注:今回の日記はいつも低いテンションがより低いです。
シドニーに5年以上住んだ。
日本を離れるときには、絶対に一年で帰ってこようと思っていたのに、
それを信じる人は日本に一人もいなかった。
それもそのはず。
車を売り、10年以上使った携帯も保険も解約していた。
心の底では、日本の生活に戻る気がなかったのかもしれない。
シドニーでの生活は、楽しいことばかりだった。
もちろん、苦しかったり悲しかったりもしたけど、なんというか日本のように地に足が付いていなかったからか、それも大した苦ではなかった。
でも何よりも、人に恵まれたのだと思う。
ムッキーを筆頭に、シドニーで出会った人たちは国籍問わずいい人ばかりだった。
もちろん、嫌いな人もいたけどそういう人たちはいつの間にか離れていった。
自炊のスキルもなかったけど、日本料理店でバイトをしてなんとか包丁が使えるようになり、たどたどしいながらも寿司が作れるようになった。
臆病なのと語学力に常に不安があり、ローカルの仕事に飛び込むことはできなかったけど、
夢だった日本語教師の職に就くことができ、そこでも良い同僚や生徒さんに恵まれた。
マイキーとの生活も、お金はないけど本当に心地のいいものだった。
反面、その居心地の良さに甘えて現状で満足し、結果ビザという面で自分の首を絞めてしまった。
その結果がシドニーを離れること。
もっとガツガツと貪欲にシドニーに住むことに固執していたら、もし結果が同じだったとしても今の後悔はなかった。だから、離れた今こそ固執しようかと思っている。
それは、これからを考えると年単位で考えなければならないけど。
チェコで待ってる楽しいことや苦しいことで考えが変わるかもしれないけど。
私が日本を離れても、私は日本とつながっていて、、
故郷はいつでもここにあり、誰と結婚しようが国籍さえあればまた戻ってこれる。
でもオーストラリアは違う。
私が離れたらそれでおしまい。オーストラリアは私を無条件に受け入れるわけじゃない。
また繋がりを持ちたいなら、私が求めていかないと。
そんなふうに思った帰国後。忘れないための記録。