナダからやってきた謎のマスクマンコンビ)には映画「ジョーズ」のテーマ曲が使われたらしいんですよ(笑)。しかもザ・スコーピオンズが来たシリーズは全員マスクマンというわけのわからないシリーズだったんですよ(笑)。アメリカやカナダの二流レスラーに覆面を着用させたんです。

 

 

国際プロレス・近江八幡大会で流れたのは何故か「ロッキー」

 

 

ーーコブラさんの記事を読むと「近江八幡大会オープニング」という気になるものを発見したのですが(笑)

 

コブラさん ハハハ(笑)。これ全日本プロレス中継はいつも「NTVスポーツテーマ(スポーツ行進曲)」(作曲 黛敏郎)がオープニングで使われますよね。だけど特番になると特番専用の曲が流れるわけですよ。国際の場合(「国際プロレスアワー」《東京12チャンネル/現・テレビ東京》)は、「PURPLE PAGEANT MARCH」(作曲 カール・E・キング)がオープニングで流れるわけなんですが、1980年ダイナマイト・シリーズの滋賀・近江八幡総合体育館大会の特番では、「ROCKY Ⅱ DISCO」(メイナード・ファーガソン)がオープニングに使われたんですよ(笑)

 

ーーこれは映画「ロッキー」ブームもあったので、時代に合わせていますね(笑)。

 

コブラさん そもそも近江八幡で特番をやるというのがすごいですよね。他団体とかだと蔵前国技館とかで特番はやるんですよ(笑)。

 

ーー滋賀の近江八幡で特番をやるという段階で最高ですね(笑)。関西だと大阪・京都・神戸の京阪神で特番をやるのかなと思いますからね。

 

コブラさん 試合前に地元の民謡連盟が江州音頭を踊っているんですよ(笑)。しかも盆踊りをしている中で、ディスコ風ロッキーがかかっているんですよ!

 

ーーそれはすごい絵面ですね(笑)。国際らしいですね!

 

コブラさん それで上田馬之助(金狼と呼ばれた日本屈指の悪役レスラー)やスミルノフとかビッグ・ジョン・クイン(カナダの荒熊と呼ばれた巨漢レスラー)とかえげつないレスラーが登場するんですよ(笑)。

 

ーー国際に関しては話が尽きないですね(笑)

 

コブラさん 本当にいくらでも話せますよ(笑)。

 

 

初めて買ったテーマ曲レコード・前田日明「CAPTUDE(キャプチュード)」が起こした奇跡

 

 

ーー次の話題に移りますが、新日本や全日本、国際といった団体に関係なくコブラさんにとって思い出のテーマ曲に話をお聞かせください。

 

コブラさん 前田日明さんの「CAPTUDE(キャプチュード)」(キャメル)ですね。一枚のLPを買って、その中の一曲しかテーマ曲は使われていないというパターンじゃないですか。私の少年時代なんてなかなかLPとか高くて買えなんですよ。小学生の頃は買えなくて、中学生になってお小遣いを溜めてやっと買えたのが「CAPTUDE」なんです。何回も聞いた思い出のレコードなんです。

 

ーー確かに「CAPTUDE(キャプチュード)」は名曲ですよね。

 

コブラさん それで大人になって前田さんのトークショーの音響を担当する機会があったんです。自分が音楽をイベント等で流すときはなるべくアナログ盤を使うようにしているんです。CDのクリアな音源よりも、少し音質を落ちるアナログの方が会場で流す時に音がよく聞こえるんです。だからCDよりもレコードを使うようにしているんです。前田さんに流す時も、自分が中学生で買ったレコードを使ったんです。まさかイベントでご本人の前でかける日がくるとは夢にも思わなかった。だからかけた瞬間は胸が締め付けられましたね…。

 

ーー感動で震えたんじゃないですか?

 

コブラさん 本当に震えましたね。僕はチームフルスイングの代表・利根川亘さんと親しくさせていただいておりまして、チームフルスイングが主催するイベントでは音響を担当しているんです。その中で前田さんの曲をかける機会を得たんです。

 

ーー少年時代の自分が憧れた人に大人になってから会う機会なんて、人生でなかなかないじゃないですか。奇跡ですよね。


コブラさん テーマ曲マニアなんて、プロレスファンの中でもニッチな存在ですよ。「あの曲、かっこいいよね」「あの曲、好きだよね」という話はするけれど、そこまで深く調べたり、集めたりする人はいないですからね。

 

ーー中学生時代に買ったレコードを本人のイベントで流す…いい話ですね(シミジミ)…。プロレステーマ曲を愛好してきた甲斐があったんじゃないですか?

 

コブラさん 本当にそうですね。子どもの時にファンだった選手のグッズとかに、大人になってからサインをもらうのって嬉しいじゃないですか。それをあの日に体感しましたね。

 

 

コールがしやすい昔とコールがしにくい今…日本プロレス界テーマ曲の変遷

 

 

ーー前田さんのテーマ曲「CAPTUDE(キャプチュード)」がかかると必ず会場は「前田」コールが爆発するじゃないですか。

 

コブラさん もう曲がかかれば、「前田」コールが自然発生ですからね。あれは盛り上がるますよね。

 

ーーあのう伝説になっているテーマ曲って、コールが起こるんですよ。

 

コブラさん コールしやすいというのはありますよね。橋本真也の「爆勝宣言」、三沢光晴の「スパルタンX」にしてもね。

 

ーー武藤敬司選手の「HOLD OUT」、川田利明さんの「HOLY WAR」もそうですよね。

 

コブラさん 長州力「パワー・ホール」や天龍源一郎「サンダーストーム」もそうですよね。

 

ーー実は今、活躍している日本のトップレスラーの皆さんの入場テーマ曲にはあまりコールが発生しないんですよ。コロナとか関係なく。私の記憶では、第3世代の選手のテーマ曲にはコールが発生していますね。天山広吉選手や小島聡選手、永田裕志選手とか。

 

コブラさん 天山はまだ「テンザン~時空~」ですか?

