私の身体醜形障害はDREAM ART LABORATORYの所長岩波先生の力を借りて克服するに至りました。

 

岩波先生の得意分野は意識下からの問題解決能力です。

岩波先生の開発した脳覚醒トランス誘導技術のすごさと効力はさんざん体験した人を通して言われてきています。

私もそれを読んで、意識下からの根本解決を望んでいたのですぐ受けてみました。

 

金銭的に余裕があったので料金は高いとも安いとも思わなかったです。

というより、私は薬物治療とカウンセリングしかやったことがないので、心理セラピーの一般的な料金設定がわかりません。

しかし、一番最初に岩波先生の心理セラピー(神経症克服プログラム→自己正常化プログラムに改称)に参加できたことはラッキーな事でした。

 

多くの人は心理セラピーをたくさん経験してきてから通っているそうで、ロング・アンド・ワインディング・ロードを通って、やっと岩波先生という最終ゴールに辿り着くことができたので、私は運がいいと思います。

 

ただもっと早くから身体醜形障害だと認識していれば、もっと早くに行動できていたのにと思うと悔しくもあります。

 

半信半疑、期待と不安を入り混じった気持ちを抱いてみなさん最初に通うそうですが、私は駄目なら駄目、合わないなら合わないという気持ちで参加しました。

岩波先生の技術でダメならもうおしまいという追い詰められた精神状態でもありませんでした。

これもすべて私の無知のなせる技です。

 

だから緊張しながらも、誰よりも真っ白な気持ちでいたと思います。

意識化にアクセスすることがプロの誘導技術でも大変で、殆どが口先だけで効果も実感もない所だと知ったのは後からでしたので、無知とは怖いものです。

 

意識下のアクセスのアプローチにはビックリしました。

比較する材料がなくても、衝撃を受けました。

一瞬意識が飛んだ時間があったのですが、その時間が3時間に思えました。

そして何かを見ていました。
悲しい気持ちや嬉しい気持ちが入り交じったような映像でした。

 

私は意識下に入ったと実感できました。

気持ちが楽になりました。

身体も軽くなりました。

しばらくうつ状態が続いていたのですが、久しぶりにテンションが上っていました。

 

でもこんなものはまだまだ序の口です。
 

 

 

老いを自覚してから、身体醜形障害がますますひどくなりました。
経営は続けていましたし、そちらで頑張れていたのですが、症状がひどくなるに連れて、仕事どころではなくなっていきました。

 

老いや外見の悪化は一生モノです。
私は一生死ぬまで自分と付き合っていかなくてはなりません。

だから身体醜形障害になったら、一生苦しまなくてはならないので、なった人は大変です。

 

顔にしわやたるみがあることに気づいた私は、パニック発作に似た衝撃を受けました。

年を取れば顔もそれ相応のものになるとは私もわかっていましたし、受け入れたくはないけれど受け入れるしか無いと思っていました。

それまでは精一杯抗って、なるべく老化を遅らせることに努力して、いずれは老人になるのだからいつかは受け入れるしかないのだと思っていました。

 

妻からは「大丈夫、気のしすぎ」と言われました(毎回言われていることですが)。

しかし、私はわかってはいても、感情が拒否をしていて、そんな自分がひどく醜くてしょうがありませんでした。

自分の顔を鏡で直視できなくなりました。

 

あまりの気にしすぎ、落ち込みに、妻が病院に相談に行ってきたらと言われて、心療内科クリニックにはじめて行きました。

そこで自分が初めて『身体醜形障害』『醜形恐怖症』だと気づいたのです。

そして『対人恐怖症』だということもわかりました。

 

そこでの治療が始まりました。

といっても薬をとっかえひっかえ変えるだけでしたが。

今思えば、あまりに稚拙な治療でした。
どこも似たようなことしかできないようですが。

 

抗うつ薬、SSRI,SNRIを服用しましたが、全く効果が感じられず副作用もひどかったので、セルシンを飲みました。

それでしばらくは様子を見ることになりました。

 

