1945年8月11日、鹿児島県の中央の加治木が空襲を受けました。
1回目の御前会議でポツダム宣言受諾の御聖断のあった翌日でした。
米軍機は市街地に焼夷弾による爆撃を行い、また機銃攻撃で旧制加治木中学の学生15人のほかの一般市民が亡くなりました。
(画像は広報加治木より)
加治木高校内の一角に「受難学徒の碑」があります。
この空襲が行われたのは何故か?
前提に連合軍の本土上陸作戦がありました。
その11月に予定されていたものは、オリンピック作戦と呼ばれる九州南部へのものでした。
(画像はウィキペディア)より
この事は戦後50年以上経ってだんだん分かって来ました。
次回以降にウェブによる参考資料を紹介します。
今は平和な日本、しかし世界に目を向けると戦争により子供たちが犠牲になる日が未だにあります。