緑の虎は死して神話を遺す
平成のプロレス王・俺達の三沢光晴物語
思想~三沢光晴のプロレス論~
三沢光晴ほどプロレスに対して明瞭な意見や主義を持つ男はいないと思う。
また、それを相手に納得されられるだけの説得力があった。
三沢はプロレスに誇りを持っていた。
だから彼はこう言うのだ。
「プロレスが八百長じゃないと証明する機会があるなら、僕は朝まで生テレビに出てもいいですよ。
今でも構わない、なんでも聞いてください。
プロレスのこれが不思議だとあなたが思う部分を全部説明してあげるから」
今回は彼のプロレス論の一部を紹介させていただく、いまこそ三沢の声に傾けろ!
※なぜプロレスは5秒間反則を許すのか?
「反則は基本的に不器用なレスラーが自分のペースを取り戻すためにやること。いきなり目つぶしとかされたら、作戦を持つレスラーも瞬間的に考えが飛んでしまう。そういう効果を狙うもの。」
※なぜプロレスにはロープワークがあるのか?
「それは試合の駆け引き。ロープという道具を使うかどうかは。ただプロレスはロープを使って上下左右に動けるから、体格差のある相手とも戦えるんだよ。だから使わない手はないと思う。ロープに振られても返らないようにすること。それはそれでいい。でもロープに背をした状態でエルボーやラリアットを食った場合は受け身が取れない。無理な力で防衛してはいけないというのはプロレスの基本だから。受け身を取ることは、相手の攻撃がキツイからではなく、体をぶつけられたり蹴られたりする力を後ろに逃している。ロープに飛ばないようにすることはできる。ただ相手に片腕を取られた状態になる。片腕を取られてロープに飛ばない場合は、相手に肘や肩を抜かれる場合がある。人間の関節は外れやすいんですよ。」
※なぜトップロープからの攻撃をよけないのか?
「技を受ける側も相手がどういう技を仕掛けてくるかわからない。技によっては急いで立ったらまずいケースもある。トップロープからの技が一つにこだわっていない選手の場合は、相手は余計によけられないでしょうね。ただ相手のレパートリーが一つしかない場合はあえて受ける場合もある。」
※試合に敗れるときはどういう場合なのか?
「一つはレフェリーのカウントが聞こえない時。相手の攻撃で一瞬耳が飛んでしまい、カウントが聞こえないというケース。もう一つは例え相手の技を返したとしても、もう自分に攻めようがない、攻め方が思いつかない、体力が残っていないと悟った時。正直に言えば、僕も試合中に今日は負けたいと思う時もある。最初からそう思って戦っているのではなく、本当に疲れてしまって気力が持たない時がある。でも自分からは負けられない。相手がかさにかかって攻めてきてフォールを取られる。その時に勝ってくれてありがとうと感じることがありますよ。」
※プロレス中継がゴールデンタイムである必要はあるか?
「プロレスはテレビによって支えられ、頼ってきた部分は大きい。そのためゴールデンタイムからプロレス中継が外された直後、何度も危機的状況に陥ってきた。今、我々プロレスに関わる者が考えるべきことは本当に意味でプロレスという競技を日本人に根付かせることではないだろうか。そういう意味で考えるならプロレスをゴールデンタイムで放送する必要はないとさえ思っている。視聴率を取ることがテレビ局の命題であるゴールデンタイムの中継より、寝る前に観る午後11時代で見る番組として定着してほしいという気持ちがある。プロレスを見た人達が、我々の戦いから何かしらを感じて、翌日の仕事の励みにしていただければ、レスラーにとっての戦うエネルギーとなる。なんとなく寝れないときに、テレビで偶然に面白い映画を発見し、つい見入ってしまうように、プロレス番組も最初はそんな気持ちで観てもらえればいいと思う。プロレスに興味を持ち、会場に足を運んでくれるきっかけになれば、これほど喜ばしいことはない。」
※プロレス団体を運営することで大変なこと
「プロレス団体を経営する上で難しいことは物を扱う仕事とは違い、それぞれに意思を持った人間が商品だということである。若い人間に『お前はこういうレスリングしろ』といったところで、すぐには実現はできないし、お客さんが喜びとも思えない。プロレスとは実力の世界であり、強くなればそのうち何も言われなくなる」
※プロレスで起こる事故(リング渦)について
「プロレスラーはいつでも死と隣り合わせで試合をしている。本気で試合をしていれば、こうした事故は起こり得ることだ。感情的になって技をかけた選手を責めるようなことは絶対にしてはいけない。もし自分が事故の当事者になったら、俺は謝らない。謝ったら相手に失礼になる。謝ってしまえば、そのプロレスラーは技を受け切れなかったことなる。」
※プロレス及びプロレスラーとは…
「プロレスラーには、次の試合が確実にできる保証はどこにもない。勝負に”たら、れば”が通用しないのは自明の理。だからこそ、そのときに考え得るすべてを出すことが、観客にとっても選手自身にとっても大事なのだ。悔いを残すことほど悲しいものはない。チャレンジして仮に失敗しても、笑って頭を掻いているくらいでいい。前向きな失敗は、成功への過程なのだ。プロレスはルールもわかりやすく、子供からお年寄りまで楽しめるスポーツである。選手それぞれの思いが凝縮された試合の中で、観客と共に喜怒哀楽を味わい、高度な技と動きに感動し、勝負に熱狂することができる。確かにプロレスが置かれている現状は決して楽観視できるものではない。しかし、私達は命を懸けてリングに上がり、自分達の持てる力を精一杯発揮して戦っている。そのレベルは野球やサッカーなどメジャースポーツと比べてもなんら遜色がないものと自負している」