第2問 次の文章は、太宰(だざい)治(おさむ)の小説「律子と貞子」(昭和17年発表)の全文である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に【1】~【24】の番号を付してある。

 

(前略)

【11】 「行こ行こ。」妹の貞子は、二人を促し、さっさと歩いて、そうして、ただもう、にこにこしている。「久し振りね、実に、久し振りね、夏にも来てくださらなかったしさ、それから、春にも来てくださらなかったしさ、そうだ、ひどいひどい、去年の夏も来なかったんだ、なあんだ、貞子が卒業してから一回も吉田へ来なかったじゃないか、ばかにしてるわ、東京で文学をやってるんだってね、すごいねえ、貞子を忘れちゃったのね、堕落しているんじゃない? 兄ちゃん! こっちを向いて、顔を見せて! そうれ、ごらん、心にやましきものがあるから、こっちを向けない、堕落してるな、さては、堕落したな、丙種になるのは当(あた)り前さ、丙種だなんて、貞子が世間に恥ずかしいわ、志願しなさいよ、可哀想(かわいそう)に可哀想に、男と生(うま)れて兵隊さんになれないなんて、私だったら泣いて、そうして、血判を押すわ、血判を三つも四つも押してみせる、兄ちゃん! でも本当はねえ、貞子は同情してるのよ、あの、あたしの手紙読んだ? 下手だったでしょう? おや、笑ったな、ちきしょうめ、あたしの手紙を軽蔑したな、そうよ、どうせ、あたしは下手よ、おっちょこちょいの化け猫ですよ、あたしの手紙の、深いふかあい、まごころを蹂躙(じゅうりん)するような悪漢は、のろって、のろって、のろい殺してやるから、そう思え! なんて、寒くない? 吉田は、寒いでしょう? その頸巻(くびまき)、いいわね、誰に編んでもらったの? いやなひと、にやにや笑いなんかしてさ、知っていますよ、節ちゃんさ、兄ちゃんにはね、あたしと節ちゃんと二人の女性しか無いのさ、なにせ丙種だから、どこへ行ったって、もてやしませんよ、そうでしょう? それだのに、意味ありげに、にやにや笑って、いかにも他にかくれたる女性でもあるような振りして、わあい、見破られた、ごめんね、怒った? 文学をやってるんですってね? むずかしい? お母さんがね、けさね、大失敗したのよ、そうしてみんなに軽蔑されたの、あのね、――」とめどが無いのである。
【12】 「貞子。」と姉は口をはさんだ。「私はお豆腐屋さんに寄って行くからね、あなた達さきに行ってよ。」
「豆腐屋?」貞子は少し口をとがらせて、「いいじゃないか。一緒に帰ろうよ。いいじゃないか。お豆腐なんて、無いにきまっているんだ。」
「いいえ。」律子は落ちついている。「けさ、たのんで置いたのよ。いま買って置かなければ、あしたのおみおつけの実に困ってしまう。」
「商売、商売。」貞子は、あきらめたように(イ)合点合点した。「じゃ、あたし達だけ、先に行くわよ。」
「どうぞ。」律子は、わかれた。旅館には、いま、四、五人のお客が滞在している。朝のおみおつけを、出来るだけ、おいしくして差し上げなければならぬ。
【13】 律子は、そんな子だった。しっかり者。顔も細長く蒼白(あおじろ)かった。貞子は丸顔で、そうしてただ騒ぎ廻(まわ)っている。その夜も貞子は、三浦君の傍(そば)に附(つ)き切りで、頗(すこぶ)るうるさかった。

 

問1 傍線部(ア)~(ウ)の本文中における意味として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。

 

(イ) 合点合点した

 

① 繰り返しうなずいた ② 何度も確認した ③ 繰り返し言いつのった ④ 何度も同意した ⑤ 繰り返しからかった

 

 まず、語句の問題です。

  前回 にも書いたように、「本文中における意味」を選べ、と問われてはいますが、辞書的な意味を優先して考えます。

 

 「合点」を手持ちの国語辞典(『学研 現代新国語辞典 改訂第四版』(学研))で引くと、次のようにあります。

 

 《名・自サ》了解・承知・納得すること。がてん。「おっと――承知の助」

 

 ということで、正解はどれでしょうか?

 

 …辞書的な意味からすると「何度も同意した」みたいに思いますが、正解は「繰り返しうなずいた」になっています。

 確かに、常識的に考えて「何度も同意した」ではおかしいですね。

 現代文の問題は、常に常識が最優先です。

 では、本文の続きを見ていきます。

 

