第2問 次の文章は、太宰(だざい)治(おさむ)の小説「律子と貞子」(昭和17年発表)の全文である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に【1】~【24】の番号を付してある。

 

【1】 大学生、三浦憲治君は、ことしの十二月に大学を卒業し、卒業と同時に故郷へ帰り、徴兵検査を受けた。極度の近視眼のため、丙種でした、恥ずかしい気がします、と私の家へ遊びに来て報告した。

「田舎の中学校の先生をします。結婚するかも知れません。」

「もう、きまっているのか。」

「ええ。中学校のほうは、きまっているのです。」

「結婚のほうは、自信無しか。極度の近視眼は結婚のほうにも差支(さしつか)えるか。」

「まさか。」三浦君は苦笑して、次のような羨(うら)やむべき艶聞を語った。艶聞というものは、語るほうは楽しそうだが、聞くほうは、それほど楽しくないものである。私も我慢して聞いたのだから、読者も、しばらく我慢して聞いてやって下さい。

【2】 どっちにしたらいいか、迷っているというのである。姉と妹、一長一短で、どうも決心がつきません、というのだから贅沢(ぜいたく)な話だ。聞きたくもない話である。

【3】 三浦君の故郷は、甲府市である。甲府からバスに乗って御坂峠(みさかとうげ)を越え、河口湖の岸を通り、船津を過ぎると、下吉田町という細長い山陰(やまかげ)の町に着く。この町はずれに、どっしりした古い旅籠(はたご)がある。問題の姉妹は、その旅館のお嬢さんである。姉は二十二、妹は十九。ともに甲府の女学校を卒業している。下吉田町の娘さん達(たち)は、たいてい谷村か大月の女学校へはいる。地理的に近いからだ。甲府は遠いので通学には困難である。けれども、町の所謂(いわゆる)ものもちは、そのお嬢さん達を甲府市の女学校にいれたがる。理由のない見識であるが、すこしでも大きい学校に子供をいれるという事は、所謂ものもちにとっては、一つの義務にさえなっているようである。姉も妹も、甲府女学校に在学中は、甲府市の大きい酒屋に寄宿して、そこから毎日、学校に通った。その酒屋さんと、姉妹の家とは、遠縁である。血のつながりは無い。すなわち三浦酒造店である。三浦君の生家である。

【4】 三浦君にも妹がひとりある。きょうだいは、それだけである。その妹さんは、二十。下吉田の姉妹と似た年である。だから三人姉妹のように親しかった。三人とも、三浦君を「兄ちゃん」と呼んでいた。まず、今までは、そんな間柄なのだ。

【5】 三浦君は、ことしの十二月、大学を卒業して、すぐに故郷へ帰り徴兵検査を受けたが、極度の近視眼のために、不覚にも丙種であった。すると、下吉田の妹娘から、なぐさめの手紙が来た。あまり文章が、うまくなかったそうである。センチメンタル過ぎて、あまくて、三浦君は少し(ア)閉口したそうである。けれども、その手紙を読んで、下吉田の姉妹を、ちょっと懐(なつか)しく思ったそうである。丙種で、三浦君は少(すくな)からず腐っていた矢先でもあったし、気晴(きばら)しに下吉田のその遠縁の旅館に、遊びに行こうと思い立った。

【6】 姉は律子。妹は貞子。之(これ)は、いずれも仮名である。本当の名前は、もっと立派なのだが、それを書いては、三浦君も困るだろうし、姉妹にも迷惑をかけるような事になるといけないから、こんな仮名を用いるのである。

【7】 三浦君が甲府からバスに乗って、もう雪の積(つも)っている御坂峠を越え、下吉田町に着いた頃には日も暮れかけていた。寒い。外套(がいとう)の襟を立てて、姉妹の旅館にいそいだ。

