★theBrill Building Sound ブリル・ビル・サウンド★
1940~50年代のアメリカン・ミュージックの歴史上、
“ Big Band ,Swing Jazz”ビッグ・バンド,
スィング・ジャズ黄金の全盛期だった‼‼‼
ニューヨーク・マンハッタンの中心部の一等地に49丁目通りとブロードウェイの角地に建てられた、当時ネオ・モダンなアール・デコ調の、50年代となってすでにマンハッタン一帯の摩天楼に埋没しかかっているような、古めのブリル・ビルというオフィスビル、およそ50社もの音楽出版社があったという。アルドン・ミュージック出現より以前から独立系レーベルはたくさんあった、出版社とは音楽関連として、作詞作曲されたら最初に譜面を印刷物にして、著作権の管理書類、あらゆる契約関係に回される。レコード会社はまず出版が基本的な業務となる。
独立系レーベルはミュージシャン、ソング・ライター、プレイヤーをかかえて演奏をしてギャラを稼ぐ、そしてレコード制作してメジャー・レコード会社と契約し全米に発売した。
1940~50年代のアメリカン・ミュージックの歴史上、
❝ビッグ・バンド,スィング・ジャズ黄金の全盛期の時代❞
しかもニューヨークがすべて発信地だった‼‼‼
ビッグ・バンド,スィング・ジャズもブリル・サウンドによるものも多かった、いかにもアメリカン・
サウンド、洒落ていてアメリカらしいパワフルなポピュラーなバンド・スタンドだ‼‼‼
ジャズの新しいスタイルで20~40人の大人数の編成によるアンサンブル形態で演奏され、
≪ジャズ・オーケストラ≫や≪スィング・ジャズ≫と言われていた。
ポップス音楽としてTOP100にチャート・インもしていた、
パート毎に何本ものトランペット,サクソフォーン,トロンボーンなど金管楽器、ピアノ,ギター、ベース、ドラムの強烈なサウンド・パワーに、観客はウキウキとリズムをとりながら仕舞いには激しく踊りだす。ビバップ・ブギウギ・ラテン・ジャイブなど男女がダンス・ステップを踏み、狂乱のダンス・パーティと
なって『オオ騒ぎ‼‼』。
時代はロックンロールが登場する以前のことだったが、明らかに≪スィング・ジャズ≫が
ロックンロールの発火点になったことは、間違いないと思う‼‼‼
それからロックンロールが登場した時は大人たちからは揶揄の意味を込めてビッグ・バンドの
オオ騒ぎの熱が冷めずロックンロールも『ランチキ騒ぎ‼‼』といわれた‼‼‼
空前の≪ジャズ・オーケストラ≫、熱狂の≪ビッグ・バンド≫、
最高の≪スィング・ジャズ≫
60‘sファビュラス・オールディズの≪ビッグ・バンドスィング・ジャズ≫の
偉大なバンドマスターと楽団の数々・・・・
≪グレン・ミラー楽団≫
〝ムーンライト・セレナーデ″〝イン・ザ・ムード″〝茶色の小瓶″〝チャタヌガ・チュチュー″
〝タキシード・ジャンクション″〝アメリカン・パトロール″他多数。
トロンボーン奏者で指揮したバンドリーダー。作詞作曲が数多くあり第二次大戦中は
航空部隊に志願して≪グレン・ミラー&ザ・アーミー・フォース・バンド≫となってバンドリーダーの
グレン・ミラーをはじめバンド・プレーヤーが全員軍服で正装してミリタリーで演奏した、
第二次大戦中アメリカをビッグ・バンドで鼓舞したのは有名なことだった。
≪トミー・ドーシー楽団≫
早くから楽団を組んで演奏活動していた。メンバーだったこともあるグレン・ミラー、兄のジミー・
ドーシーも別の楽団をもっていた、そして楽団をバックに、ポピュラージャズを歌っていたのは、
当代人気No.1エンターティナーのフランク・シナトラその人で、ミュージカル主演映画でも歌い
最高の歌手であることを称えられ「The Voice(ザ・ヴォイス)」といわれた。
エルヴィスが出現するまでの人気No.1はフランク・シナトラだった。女性のフアンをキャー!キャー!
キャー!とクレイジーにさせていた。しかしその天下を奪って人気を得て世代交代したのは
エルヴィスだった。
≪デューク・エリントン楽団≫
デュークとは≪公爵≫と言うニックネームは、身だしなみのいい服装をしていたことから、
友人からつけられた。黒人の家族として子供の頃から裕福だった。そして音楽の教養はとても
高度な音楽理論を学び、ピアノ・プレイヤーとして、黒人として他のバンドより早く
ビッグ・バンドのマスターになったのは全く異例だった。
マンハッタン・ハーレムにある有名な高級ナイト・クラブ【コットン・クラブ】で演奏し続けていた。
観客は全員裕福な白人、ビッグ・バンドを演奏しているのは全員黒人だった。
〝A列車で行こう″〝キャラバン″〝スィングしなけりゃ意味ないね″〝サテン・ドール″
≪カウント・ベイシー楽団≫
カウントとは《伯爵》と言うニックネームを公式な芸名で通している。他のジャズメンもニックネームで呼ばれている「ファッツ(太った)ウォーラー」「ディジー(クラクラする目まいがする)ガレスピー」
黒人でピアニストのバンドマスターで『オール・アメリカン・リズムセクション』とたたえられていたが、圧倒的なリズム感、更には後々に出現してくるロックンロールの前兆だったかもしれない。
〝ワン・オクロック・ジャンプ″〝恋人よ我に返れ″〝パリの四月″
≪ベニー・グッドマン楽団≫
貧しいロシア系ユダヤ移民で子だくさんの家庭に生れた為、小さい頃には福祉施設に預けられ
地元の音楽教室では無償で習っていた、まったく学校へは行かず苦労して育った。
その為早くも11才でクラリネットの演奏をして生活費を稼いでいた。
いろいろな人の付き合いや又助けがあって、音楽的才能に目覚めていった。
クラリネット演奏しながら指揮をとるバンドマスター。そして黒人のプレイヤーを数多く採用した。
スィングだけでなくクラシックまでオーケストラして、幅広い音楽性と真摯な態度で
〝The King of Swing″(キング オブ スィング)と称えられた。
〝シング シング シング″
スィングのスタンダード・ナンバーとして誰もがよく知る、そしてとても印象的な曲の途中で、曲が一旦止まったところでドラム・ソロが猛然と始まり、アフロ・ビートか
それ以上の原始的な音で激しく響きわたる。しかも延々と長時間にわたってプレイしたのは
ジーン・クルーパという白人だった。この衝撃的なプレイはドラムの概念を変えたとされている。
〝ボディ&ソウル″〝ドント・ビー・ザ・ウェイ″