多摩川水害(1974年)と「岸辺のアルバム」(1) | 空と歴史が好きな jukushi が 安全性について考えるブログ

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~ 防災週間 ~

 

9月1日 の 防災の日 

は、1960年代に関東大震災の記憶をとどめる目的で始まりました。


この時期は台風などによる洪水やがけ崩れなどの被害も多く発生します。

 

9月1日といえば、私の記憶に鮮明に残っているのは、1974年に起きた、東京都狛江市の 

多摩川堤防決壊 による水害 

です。


日をまたいで翌日2日までに、えぐられた堤防から

住宅19棟が流失

しましたが、報道機関の映像により、その生生しい映像は全国に中継されました。

 




3年後、TBS系列のTVで 

「岸辺のアルバム」 

というドラマが放映されたので、年配の方は改めて思い出した方も多いと思います。


家庭崩壊をテーマにしており、清純派女優の筆頭である 八千草薫 さんが、ごく普通の家庭の主婦ながら次第に不倫におぼれていく様を演じ、話題になりました。




 

この洪水の始まりは、9月1日四国に上陸した台風16号の影響によります。


前前日の8月30日夜より降り始めた雨は、31日夜には、台風中心から離れた関東でも停滞していた前線に南からの湿った空気が流れ込んで大雨となりました。

 

9月1日、多摩川上流の小河内ダムでは貯水量が限界を越えたため、通常の35倍の毎秒700トンの放流を始めました。


同日14時頃、狛江市猪方地先に設けられた内堤防が、勢いを増した水流に耐えられずに決壊しました。


この内堤防は河原のテニスコートや児童遊び場などを守るためにありました。

 

内堤防が崩れた原因は、高さ約2mの二ヶ領宿河原堰と呼ばれる堰により、妨げられた水流が迂回流となって左岸の内堤防を直撃したためでした。


これは川崎市内を流れる人工の二ヶ領用水路の取水口に水を導くために設けられた堰でした。

 

そのうち、勢いを増した多摩川の迂回水流は本堤防を決壊させます。



(次回に続く)