 

ーーはい。天山選手は入場テーマ曲がかかると「天山」コールが自然発生するんです。

 

コブラさん ウッドベル(かつて新日本プロレスの主要選手の入場テーマ曲を手掛けたプロレステーマ曲専門レーベル)止まりじゃないですか。

 

ーーそうなんですよ。例外としては、内藤哲也選手は入場テーマ曲がかかると「内藤」コールが起こりますね。また葛西純選手、彼も入場テーマ曲がかかると大「葛西」コールが発生します。それから柴田勝頼選手が2017年に急性硬膜下血腫で倒れてから数か月にリングに挨拶のために現れた時、テーマ曲が流れると「柴田」コールが発生しましたね。あとは鈴木みのる選手の「風になれ」(中村あゆみ)は、「風になれ」という歌詞になると皆で合唱しますよね。テーマ曲がかかった時のコールは最高のBGMだと思うんですよ。だからそれがあまりないのが残念なんですよ。

 

コブラさん そもそもコールをしづらい曲を使っているのかもしれませんね。

 

ーーガンバレ★プロレスの大家健選手はB'zの「BAD COMMUNICATION」で入場するんですが、彼の場合は途中で「大家」コールが怒って、サビの「Hey Hey」をみんなで一緒に合唱するんです。そこから「wow wow wow…」で足を踏み鳴らして、一緒に叫ぶんです(笑)。

 

コブラさん そういうのは今っぽいですね。

 

ーー今の日本プロレス界の入場シーンは、コールするというよりも、見入っちゃっているんでしょうね。「わぁー!」とか声はあがりますけど、コールはあまり起こらないんです。試合ではちゃんとコールは発生するんですよ。これはコロナで声援を送っての観戦となる前からの話です。ウッドベル以前、ウッドベル以後に分かれるのかもしれませんね、日本プロレス界のテーマ曲は。

 

コブラさん それ、面白いですね!

 

 

伝説の歌声をテーマ曲にしたザ・グレート・サスケ

 

 

ーーコールが起こらない理由が何かあると思うんですよ。あと秋山準選手のテーマ曲「STERNNESS」や「SHAWOW  EXPLOSION」はコールが起こる時もありますね。「SHAWOW  EXPLOSION」を手掛けたのは鈴木修(ミスター・プロレステーマ曲と呼ばれる巨匠)さんなんですか?

 

コブラさん いやあれは中島優貴(元ヘビーメタル・アーミーというバンドのリーダーであり、作曲家)さんが作られたんですよ。

 

ーー失礼しました。秋山選手はDDTプロレスに移籍してからは「SHAWOW  EXPLOSION」に戻しているんですよ。やっぱり再三、昔のテーマ曲というのは、テレビ屋や音響スタッフといった第三者が選んでいて、今は選手本人が選ぶことが多いんですよね。だからみちのくプロレスのザ・グレート・サスケ選手は一時期、自分が歌った東日本大震災のチャリティソング(「キボウノチカラ~Tomorrow~」齋藤惣一朗featザ・グレート・サスケ)で入場していたんですよ!


 

 

 

コブラさん あの歌唱力で(笑)。あれで歌っていたんですか!「セパラトス」(かつてルイス・ミゲルの曲をサスケ本人がカバーして歌ったある意味、伝説のテーマ曲。ニコニコ動画では「首を絞められた鶏のような美声」と形容されている)で途中声が裏返ったじゃないですか(笑)

 

ーーそうなんですよ!この曲(「キボウノチカラ~Tomorrw~」齋藤惣一朗featザ・グレート・サスケ)では冒頭で「Never give Up!Never give Up!Never give Up!Never give Up!」という歌詞が耳にこぶりつくんですよ!

 

コブラさん  ハハハ(笑)。こっちがギブアップしたくなりますよ!

 

ーーサスケ会長の歌はすごいんですよ。カラオケでは、歌うのは毎回ボン・ジョヴィらしいですよ(笑)。「It's my life」という名曲をアメリカでファンと合唱してましたよ(笑)。

 

コブラさん すごいですね…。  

 

ーー今はテーマ曲を選手個人がセルフプロデュースで選ぶケースが多いんですよね。

 

コブラさん インディーとかだと、テーマ曲を選ぶためのスタッフを雇うなんてないでしょうからね。

 

ーー先輩レスラーからこの曲を使ってみればという進言とかあるかもしれないですね。

 

コブラさん それでも内輪ノリの印象はありますね。やっぱり第三者がテーマ曲を選んだ方いいと思うんです。

(第3回終了)

 

国際プロレスに始まって、なぜかザ・グレート・サスケ選手のカラオケに飛び火したところで、次回はあのプロレステーマ曲誕生秘話、極私的プロレステーマ曲ベスト3をテーマに対談していきます。お楽しみに。