わたしは彼を見る。

「わたし、」

聞こえない、とは言えない。聞こえる気がするから、聞こえないとは言えない。

 首を振る。

 その仕草に意味があったわけじゃない。むしろ何もない。

 わからないから、子供が駄々をこねるような仕草になってしまったのだ。

「わたしには、」

 また口を噤んでしまう。

 言いかけては止めている。

 本当は何を言いたいのか。

「君には、聞こえているはずですよ」

それに、と続く。

「誰の音かも知っている」

 彼は言い切る。

 わたしは口唇を結んだまま開かない。

 彼はわたしを見ている。その目が「わかっているでしょう?」と問いかけている。

 足音が近付いて来ている。

 わたしは扉に目を向けたけれど再び八須へと視線を戻した。

 わたしは彼に、どうして欲しいのだろう?

 わたしは足音の主に、どうして欲しいのだろう?

 わたしには、やはり聞こえていないのではないか。

 彼が言うから聞こえているような気になっているのではないか。

 聞こえている音は足音ではなく、風で揺れる何かの音では?

 それとも、校舎の中にいる教師や生徒たちの音ではないのか。

 わたしが望むから聞こえているだけではないか。

(気がしているだけ?)

 本当にそうなら、彼は残酷だわ。

 彼を見る。彼には確信があるのか、にこにことしているまま。

「どうして、」

 口をついて出た。聞こえている音を消したかった。それが本当かわからないから、自分から音を出すことで消そうとした。

「どうして、わかるんです?」

 彼はわたしの問に瞬きし、首を傾げた。

「聞こえてくるので、」

 戸惑ったような彼の言葉。瞳が小さく揺れた。質問の意図を探ろうとしたのかもしれない。

 わたしは首を振る。


 

 足音がする。

 八須に言われた影響だろうか。

 その音が徐々に近付いて来ているような気さえする。

 その足音は、本当に聞こえているのだろうか。彼に言われて、聞こえる気がしているだけではないのか。

 わたしは開かない扉を確認して、また彼へと視線を戻す。

「本当に、」

足音がしているのか、と聞こうとしたのに言葉に詰まってしまう。

 彼は「聞こえません?」と耳を示す。

 聞こえている、と言い切れなくて首を傾げた。

「ここにいるとだんだん、聞こえるようになって来るんです」

 彼には聞こえる、その音はやはり本当に鳴っているのだろうか。