“Love Me Tender” ≪E-L-V-I-S L-I-V-E-S, Cover Song≫ Vol. 10
(「やさしく愛して」____エルヴィスは生きている、カバーソング。)
1956年エルヴィスが超有名テレビ番組『エド・サリバン・ショー』に初出演した時、驚異的視聴率82.6%を叩き出した、もう既にテレビの前のファミリーはロックンロールのヤンキー・ボーイを知っていて、登場に視線が釘ズケ、まずは『ハウンド・ドッグ』をアコ・ギターを首まで抱え上げて歌った、腰をセクシーに振るのをテレビでは下半身は映らないようにされるから。そして『ラブ ミー テンダー』もテレビで初披露した、その直後レコーディングもしていないのにRCAビクターレコードに100万枚の予約が殺到したという。しかもエルヴィスはロックンロールで快進撃始めたばかりなのに、何と急に初めての美しいソフトリーなスロー・バラッド曲を歌ったと話題の尽きない記念的レコードとなった。
もちろんビルボードHOT100ではロックンロール3曲に続いて5週連続第1位を記録。
更にこの『ラブ ミー テンダー』は≪カバーソング≫だったことは知る人ぞ知るで、チョット深く古い、いわれがあった。オリジナルは19世紀アメリカの庶民の間で爆発的に人気があった【ミンストレル・ショー】という舞台劇で、歌あり踊りあり(黒人音楽の範囲)コントありケンカありの、庶民が求めたお笑いのドタバタ・ショーの一つの演目の一曲「オーラ・リー(人の名前)」からメロディだけを取り上げたと言われている。
歌詞もテーマもラブ ミー テンダー』とは一切関係のない別物に作られている。
それでは【ミンストレル・ショー】とはどういうものか、アメリカ南北戦争後の奴隷解放によって、黒人達も舞台やショーに出演する様になってきた。そして白人は演技として顔に真っ黒いコルクの墨を塗りタクって、白人が黒人に扮して黒人を滑稽に見下しバカにした演技で笑いを誘う。更に黒人も演技として素顔ではなく顔に何と、あえて真っ黒いコルクの墨を塗りタクって登場して滑稽に見下されバカにされパンチされたり蹴とばされたりの役を演技した。黒人差別、軽蔑と揶揄は当たり前、劇場は大爆笑の渦を巻き起こして楽しんだ。
19世紀アメリカは黒人差別の問題は一切ないと言ってもいい時代だったから‥‥‼‼‼
エルヴィスの『ラブ ミー テンダー』は古い≪カバーソング≫だったのだ。ロックンロール快進撃始めたところで、何と美しいソフトリーなスロー・バラッド曲で話題の尽きない記念的レコードを、リリースしたのか、つまり60年代になって黒人でも誰でも関係なく『やさしく愛して』あげたいという気持ちから、エルヴィスは歌い上げたと思いたい‥‥
エルヴィスは幼少のころから黒人が大勢を占めている教会へ敬けんな両親に連れられて、祈りを捧げて育っていったのだった‥‥
※ ≪はじめてのアメリカ音楽史≫黒人音楽のミンストレル・ショーより 早稲田大学名誉教授でアメリカ音楽、黒人文化の専門研究者、南部テネシ―州出身で大の親日家日本語で教えているジェームス・M・バーダマン氏、ポッチャリ笑顔のチャーミングな白人の方(お顔の写真がある)と評論家の里中哲彦氏(早稲田大学エクステンションセンター講師)の対談の本(ちくま新書)を参考にさせて頂きました。