【8】 途中で逢(あ)ったというのである。姉妹は、呉服屋さんの店先で買い物をしていた。

「律ちゃん。」なぜだか、姉のほうに声をかけた。

「あら。」と、あたりかまわぬ大声を出して、買い物を店先に投げとばし、ころげるように走って来たのは、律ちゃんではなかった。貞ちゃんのほうであった。

【9】 律子は、ちらと振り返っただけで、買い物をまとめて、風呂敷に包み、それから番頭さんにお辞儀をして、それから澄まして三浦君のほうにやって来て、三浦君から十メートルもそれ以上も離れたところで立ち止(どま)り、ショオルをはずして、丁寧にお辞儀をした。それから、少し笑って、

「節子さんは?」と言った。節子というのは、三浦君の妹の名前である。

【10】 A律子にそう言われて、三浦君は、どぎまぎした。なるほど、妹も一緒に連れて来たほうが自然の形なのかも知れぬ。なんだか、みんな見抜かれてしまったような気がして、頬がほてった。

「急に思いついて、やって来たのですよ。こんど田舎の中学校につとめる事になったので、その挨拶かたがた。」しどろもどろの、まずい弁解であった。

 

(注)

徴兵検査…国家が兵を徴集するために行う兵役適否の検査。「丙種」は判定区分において甲種、乙種の下となる。

 

  前回 から読み始めた『2019・駿台 センター試験 実戦問題集 国語』(駿台文庫)の問題。

 太宰治さんの短編小説『律子と貞子』の、出だしからの約3分の1のところまで読みました。

 ここで問題。

 

問1 傍線部(ア)~(ウ)の本文中における意味として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。

 

(ア) 閉口した

 

 (イ)~(ウ)はまたあとで出てきます。

 語句の意味を答える問題です。

 「本文中における意味」を選べ、とありますが、駿台の解説にはこうあります。

 

 「本文中における意味」といっても、辞書で説明されている原義をまったく離れた意味が、文脈によって生じるわけではない。あくまで、根本は原義である。それを念頭に選ぶことが肝要である。」

 

 「閉口」を手持ちの辞書(『学研 現代新国語辞典 改訂第四版』(学研))で引くと、こうあります。

 

 《名・自サ》(口を閉じてだまってしまう意から)手におえなくて困ること。「彼のがんこさに――する」 類語…お手あげ。辟易(へきえき)。

 

 ということで、選択肢を見てみましょう。

 

① がっかりした ② 照れくさかった ③ あきあきした ④ 恥ずかしかった ⑤ うんざりした

 

 さて、正解はどれでしょうか?

 

 もちろん、「うんざりした」ですね。

 続いて、問2。

 

問2 傍線部A「律子にそう言われて、三浦君は、どぎまぎした。」とあるが、なぜか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

 

 これを問うのは、ちょっと酷(こく)というか、野暮(やぼ)な話ではないでしょうか。

 そんなの言わなくても分かるだろう、という話です。

 選択肢は以下の通りです。

 

① 訪問の動機がちょっと思い立って軽く気晴らししたかったという程度のものであることを律子に見透かされ、軽く皮肉られたように感じたから。

 

② 律子の言葉によって訪問の動機がひとえに姉妹に逢いたかったというものであることを不意に自覚し、それが律子にも露見したように思えたから。

 

③ 訪問の目的が就職によって徴兵検査での不名誉を挽回したいというものであることを律子に勘づかれ、それとなく探られているように感じたから。

 

④ 律子の言葉によって訪問の目的が実は貞子の好意に応えようとするものであることに自分で気づき、それを貞子に見破られたように思えたから。

 

⑤ 訪問の目的が姉妹のどちらかを結婚相手にしようかという迷いによるものであることを、ほかならぬ律子によって見抜かれたように感じたから。

 

 正解はもちろんです。

 これを間違える人というのは、ちょっといないんじゃないかと思います。

 もし間違えたとしたら、相当問題があります。

 国語の問題を解く以前の問題です。

 

 本文を先へ進みましょう。

 

