老いを自覚してから、身体醜形障害がますますひどくなりました。
経営は続けていましたし、そちらで頑張れていたのですが、症状がひどくなるに連れて、仕事どころではなくなっていきました。

 

老いや外見の悪化は一生モノです。
私は一生死ぬまで自分と付き合っていかなくてはなりません。

だから身体醜形障害になったら、一生苦しまなくてはならないので、なった人は大変です。

 

顔にしわやたるみがあることに気づいた私は、パニック発作に似た衝撃を受けました。

年を取れば顔もそれ相応のものになるとは私もわかっていましたし、受け入れたくはないけれど受け入れるしか無いと思っていました。

それまでは精一杯抗って、なるべく老化を遅らせることに努力して、いずれは老人になるのだからいつかは受け入れるしかないのだと思っていました。

 

妻からは「大丈夫、気のしすぎ」と言われました(毎回言われていることですが)。

しかし、私はわかってはいても、感情が拒否をしていて、そんな自分がひどく醜くてしょうがありませんでした。

自分の顔を鏡で直視できなくなりました。

 

あまりの気にしすぎ、落ち込みに、妻が病院に相談に行ってきたらと言われて、心療内科クリニックにはじめて行きました。

そこで自分が初めて『身体醜形障害』『醜形恐怖症』だと気づいたのです。

そして『対人恐怖症』だということもわかりました。

 

そこでの治療が始まりました。

といっても薬をとっかえひっかえ変えるだけでしたが。

今思えば、あまりに稚拙な治療でした。
どこも似たようなことしかできないようですが。

 

抗うつ薬、SSRI,SNRIを服用しましたが、全く効果が感じられず副作用もひどかったので、セルシンを飲みました。

それでしばらくは様子を見ることになりました。

 

そしてデパスに変えられたり、何度も薬を変えられ、これでは一向に身体醜形障害がよくならないし、どんどん対人恐怖がひどくなるし(人と会うことが怖くなっていきました)、うつ症状も出るようになり、もうだめだとやっと見切りをつけました。

 

その間も鏡を見たら落ち込みます。
人は若いと言ってくれますし、容姿も褒めてくれますが、私の感情は絶対に納得できません。
気休めで言っているのだと思ってしまい、しまいに人間不信にまで陥りました。

 

美容外科に行って相談したり、高額の美肌エステにも通い続けました。

しかし、根本的に身体醜形障害が治らない限り、私は老い衰えていくことに潰されてしまうと思っていました。

私の考え方や認知を変えることをしないと生きられないと思いました。
 

頭では老いることを理解できるけれど、受け付けることができない心がどうしてもあります。
そこを根本的に変えなくては、一生生きながら地獄を味わっていく。
私の身体醜形障害の治療の道は定まりました。

 

薬で不安を紛らわせるのではなく、根本的な改革しかないと思いました。

ネット上で心理セラピストの岩波先生という名前を見つけることができたのは、それから2ヶ月後でした。