そしてデパスに変えられたり、何度も薬を変えられ、これでは一向に身体醜形障害がよくならないし、どんどん対人恐怖がひどくなるし(人と会うことが怖くなっていきました)、うつ症状も出るようになり、もうだめだとやっと見切りをつけました。

 

その間も鏡を見たら落ち込みます。
人は若いと言ってくれますし、容姿も褒めてくれますが、私の感情は絶対に納得できません。
気休めで言っているのだと思ってしまい、しまいに人間不信にまで陥りました。

 

美容外科に行って相談したり、高額の美肌エステにも通い続けました。

しかし、根本的に身体醜形障害が治らない限り、私は老い衰えていくことに潰されてしまうと思っていました。

私の考え方や認知を変えることをしないと生きられないと思いました。
 

頭では老いることを理解できるけれど、受け付けることができない心がどうしてもあります。
そこを根本的に変えなくては、一生生きながら地獄を味わっていく。
私の身体醜形障害の治療の道は定まりました。

 

薬で不安を紛らわせるのではなく、根本的な改革しかないと思いました。

ネット上で心理セラピストの岩波先生という名前を見つけることができたのは、それから2ヶ月後でした。

私は外見や顔は別に悪くないよ、カッコイイよと言われてきました。

しかし、身体醜形障害になっていると、どんな褒め言葉も納得できません。

 

ブサイク、かっこ悪い、ハゲ、変な顔、○○が変と言われるよりは遥かにマシです。

上の言葉を投げつけられたら、私はショックで寝込んでしまうほどやばい精神状態になったでしょう。

あるいはそいつに殺意を持って、一生呪っていたかもしれません。

ショックで実際に殺そうとするエネルギーが出ないほど、落ち込んでしまう可能性が高いですが。

 

しかし、芸能人の誰々に似ているという指摘が嫌でした。

特に一般的にイケメンだと言われている人ならばともかく、イケメンの範疇に入らない芸能人に似ていることを言われると、まるで『お前は醜い』と言われているような衝撃を受けていました。

 

だから言われ損なだけです。

そういう話題になったら私はすぐ逃げていました。

 

おつきあいをさせてもらった女性はそれなりの数いましたし、外見も悪くないと言われるけれど、信じ切ることが出来ませんでした。
自分が一番納得できないのです。

それもこれも身体醜形障害のなさる症状の闇なのでしょうね。

 

思えば身体醜形障害はどんなに容姿を褒められても納得できない自分が居ますし、けなされたら死んだほうがマシなくらいのショックを受けるし、悪いことしか起きません。
生きづらさを感じるのは当たり前ですし、鏡を見たり人と対面することが嫌になったら、いずれうつ病にもなるし、なっていいことは一つもありません。

 

馬鹿らしいことはわかっているけれど、私の心の内側が納得してくれません。
説得したいけれど結局は、私の力では無理でした。

 

人の力を借りてようやく克服できましたが、 身体醜形障害の人は一人で悩まないほうがいいです。

どうあがいても、どう転んでも、悪いことしか経験できなくなりますから。

根本的に治していきましょう。

 

私の母方の祖父はいわゆるハゲでした。

だから、私は自分が将来ハゲることへの恐怖がありました。

髪の毛の量は多く、若い頃はハゲないという変な自信がありましたが、20代後半になってくると抜け毛が気になり始めました。

 

人は一日に普通に抜ける量なのかもわからず、私はどんどんこのまま髪が抜け続けて禿げてしまうのではないかという不安が強まってきました。

身体醜形障害が再び再発し始めたのです。

 

そこからは育毛剤やハゲないマッサージを欠かさずやってきました。

金銭的な余裕もできた頃なので、ハゲの対策は早ければやハイほどいいということで、男性エステにお金を使いまくりました。

 

あらゆる髪の毛にいい、頭皮にいいと言われるものを試してきました。

しかしそんなものは物理的な対策で、私は身体醜形障害になっていたので、精神的に落ち着くことはありませんでした。

 

当然抜け毛がありますが、それを見るたびに、シャンプーで抜け毛が絡まった手を見ると、もう憂鬱でたまらなくなっていました。

私はみすぼらしく禿げていくしかないという恐怖が強まると、老いていくことへの恐怖も強まりました。

 

