途上国への支援
highlifeさんのブログ を読んでみてほしい。
彼は、アフリカ南部の内陸にある、ザンビアという国に学校を建てるためのプロジェクトを立ち上げ頑張っている。
私は、彼の情熱と理念にいたく共感している。
「援助の在り方」というものを、しっかり考えているし、押しつけの自己満足なものではなく、現地の人たちと協力して、必要な援助を行おうとしていると思うから。
途上国の援助は難しい。
私はODAというものを余り信用していない。
本当に現地の事情に則した援助であるかどうかが疑問だし(政治的な裏事情のようなものも感じてしまう)、
「円借款」という金貸しが半分以上を占めているから。つまり借金をさせているのである。
これを円で返す必要がある。
現地の人が現地の人に売ったとしても円は稼げないので、どうしても「輸出」ということをしなくてはならない。
そのために、自分たちが食べるものではなく、輸出用の作物を作ることになり、結果、輸出品は増えるのに自分たちは餓えるという事態が起こる。
これは、本当に援助か?
しかも、貧困を作り出している途上国の借金は、日本に対してのものが最大なのだそうだ。
貧しい国に「食糧を届けよう」とする場合。
例えば食糧が届けられた国では、援助の食糧がタダで届くために、現地の農民がせっかく作った作物が売れなくなってしまったりする。
食糧生産の基盤自体を壊してしまうことになりかねない。
私が月々の寄付をしているワールドビジョン。
その話を人にすると、「直接お金を渡した方がいいんじゃないのか」と言う人がいる。
でも、それでは、現地の人は「働かなくてもお金がもらえる」と思ってしまい、本当に働かなくなる。
そんなことが定着したら大変なことになる。
産業もないまま、収入の基盤ができないまま、ただお金だけを受け取る生活。
これでは、生活は変わらない。
必要なのは、現地での生活基盤を整え、産業を興し、現地の人たちが自分たちで収入を得ることができるよう手助けをすることだ。
お金はそのために使われるべきもので、決して「施し」のために使われるべきではない。
モロッコに行った時、アトラス山脈沿いの村で、子供たちから「お土産を買ってくれ」と言われたことがある。
相手は子供だし、手助けになるならと、買おうとした人に対して、現地のガイドは「買わないでくれ」と言った。
なぜか?
彼女が言うには、この土産売りは、「子供にやらせれば売れる」と考える親達がやらせていることで、もし、ここで買えば、親は味をしめ、自分達はまともに働かず、子供を学校にもやらず、働き手として使う生活から抜け出せないというのだ。
このような状況では、国としての発展が望めないということだった。
このように、知らないうちに貧困の連鎖に手を貸していることがある。
外国へ行く時には、よくよくその国の事情を知っておく必要があると思う。
ただの観光であってもだ。
貧困を招いた原因は先進国にある。
その先進国の「援助」でさえ、さらなる貧困を招いているという現実。
現地で起こっている問題を知り、本当に何が必要とされているかを考え、援助の形を作っていく。
求められているのは、そういうことだと思う。
田舎の効用
私は田舎者である。
ええ、否定しません。田舎者です。
今は、県都に住んでいるが、育ったのは田舎。
部屋の窓からは遠くに山が見えたし、実家から少し歩けば、あたりは一面の田んぼ。
秋には、はさ木に稲穂が干されていた。
家の傍には小川が流れていて、魚や水生昆虫が沢山いた。
窓を開ければ虫が飛びこんできたり、ガラスに鳥やコウモリがぶつかったりした。カエルやイモリが張り付いていることもよくあった。
今では、実家の方も「開発」されて、田んぼや澄んだ水が流れる小川は姿を消した。
でも、母の実家は、まさに「山の中」なので、まだまだ自然が残っている。
春先には、よく熊が出る。
ウサギやタヌキの姿もよく見た。
農作業の手伝いもした。
山に入って山菜を採るのが楽しかった。
県外に出て暮らしたことがないので、たまに東京なんて行くと、あまりの目まぐるしさについていけなくなる。
確かに東京は刺激的な楽しい所かもしれない。
でも、疲れる。
疲れるんだよなあ。
山手線にも乗れない。
いや、乗れるんだけど、あの混雑ぶりが・・・
乗ろうと思ったら、あまりの満員電車ぶりに怖気づき(というか、嫌になり)、もう少し空いてる列車が来るまで待とうと思い、何本か見送った。
でも、そんなに空いてる列車ってなくて、結局諦めて、そこそこの混み具合の電車で妥協したけど・・・
もう、この辺が「挙動不審の田舎者」丸出しである。
私には都会は向かないと、つくづく思う。
高層ビルとオシャレな町並みより、田んぼや畑、山の方がいい。
土がいい。
緑がいい。
根拠はないけど、人間は土と緑のない所では暮らせないと思う。
都会にも、緑の豊富な公園があったりする。
コンクリートの中で暮らしている人達にも、土と緑が必要だから、ああいう場所ってあるんじゃないかな。
どこかで、「田舎」を求める気持ちってあるんじゃないかなあ。
気のせい?
年をとってきたから尚更かもしれないけど、田舎の景色は心が安らぐ。
落ち着く。
松林でさえ落ち着くんだから、本物の山や田んぼの景色の効用はいかほどか。
「開発・開発」って言って、山を切り崩したり、田んぼを埋め立てたり、コンクリートで川の護岸工事をしたりするのは、もうそろそろ止めてもいい頃だと思うんだけど。
壊してしまった自然は、元に戻らない。
戻るとしても、膨大な労力と時間を必要とする。
失くしてから、「ああ、あの頃の景色はよかったなあ」なんて言っても遅い。
経済成長まっしぐらで、開発の名のもとに色々なものを破壊してきた。
この辺で、思いとどまってもいいんじゃないかと思う。
もっと大切なものがあるはず。
都会へ行くと、そんな事を改めて感じて帰って来る。
私は田舎者でいい。
澄んだ空気に高い空、足に優しい土の感触、木々の緑と稲穂の輝き、そよぐように流れる澄んだ川。
鳥や虫の声。
そっちの方が断然いい。


