表題にした 「オリンピック作戦」 というのは、スポーツの祭典であるオリンピックとはほとんど関連がありません。
1945年第二次世界大戦の終盤に、連合軍(主に米軍)が計画した、
日本本土上陸作戦のうちの九州南部への作戦名
です。
さて、今日2021/8/8、東京2020オリンピック大会の最終日。
一年遅れて開催されてきて、マラソン男子などが行われた後、夜には閉会式。
コロナ禍、組織委員会の不祥事や不適切発言などに揺れ、当初から懸念されていた酷暑の中で開催強行されましたが、何とか終わりそうです。
健闘したすべての選手を讃えたいと思います。
ただ、期間中コロナの感染者数が増加を続け、緊急事態という状態に戻りました。
当初懸念されていた国民や専門家の声を無視する、という主催者や政府への批判はあって当然です。
オリンピックの開催を政治的に利用しようという目論見といいますか、作戦は誤りであったことが露見しました。
私の世代には1964年の東京大会が10月といういい季節であった、それがスポーツの日につながったとの記憶もよみがえります。
さて話を元に戻し、スポーツではない方の
「オリンピック作戦」
実際にはこの作戦実施前に日本が無条件降伏したため、これは実行されませんでした。
県立加治木高等学校の校門わきに。「殉難学徒の碑」があります。
これは1945年8月11日の出校日に米軍の空襲を受けて、亡くなられた15名の学生の追悼するものです。
戦争とはいえ、米軍は無差別に市民を機銃掃射で、市街地を焼夷弾で爆撃しており、人道的には許せるものではありません。
実はこの前日の8月10日、御前会議ではポツダム宣言を受諾し、降伏するとのご聖断が下されておりました。
戦争が続けられ、亡くなった方が多数あることに、本当に心が痛みます。
そのほか、web から拾ったものなども紹介しながら、自分の中で振り返ってみたいと思います。
BRITANICA 百科などによると、オリンピック作戦は、第二次世界大戦の終結について連合国の首脳間で話し合われる中で、11月1日に行われる予定であったことが分かっています。
オリンピック作戦の実行に移す前に、日本軍の航空戦力をさらに低下させるため、すでに2度にわたる原爆の投下などで瀕死の状態にあった日本本土への上陸を容易ならしめるためかと思われますが、鹿児島の加治木などが標的にされました。
私の4年前の記事です。
今の時代も、戦争や地域紛争により、中東などでは一般市民の子供たちが犠牲になっています。
切に世界平和を祈るものです。