人が病めるなら九月 | 犬獣戯画

犬獣戯画

下町のロビンソン・クルーソー。
『最後の秘境は他人』がモットー。

 以前読んだ大槻ケンヂの本で、オーケンが体調を崩して病院に行ったところ、医者から「自律神経失調症ですね。大槻さん、しばらくUFOのことを考えるのを辞めましょう」と言われたとの話だった。なるほど。

 しかし、さすがオーケン、ある程度回復した頃合いで医者に「そろそろUFOのことを考えてもいいですか?」と許可を求めたとのこと。医者も苦笑しつつ許してくれたそうだが、なかなかイイ話だなぁと記憶に根付いている。

 

 私も長年の不眠症が最近とみに悪化し、眠りの間に間に宇宙人・妖魔・怪異の類が多々現れる。

 それを素直に受け取れば「宇宙からのメッセージが私に…」とか「私には他の人が見れないものが見える!」となるのかもしれないが、私自身はきっぱり覚めていて「あゝ、自律神経が弱っているなぁ…」としか思わない。

 それで街中に出ても怪異のようなものに出くわすのだが、私は“夢幻様状態”という特殊な不眠の形態を持って居るから、ふとした瞬間に幻覚のようなものに襲われることは承知しているつもりで、だから街中で出くわした怪異の形態にも今更驚きはしないのだけれど、其れが人波を割って私の隣を通り過ぎたりするとゾッとする。テキは幻覚ではなく“実体”であるということに驚かされるわけである。なんとも情けないことに、私には“幻覚”と“実体”とを見分ける力が育たない。

 

 お化けが、怖い。

 どうにも納得がいかないからこそ、怖い。

 

 お化けが存在するか否かは人によって見解の分かれるところではあろうけれど、仮にお化けが存在するとして、且つ我々三次元に居る一般人全員が認識するものでないとしたら、三次元以外の部分に彼らは存在するはずなのである。そうなると自然、理詰めで考えればお化け・幽霊の彼らは同次元に存在しなければならない。

 だが、化けて出てくるほどの強い残留思念を残して逝った一同(要は“成仏”していない)が同次元に存在すればどうなるか。普通に考えれば其々の苦労話に花が咲いたりはしないのだろうか。

 ———俺はね、濡れ衣で首を切られちゃった。

 ———あら。でもアタシなんか集団で強姦された末にコンクリ詰めよ?

 ———そっかい、そりゃあ姐さんに比べたら俺なんざ楽なもんだな。ようし、呑もう呑もう。

 なんて言いながら、人間が来たら一斉に“バア”なんて、どうにも理解ができない。そうして、理解ができないからこそ、怖い。

 

 だから、私にとって怖いお化けの姿というのは、ジェイソンでもフレディでもなく、帰宅したらなんとなく部屋の隅にオオアルマジロが居た、というような恐怖なのである。放っておいても此方には害が無さそうではあるが、でも何故この部屋に居るのか、と考えると『不気味さ』としか言いようがない。

 まぁ実際テキ(お化け・幽霊など)もこのような思考回路を持った私の元よりはもっとリアクションにメリハリのあるような人の処へ赴くではあろうとも思わないでもないが。

 そうやってつらつら考えている己がふっと我に帰ると、しみじみと『あれ?オレは自律神経を病んでいるなぁ』と実感する。

 

 そういうことを考えながら、おぼろな足取りでカニカマなぞを咥えながら街を歩く私こそが“世間の一般人”の人々から見たら“怪異”の一つであるのかもしれないと思うと、それこそ背筋が凍るような気分にならないでもない。

 

 
【船を出すのなら九月 cover】
 
長月の雨の音聴く夕暮れに
 酔いの間に間に 亡き人ぞ想ふ
  〜犬丸
 

浅草仕様のセブンイレブンは、黒い。