リンドバーグ単独大西洋無着陸飛行から90年 | 空と歴史が好きな jukushi が 安全性について考えるブログ

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1927年5月20日朝、チャールズ・リンドバーグ/Charles Augustus Lindbergh はニューヨークを飛び立ち、翌21日夜 パリに着陸しました。
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リンドバーグは単座のスピリッツ・オブセントルイスと名付けられた特別仕様の飛行機により、世界で初めて単独による大西洋の無着陸横断に成功し、飛行時間は33時間29分とされています。

出発地はニューヨーク郊外ロングアイランドのルーズベルト飛行場。
ここは第二次世界大戦中は空軍基地で、現在は航空博物館、アイスホッケーのアリーナ、ホテル、複数の大学などになっており、付近のショッピングセンターにその名が残っています。

到着地はパリ郊外のルブルージュ飛行場。かつての国際空港で、今もパリ国際航空ショーが開かれるなど有名な飛行場で、隣接した航空宇宙博物館にはコンコルドなどのフランス製の航空機が展示されています。

自伝"The Spirit of St. Louis" によると、途中何度も睡魔に襲われたとあります。
天候、体調、それに燃料追加搭載のために操縦室前方が見えない仕様になってしまった飛行機の操縦など条件は極めて過酷であったと推察されます

ホテル経営者オルティグの、 ~ 単独で成功すれば賞金25,000ドル ~  に応募したものですが、この飛行の成功でそれ以上の名声を得ました。

しかしその後、子供の誘拐殺人事件に巻き込まれるなど、必ずしも幸福ではありませんでした。

ちなみに
“翼よ、あれがパリの灯だ!”
と叫んだとういうのは、全く作り話で後世の日本人がつけたものです。

彼の自伝の邦訳がこの名前で発刊されたことと、作られた映画も日本ではこのような題名だったので誤解されているようです。
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1970年の大阪万博には来日し、大きなニュースになりました。

以外に知られていませんが、リンドバーグの功績に、人工心臓の開発があります。
ノーベル賞外科医のアレキシス・カーネルとの共同人工心臓の研究を行い、現代の人工心臓とは異なりますが、研究がその後のこの分野に受け継がれてきているといえます。

飛行の詳細は 自伝をお読み頂くとして、時間のない方は wikipedia にあります

また単独ではない大西洋無着陸横断では、これに遡ること7年、1919年にジョン・オルコック  と アーサー・ブラウンにより達成されており、女性の単独横断は5年後の1932年に アメリア・イヤハートにより達成されています。