私が毛深いことに非常にコンプレックスを感じていたことを書きましょう。

 

学生の頃から 私は人よりも毛深いという事をずっと気にしていました。

サッカー部に在籍をしていまして、エース格の選手だったので女性からは人気があった方です。
しかし、毛深い自分を見られて笑われたり引かれたりすることが、異常にコンプレックスに感じたり恥ずかしいという思いが強かったです。

 

永久脱毛をしようと思ったのもその頃です。

母親に相談し、最初は反対をされましたが、ようやく納得してくれまして永久脱毛をしました。
それによって私のコンプレックスは解消されましたが、容姿コンプレックスへの怯えはおさまることはなかったです。

ただ毛深いことへのコンプレックスがなくなっただけで、次へと症状が波及していました。

 

その当時私は自分が身体醜形障害ということは全く知りもしませんでしたし、そんな症状名があることも知りませんでした。

ただ思春期特有のコンプレックスが多い、外見を人よりも気にする人間だという認識でしたが、生きにくさは感じていました

 

しかし毛深いことへのコンプレックスは一時的におさまっていただけでした。

数年後、ふと鏡で自分の裸を見ていた所、脱毛した右脚の毛の量が左と違うと思い始めました。

目の錯覚だったら良かったのですが、まじまじ観察するとやっぱり違っています。
これを他人から見られたらヘンテコな奴だと思われる事を恐れました。

毎日気になって足ばかり見続けてしまい、それにとらわれる日々を過ごしました。

 

苦しかったです。

ぷちうつ病になっていたと思います。

この時も病院には行きませんでした。

 

家族も誰も変とは言いませんが、私は気休めで言っていると思いこんでいました。

また脱毛の手術を受けることで、一応納得した私は一時的に身体醜形障害が寛解して、自分のやりたいことにエネルギーを向けることができました。

 

思えばこの身体醜形障害がおさまっていた時に勉強に励んだり、会社を設立したりできたことはラッキーでした。

私が身体醜形障害、対人恐怖症、うつ病になってしまった時に、なんにもできなくなったことを考えたら、この時期に落ち込んでいたら、大卒も会社経営者の肩書もなく、みすぼらしい人生を送っていたでしょう。

 

私の半生は、容姿コンプレックスとナルシストと身体醜形障害の繰り返しで成立していると思います。
基本的にナルシストなのかもしれません。
人から褒められたい、評価されたいという思いが誰よりも強いんです。

 

その一方で、人からけなされたらおしまいだという怯えた思いを抱えてきました。

特に容姿や中年になってからは老いのことを指摘されることが嫌でした。

 

あまりにそんな思いが強いために、身体醜形障害になってしまいました。

そのうちに私の容姿がひどく醜く老い衰えているという妄想を抱くようになってからは、あまりの怯えっぷりで対人恐怖症にまでなってしまいました。

 

私は会社を経営していたため、仕事で人前に出ることはそれ以来避けるようになりました。

何とかそれで会社がまわっていたため良かったのですが、そうは言っても毎日が地獄でした。

鏡や私の容姿が映るものが少しでも目に映ると、ギョッとしてショックで一日中落ち込んでいます。

 

昔はナルシストらしく鏡を覗くことが好きだった時もありましたが、鏡恐怖症になりました。

醜い顔が映っている、そんな顔を皆に見られていることが耐えられず、逃げ続けてきました。
老い衰えていく恐怖も日増しに悪化していきました。

 

そういった不安の毎日でついにはうつ病と診断されるまでになりました。

今から考えたら、私の完璧主義ぶりはうつ病になっておかしくない性格でした。

 

これらのことを繰り返して思春期より生きてきたのが私の人生です。

経済的には恵まれていることだけが私の救いでした。

 

しかし精神面はボロボロでした。

怯え、不安、ショックなことが鏡に写った自分を目にするだけで発動するのだから、気が休まることはありませんでした。

うつ病になってもおかしくなかったのでしょう。

 

そんな私でも身体醜形障害や対人恐怖症やうつ病を克服できました。

私が味わった身体醜形障害の半生の記録をみなさんに捧げたいと思います。