西郷隆盛と並び鹿児島では偉人と評されるのが、日露戦争当時の連合艦隊司令長官だった東郷さん。
秩父(1925建立)や鹿児島(1957建立)、横須賀(1967)に銅像があります。
大久保利通の鹿児島の銅像が建ったのが明治100年の1968年でしたので、東郷さんがいかに慕われているかがわかります。
東郷さんは軍人ですし、私の父親もまた軍人でした。
軍人とは国家が戦うための職業です。
私は戦争は嫌いです。
戦争を経験した両親に、戦争がいかに虚しく、人間を人間で無くし、人を悲しませるかを散々聞いて育ちました。
しかし、東郷平八郎その人柄、リーダーとしての人格については尊敬するものです。
冷静沈着。
卓越したリーダーシップ。
殆どの仕事は部下を信頼して任せても、自己の責任として全てを負い、いざとなると前面に立つ。
備えを怠らず、訓練を徹底する。
東郷さんの人生での逸話がいくつかあります。
後年作られたものが無いと断言はできませんが、人柄を知る読み物は多いです。
これを書く前に、5/14 (1878)が紀尾井坂の変で、大久保利通の事に触れようかとも思ったのですが、5/15(1904)の旅順港閉塞作戦で気になる記事を見つけたので、自分の記録としても残しておきます。
旅順港閉塞作戦は何度かに分けて行われ、東郷さんは「概ね成功セリ」と打電していますが、歴史的には作戦は失敗に終わったと評されることが多いようです。
記事を「歴史街道」からお借りします。
東郷さんについては、日本海海戦5/27-28(1905)、命日5/30(1934)と、関連事項が5月にいくつかあります。