【14】 「兄ちゃん、少し痩せたわね。ちょっと凄味(すごみ)が出て来たわ。でも色が白すぎて、そこんとこが気にいらないけど、でも、それでは貞子もあんまり欲張りね、がまんするわよ、兄ちゃん、こんど泣いた? 泣いたでしょう? いいえ、ハワイの事、決死的大空襲よ、なにせ生きて帰らぬ覚悟で母艦から飛び出したんだって、泣いたわよ、三度も泣いた、姉さんはね、あたしの泣きかたが大袈裟(おおげさ)で、気障(きざ)ったらしいと言ったわ、姉さんはね、あれで、とっても口が悪いの、あたしは可哀想な子なのよ、いつも姉さんに怒られてばっかりいるの、立つ瀬が無いの、あたし職業婦人になるのよ、いい勤め口を捜して下さいね、あたし達だって徴用令をいただけるの、遠い所へ行きたいな、うそ、あんまり遠くだと、兄ちゃんと逢えないから、つまらない、あたし夢を見たの、兄ちゃんが、とっても派手な絣(かすり)の着物を着て、そうして死ぬんだってあたしに言って、富士山の絵を何枚も何枚も書くのよ、それが書き置きなんだってさ、おかしいでしょう? あたし、兄ちゃんも文学のためにとうとう気が変になったのかと思って、夢の中で、ずいぶん泣いたわ、おや、ニュースの時間、茶の間へラジオを聞きに行きましょう、兄ちゃん今夜、サフォの話を聞かせてよ、こないだ貞子はサフォの詩を読んだのよ、いいわねえ、いいえ、あたしなんかには、わからないの、でもサフォは可哀想なひとね、兄ちゃん知ってるでしょう? なんだ、知らないのか。」やはり、どうにも、うるさいのである。律子は、台所で女中たちと共にお膳の後片附けやら、何やらかやらで、いそがしい。ちっとも三浦君のところへ話しに来ない。三浦君は少し物足りなく思った。
【15】 あくる日、三浦君は、おいとまをした。バスの停留所まで、姉と妹は送って出た。その途々(みちみち)、妹は駄々をこねていた。一緒にバスに乗って船津までお見送りしたいというのである。姉は一言のもとに、はねつけた。
「私は、いや。」律子には、いろいろ宿の用事もあった。のんきに遊んで居られない。それに、三浦君と一緒にバスに乗って、土地の人から、つまらぬ誤解を受けたくなかった。おそろしかった。けれども貞子は平気だ。
「わかってるわよ。姉さんは模範的なお嬢さんだから、軽々しくお見送りなんか出来ないのね。でも、あたしは行くわよ。もうまた、しばらく逢えないかも知れないんだものねえ。あたしは断然、送って行く。」
【16】 停留所に着いた。三人、ならんで立って、バスを待った。お互いに気まずく無言だった。
B「私も、行く。」幽(かす)かに笑って、律子が呟(つぶや)いた。
「行こう。」貞子は勇気百倍した。「行こうよ。本当は、甲府まで送って行きたいんだけど、がまんしよう。船津まで、ね、一緒に行こうよ。」
「きっと、船津で降りるのよ。町の、知ってる人がたくさんバスに乗っているんだから、私たちはお互いに澄まして、他人の振りをしているのよ。船津でおわかれする時にも、だまって降りてしまうのよ。私は、それでなくちゃ、いや。」律子は用心深い。
「それで結構。」と三浦君は思わず口を滑らせた

 

(注)

ハワイの事…1941年12月8日、日本海軍はハワイオアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地を航空機および潜航艇によって攻撃した。この「真珠湾攻撃」によって太平洋戦争が始まった。

サフォ…古代ギリシャの女性詩人。サフォー、サッフォーとも記される。

 

 いかがでしょうか?

 太宰さんの本領発揮というか、女性の語り口調を描くのがほんとにうまい!

 

問3 傍線部B「『私も、行く。』幽かに笑って、律子が呟いた。」とあるが、ここには「律子」のどのような気持ちがあると考えられるか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

 

① 旅館の用事も土地の人の評判も大事にしなくてはならず、男をバスで見送ってなどいられないと思っていたが、自分が帰れば妹は憲治と二人で甲府まで行ってしまうかもしれず、妹の評判を守るためには同行もやむを得ないとあきらめる気持ち。

 

② 旅館を切り盛りする忙しさに加えて周囲の目を怖れ、バスに同乗して男を見送ることにためらいを覚えはするものの、頑(かたく)なに同行を拒んでこのまま大した会話もしないまま、憲治としばらく逢えなくなってしまうのを心残りに思う気持ち。

 

③ 旅館の顔である自分が不名誉な噂を立てられてはならず、男を送ってバスに乗るわけにはいかないと思っていたが、それではわざわざ遠くまで訪ねてきた憲治への礼を欠くことになり、それもまた自分の名誉にかかわると反省する気持ち。

 

④ 旅館を真面目にやりくりし女性としても模範的と見られており、男とバスに同乗して折角の評判を落とすのは嫌であるが、自分の拒絶のせいで皆が無言になってしまう気まずさに堪えられなくなり、この際は妥協し犠牲になろうと覚悟する気持ち。

 

⑤ 旅館の仕事と世間の評判に甲斐(かい)を感じて生きており、男を送ってバスに乗るなどということに浮かれるのはばかげていると思いはするものの、いざ憲治と並んで立ってみると意外に悪い気がせず、思わず心が浮き立つのを抑えられない気持ち。

 

 さて、正解はどれでしょうか?

 

語呂合わせは

「行く用意(1941) できて急襲 真珠湾」。

画像は『新詳日本史』

(浜島書店・2012年版)から。

ハマスのこともそうだけど、戦争って

『進撃の巨人』みたいな話だなあ、

と思います。

 

(つづく)