【11】 「行こ行こ。」妹の貞子は、二人を促し、さっさと歩いて、そうして、ただもう、にこにこしている。「久し振りね、実に、久し振りね、夏にも来てくださらなかったしさ、それから、春にも来てくださらなかったしさ、そうだ、ひどいひどい、去年の夏も来なかったんだ、なあんだ、貞子が卒業してから一回も吉田へ来なかったじゃないか、ばかにしてるわ、東京で文学をやってるんだってね、すごいねえ、貞子を忘れちゃったのね、堕落しているんじゃない? 兄ちゃん! こっちを向いて、顔を見せて! そうれ、ごらん、心にやましきものがあるから、こっちを向けない、堕落してるな、さては、堕落したな、丙種になるのは当(あた)り前さ、丙種だなんて、貞子が世間に恥ずかしいわ、志願しなさいよ、可哀想(かわいそう)に可哀想に、男と生(うま)れて兵隊さんになれないなんて、私だったら泣いて、そうして、血判を押すわ、血判を三つも四つも押してみせる、兄ちゃん! でも本当はねえ、貞子は同情してるのよ、あの、あたしの手紙読んだ? 下手だったでしょう? おや、笑ったな、ちきしょうめ、あたしの手紙を軽蔑したな、そうよ、どうせ、あたしは下手よ、おっちょこちょいの化け猫ですよ、あたしの手紙の、深いふかあい、まごころを蹂躙(じゅうりん)するような悪漢は、のろって、のろって、のろい殺してやるから、そう思え! なんて、寒くない? 吉田は、寒いでしょう? その頸巻(くびまき)、いいわね、誰に編んでもらったの? いやなひと、にやにや笑いなんかしてさ、知っていますよ、節ちゃんさ、兄ちゃんにはね、あたしと節ちゃんと二人の女性しか無いのさ、なにせ丙種だから、どこへ行ったって、もてやしませんよ、そうでしょう? それだのに、意味ありげに、にやにや笑って、いかにも他にかくれたる女性でもあるような振りして、わあい、見破られた、ごめんね、怒った? 文学をやってるんですってね? むずかしい? お母さんがね、けさね、大失敗したのよ、そうしてみんなに軽蔑されたの、あのね、――」とめどが無いのである。
【12】 「貞子。」と姉は口をはさんだ。「私はお豆腐屋さんに寄って行くからね、あなた達さきに行ってよ。」
「豆腐屋?」貞子は少し口をとがらせて、「いいじゃないか。一緒に帰ろうよ。いいじゃないか。お豆腐なんて、無いにきまっているんだ。」
「いいえ。」律子は落ちついている。「けさ、たのんで置いたのよ。いま買って置かなければ、あしたのおみおつけの実に困ってしまう。」
「商売、商売。」貞子は、あきらめたように(イ)合点合点した。「じゃ、あたし達だけ、先に行くわよ。」
「どうぞ。」律子は、わかれた。旅館には、いま、四、五人のお客が滞在している。朝のおみおつけを、出来るだけ、おいしくして差し上げなければならぬ。
【13】 律子は、そんな子だった。しっかり者。顔も細長く蒼白(あおじろ)かった。貞子は丸顔で、そうしてただ騒ぎ廻(まわ)っている。その夜も貞子は、三浦君の傍(そば)に附(つ)き切りで、頗(すこぶ)るうるさかった。

 

 ここから、貞子のマシンガントーク・その2が始まりますが、続きはまた次回ということにして、ここで問題です。

 

問1 傍線部(ア)~(ウ)の本文中における意味として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。

 

(イ) 合点合点した

 

① 繰り返しうなずいた ② 何度も確認した ③ 繰り返し言いつのった ④ 何度も同意した ⑤ 繰り返しからかった

 

 さて、正解はどれでしょうか?

 

「律子と貞子」が発表された文芸雑誌

『若草』について論じた本。

画像は Amazon から。

僕はまだ読んでいませんが、

おもしろそうな本です。

『若草』の表紙絵は、主に

竹久(たけひさ)夢二(ゆめじ)さん

が担当していました。

 

(つづく)