夏帰省の寄り道1 「1945年」という年 | e-julian let-it-be

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日々、徒然なるままあるがまま。






8月6日、広島平和記念公園へ行きました。

四国への帰省のついでに、ちょっと新幹線を乗り越して。

娘が行きたがったのが動機だったけど、
やっぱり現地へ行くことは、67年前にあったことを実感する
最良の方法だと思いました。



朝8時から45分間の原爆死没者慰霊式と平和祈念式。

すでに日差しが強く真夏日にもかかわらず、大勢の参加者がいました。
外国人もたくさん。
野田首相のお話もありました。


市内17ヵ所から集められたという水が、死没者への献水として、
霧吹きのようにときどき頭の上にふりかかります。

目をつぶり、じっと手を合わせて祈る年配の女性の姿に
思わず目頭が熱くなりました。




ひと休みして、午後からは平和記念資料館に行きました。

学生の頃に見た展示は、
原爆は惨い酷いとひたすらそれを強調してたような気がするけど、

今回は、戦争への流れや、原爆の落とされたときの状況、核をなくすための努力など、
この反省にたって、そして、現実を知って、
これからどうしたらよいかを考えさせてくれるような気がしました。



まだ明るい夕方から、とうろう流しが始まります。
夜9時を過ぎるまで、これまた大勢の人でにぎわいました。

「おばあちゃんが帰ってきとるよ」
と子どもに話しているお母さんや
とうろうを抱えている地元の小中学生などがいて、

ここ広島には、身内に原爆の犠牲者がいる人が
たくさんたくさんいるんだなと改めて思いながら、
私たちも一つとうろうを流しました。

今回ここに来たいと言いだした娘に
一つだけ伝えました。

1945年という年を、自分の中でいつも意識すること。

戦前と戦後では日本は180度変わってしまいました。

日本でも世界でも何かの出来事を考えるときに
戦前か戦後か、そして、戦後何年のことか。

それを意識することは歴史を考える上で
日本人として大切なことなんだと。

平成生まれはそこからなのかなと思いながらも、
「次の世代に伝えます」ととうろうに書いた彼女に
心の中でよろしくねとつぶやきました。




ここに原爆が落とされたのはたった67年前