暑い晴れたり
曇ったり~の神戸です。
今日のウォーキングの行き帰りに、
アサギマダラを見ました南に渡って行く途中かな
撮れなかった~残念
アサギマダラは撮れなかったけど、



ボランティアで山の広場の整備をしてくれている、
おじちゃん達が植えた、
フジバカマやヒヨドリバナの蜜を吸いに途中休憩しに
これからもっと
立ち寄ってくれる頭数が増えていくといいのになぁ~
今朝は、おじちゃん達が広場整備をしていたので、
ちょこっとお手伝いしている時にも
アサギマダラが飛んできて、
おじちゃん達が「たくさん仲間を連れて来てや~」と
本当に
たくさんのアサギマダラが飛び交うといいのになぁ~
今現在、九州地方で大雨が降って浸水被害が出ているとか、
その雨が午後から関西にも降ると天気予報で言っていた、
被害が出ませんように・・・・・
台風15号の被害や犠牲者も出て、
ライフライが途絶えた所もある、
1日も早く復旧して日常を取り戻してほしいです。
昨日記事を書いた後に、
スーツケースが無いことに気がついた。
もしかして泊まってくるのかなと思ったら、
午後5時頃に「今から東○鶴を出ます」とLINEがあり、
午後7時過ぎ頃に帰って来たけど・・・・・
荷物を車から降ろす気配がない・・・という事は・・・
もしもの時に備えて、すぐに向かえるように、
乗せたままにしておくということなのか
主人が何も話そうとはしないから、私も聞こうとはしない、
聞いた方がいいんかな
昨日の記事を読んだ方は、
どうして自家用車に、
ご遺体を乗せるのか疑問に思われますよね。
それには訳があるんです。
阪神淡路大震災の犠牲となった長女、
主人も私も病院に入院、私の両親、姉家族も被災して、
身動きが取れない状況のなか、主人が危険な状態に・・・
今では知られていますが、
クラッシュ症候群で大阪の病院に転院、
主人と会ったのは、
震災から1ヶ月以上は経っていたと思います。
主人や私が入院中のこと・・・・・
長女は、遺体安置所に・・・長期間安置も出来ないし、
長女を神戸で荼毘に付すことができない状況だったので、
主人の両親が、
長女の遺体を自分達の家に連れ帰ってくれ、
葬儀も執り行ってくれました。
本当に感謝しかないのですが、
住むところもなく主人の足が麻痺したままだったし、
医師からは、
「日にち薬、1日1mm神経が治っていくと思って」
と言われたので、しばらく主人の実家にお世話になることに、
・・・その時に舅に聞かせてもらったこと・・・
小さな棺がなく、大きな棺に納められた長女、
舅の軽自動車に乗せて舅が運転して、
舅は、真冬に窓もリアゲートも開け放ち連れ帰ったと、
自分のことより、
犠牲になった長女のことを思いやる言葉を私に言ってくれた。
でも姑は、
主人に知られないように「寒かった」「しんどかった」と、
いろいろと私に嫌味を言い始め、
それプラス・・・
倒壊した家から持ち出せた物も、
主人の両親が運んでくれたのですが、その時の嫌味や、
主人の身に起きたことも私のせいだと・・・・・
そこから・・・姑・義姉(長女・次女)による、
主人に知れないように、私に対しての攻撃が始まった・・・・・
お世話になっているし、
私が我慢していたらいいことだと思っていたけど、
私の心が壊れはじめていた・・・・
話しが横にそれちゃった・・・
長女を連れ帰ってくれた恩とでもいうのでしょうか
親の最後は・・・・・
自分の運転する車でと思ったのか経費節約なのか
それは、私にも分かりませんが、
舅は、何一つ私に辛い言葉も言わなかったし、
普段通りに接してくれていたし、
私だけに話してくれた舅の願い・・・
それを叶えてあげれなかったから、
その申し訳なさもあったから、
私は「いいよ」とも言わなかったけど、主人の思い通りに・・・
舅の最後は、
主人の運転する車で病院から自宅まで戻りました。
姑の事は忘れていたわけではないです。
ただの言い訳にしかならないけど、
蚊帳の外の私だから、考えないようにしていただけで、
主人のすることに文句を言ったこともない・・・・
でも・・姑となるとちょっと考えてしまう・・・・・
最後の最後に車に乗せることだけは反対・・・・
恨むことで生きてこられた(最低やけど)で書いたけど、
人として最低やけど、
我慢が恨みに変わったことで、
私自身の生きる糧にもなっていたことは確か、
「死」と向き合った時にしか、
「恨み」は消えないのかもしれない・・・・・