《60`s ファビュラス・オールディズ》 # 2 | JOSE❛n❜GEE   Party club

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《60`s ファビュラス・オールディズ》 # 2
the Brill Building Sound ≪ブリル・ビル・サウンド≫

アメリカアメリカアメリカニューヨーク・マンハッタンで世界一ポピュラーな観光スポット、タイムズスクエア近くにある古めのブリル・ビル、オフィスビルで音楽関係の会社が数十社も入居していた。
そのうちの独立系レーベルのアルドン・ミュージック(レコーディング・

スタジオも備えていた)少数精鋭でレコードを独自に制作して、メジャー・レコード会社に全米規模で発売してもらう契約をむすぶ。
アメリカ50年代後半60年代のアメリカン・ポップスで一世を風靡していた、カラオケカラオケ
≪ブリル・ビル・サウンド≫とはどう言うサウンド・スタイルだったか‼

ポップス、バラッド、リズム&ブルーズ、ドゥ・ワップ、ロックンロールなどがチョット違う。ルンルンドラムギターマイクラブラブ

ロックンロールの衝撃的ブームが起こり、又それ以前からアメリカの根強い保守的なガチガチの

市民社会があって、学校PTA団体、宗教信者団体が何かにつけてプラカードを掲げて、

真面目クサった顔をしたパパやママが、町中デモ行進するなんてことは日常茶飯事だった、

ロックンロールも目を付けられていた。
ポップス・シーンは、60年代と言うあるホット・スポットに突入していた。才能あふれるシンガー

ソング・ライターの数多くがカリスマ共同経営のドン・カーシュナーのもとに集まって、そのドンの

大号令で『誰よりも新しいスマッシュ・ビックヒットを作れ、書け、生み出せ‼‼‼』とハッパを掛け

マクった、競わせることに躍起になっていた。
そのドンをはじめその殆どのミュージッシャンはユダヤ人ユダヤ系で占められていた。
その強い結束力のもとスマッシュ・ビッグヒッツを連発していて、当てたソング・ライターは

リスペクトされ賞賛のパーティは乾杯のワインの雨‥‥‼‼
そしてビルボードHOT100にアルドン・ミュージック全社をあげて一喜一憂。
ハートラブラブ新曲ポップス・チューンはファンシー、ファンタスティック、ソフトリー、スウィート、ルンルン

音符ガールズライクなティーンネイジャー・チューン、これならママも大目に見てくれる。

キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンの夫婦で作詞作曲した

車電車地下鉄〝ロコモーション″リトル・エヴァ クマ
会社の掃除係のアルバイトでホウキを持っていた十代の黒人おチビちゃんにデモ・テープに、ヘッドフォン

とりあえず「チョット歌っておいて‥‥」誰か本命に歌わせて売り出そうかと思案しているうちに、

おチビちゃんが初めて歌ったにしては、チョッとリズム感よく歌っちゃったんで、マア~これでも

イイかなと、リトル・エヴァと名前つけてシングル・カットのドーナツ盤を売り出したところ、

予想もしないスマッシュ・ビックヒットしてしまった。ドキドキラブラブ
〝ロコモーション″リトル・エヴァ全米第1位‼‼


その他にも、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンで、
〝ウィル ユー ラブ ミー トゥモロウ″黒人5人グループのザ・シレルズ全米第1位
〝テイク グッド ケア オブ マイ ベイビー″ ボビー・ビー
〝アップ オン ザ ルーフ″ ザ・ドリフターズとスマッシュ・ビッグヒットの連発で‼‼
自らもピアノの弾き語りで、〝ユーヴ ガッタ フレンド″〝イッツ トゥ レイト″等。
ソロ・アルバム『つづれ織り(タピストリー)』で全米15週間第一位、

キャロル・キングは女の子アイドル・シンガーで最初の天才的ソング・ライターと言われた。
友達のニール・セダカは、彼女が可愛くて〝オオ!キャロル″という歌まで作って、

スマッシュ・ヒットをものにした。グッOK